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Your search : [ author:文·写真 劉東平] Total 774 Search Results,Processed in 0.070 second(s)
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81. 安徽省祁門県の陶磁器
安徽省の南端にある祁門(きもん)県は祁門紅茶で有名だが、陶磁器の名産地としても知られている。町は唐の永泰二年(七六六)につくられ、明代になって製陶業が栄えた。この地に製陶業が起こった理由は二つ。一つは焼き物の都、景徳鎮が百五十キロと近かったこと。もう一つは土だ。『景徳鎮陶磁史稿』にも「明代に焼き物づくりが伸びるにつれて、原料供給地も浮梁の東南から祁門にまで広がった」とある。祁門の周辺は陶土鉱地帯だ
Author: 文·写真 馮進 Year 1993 Issue 4 PDF HTML
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82. 北京の廟会 食べ歩き
北京っ子の食べ物の好みを知るには、土地の人の家によばれるのもよいだろうし、しにせの料理をためすのもよいだろう。ぐっと手軽に、道ばたの屋台のものをほおばってみるのもまた一興だろう。だがここで春節(旧正月)の廟会(ミャオフイ、縁日)食べ歩きをおすすめするのは、この年に一度の最大のおまつりに、ありとあらゆる小吃(シャオチー、一品料理)の店が出そろい、グルメの舌をたんのうさせてくれるからだ。旧暦の十二月二
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 5 PDF HTML
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83. 鶏料理のあれこれ
おそまきながら今年の干支(えと)にちなんで、鶏と料理の話をしよう。河北省も南端に近い武安の磁山村で近年発見された新石器時代の遺跡から、人間と鶏の骨の化石がいっしょに出土したが、この事実からもわかるように、鶏は五千年以上も前から中華民族と深い関係にあった。下って殷代(紀元前約十六世紀~約十一世紀)の甲骨文にはオンドリ、メンドリ、ヒヨコ、鶏卵などの名前が見られ、続く周代に成立した中国最古の詩集『詩経』
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 6 PDF HTML
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84. 湖南省 竜山トウチャ族の陶器
湖南省の竜山県は一七二九年の創設。湖北省、四川省と境界を接し、省都の長沙市からは五百九十八キロ離れている。全県はちょうど巨大な手のひらのようで、南北百三キロ、東西三十二·五キロ。ここに住むトウチャ族は、日常生活で陶器を好んで用いている。漢族やそのほかの民族と同様、ここの陶器はトウチャ族の文化と密接な関係を持っているのだ。明代の竜山窯の陶器は非常に有名だったという。その窯跡から、日用陶器や青磁が発見
Author: 文·写真 馮進 Year 1993 Issue 6 PDF HTML
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85. 雨の町―雅安
四川省の雅安(があん)は広大な四川盆地の西外れにある。上空で高原の暖気流と盆地の湿った空気がぶつかってよく雨を降らせる。年間雨量一七七四ミリは北京のざっと三倍、「三日に二日は雨、外出にカサはつきもの」なのが雅安の習慣である。しかし去年は勝手がちがっていた。一週間ほど雅安にいる間、とうとう一滴も雨なしのカンカン照り。市民も面くらって、晩ご飯のすむころになると一斉に外に出て夕涼み。学生は木陰で勉強、子
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 7 PDF HTML
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86. 北京の宮廷料理
「世界に冠たる」などという大げさな形容詞はあまり使わない方がいいと思うが、こと中国料理に関しては、それも許されよう。そして、中国料理の中でもさらに「冠たる」存在と言えば、栄華を極めた清帝国の皇帝や皇后の料理を作っていた厨房―御膳房の豪華けんらんたる宮廷料理ということになるだろうが、その宮廷料理を供する料亭がいま北京に三店ある。北海公園の中にあって七十年の歴史を誇る「仿膳飯荘」、颐和園にある「聴鸝館
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 7 PDF HTML
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87. 天津南市食品街
天津に行ったときはぜひ寄って欲しいのが、ここに紹介する南市食品街だ。一九八五年、天津駅から西へ約一キロの南市地区にできた、面積四〇〇〇〇平方メートルの大フードセンター。大小さまざまの規模とさまざまの特色をもった料理店が八十三店あり、そのほかに娯楽ホールも八店ある。中国の八大料理―四川、山東、広東、湖南、蘇州、浙江、福建、安徽の名品はもちろん、天津、北京、山西の伝統的な小吃(シャオチー、一品料理)約
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 8 PDF HTML
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88. 洛陽のスープ料理
ふつう中国人は、人と会ったとき「あなたはもう飯を食べましたか?」とあいさつするが、洛陽では「あなたはもう飲みましたか」とあいさつする。「それほど私たちは、スープが好きなんですよ」と彼らは言う。洛陽の漢代古墓群博物館には、宴会でスープを供している壁画がある。スープへの彼らのこだわりは大昔からのものであることが、よくわかる。それは多分、この土地が内陸部にあって気候が乾燥しているからだろう。彼らは好きき
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 9 PDF HTML
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89. 広州の早茶
北京では「早点」と言っている朝食のことを、広州の人びとは「早茶」と呼ぶ。広州人はこの早茶を大切にしていると聞いていたので、私は広州に着いた翌日の朝、さっそく賞味してみることにした。私が入ったのは「富豪酒家」という店だった。正直のところいささか気後れしたが、『人民中国』に書くのだから、いいかげんな店では申し訳ない。内部のしつらえは確かにりっぱなものだった。早い人は6時ごろから来ているという。明らかに
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 11 PDF HTML
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90. 京胡の調べ余生の至福
汪兆年さんは今年六十一歳。三年前に北京バス公司を定年退職したが、今でも当時の作業服を着ている。洗いざらしてすっかり白くなっているが、それだけに愛着もひとしおだという。奥さんのからだが弱いので、昼食を作るのは汪さんの仕事だ。後片付けをすませた後、北海公園のすぐ北にある什刹海(シーチャーハイ)へ自転車を走らせる。家から五十分もかかるが、そんな距離も何のそのだ。目指す東屋(あずまや)には何人かの京劇ファ
Author: 文·写真 郭実 Year 1995 Issue 2 PDF HTML