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Your search : [ author:文·写真 劉東平] Total 774 Search Results,Processed in 0.094 second(s)
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71. 変貌する「魚米の里」江蘇省南部の郷鎮企業
江蘇省の無錫、蘇州、常熟、江陰などは、むかしから「江南の魚と米の本場」といわれてきた所だ。ところが最近ではこれに新しい「本場」が加わった。郷鎮企業が雨後の筍のように起こってきたのだ。従来、農民たちは農地が小さすぎて、どんなに働いても豊かになれる状況ではなかった。仕事がなければ金持ちにはなれない道理だが、郷鎮企業ができてからは、江南の農民は衣食の基礎ができて豊かになった。蘇南の郷鎮企業は機械、紡績か
Author: 文·写真独華 Year 1992 Issue 2 PDF HTML
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72. 食文化の旅太湖の「船料理」
中国の五大淡水湖の一つ、太湖に春が訪れると、観光船がどっと繰り出し、人びとは湖岸に咲き誇る桜を賞で、とりたての魚を船で料理して食べる。これが有名な太湖の「船料理」だ。その歴史は古く、すでに春秋戦国の時代から王侯貴族、商頁文人が競って船を出し、しばしの歓楽に時の移ろいを忘れたという。有名な古典劇『魚蔵剣』は、まさにそうした時代の反映と言えるもの。下僕に変装した刺客が、魚のはらに短剣を隠し、料理の供さ
Author: 文·写真秋華 Year 1992 Issue 2 PDF HTML
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73. 常熟の三宝
蘇州の北東約三〇キロ、北は長江に臨む常熟市に「常熟三宝」と呼ばれる名物がある。その一つは、常熟の南に広がる陽澄湖の蟹で、こうらが青く、腹が白い。葦の穂が生い茂る秋たけなわのころがしゅんで、身がやわらかく、むして食べると実にうまい、.一匹の目方は二五〇グラムくらいだが、香港に入るとびっくりするような値段がつく、.この蟹は「潭蕩(深い沼)金爪蟹」とも言われている。清の光緒帝が、学問の師である翁同餅から
Author: 文·写真秋華 Year 1992 Issue 4 PDF HTML
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74. 砲丸投げの黄志紅さん
黄志紅さんは、ことし二十七歳。中国人として、またアジア人として、世界の砲丸投げで輝しい成績を上げた”姑娘”だ。八九年の世界室内陸上選手権、そして九一年に東京で開かれた陸上の世界選手権で、砲丸投げの女子チャンピオンになっている。欧米人と比べ、体力的に劣るといわれる中国人。砲丸投げなど、力の要る種目ではかなうはずがない、というのが大方の見方だったが、持ち前の忍耐強さを発揮して苛酷な練習を克服、アジアの
Author: 文·写真 狄華 Year 1992 Issue 7 PDF HTML
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75. 北京で味わえる地方料理=風味羊腿(内蒙古)
成吉思汗酒家北京市朝陽区亮馬橋電話(47)1641元朝のジンギスカン大帝は、いまの北京に都を置きましたが、北京に残るその遺跡は、ほとんど見られなくな?てしまいました。それでも、蒙古族の料理は北京の人にとって、いまでも忘れられないものなのです。蒙古族風味の料理を味わいたいと思う方は、今月ご紹介する成吉思汗(ジンギスカン)酒家に行かれるとよいでしょう。このノストランは蒙古族の住居、包(パオ)を思わせる
Author: 文·写真 狄華 Year 1992 Issue 9 PDF HTML
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76. 成都のうまいもの
四川省の成都市内を歩けば、表通りも裏通りも、たべもの屋がいっぱい。食い倒れかどうかは知らないが、食い道楽で、食通の町だ。朝は、まだ暗いうちから「油条」「油餅」「豆腐脳」「炸糕」「豆漿」などを担いで売りあるく声がする。声が家の前に来るのを待ってさえいれば、安くておいしいできたての朝ごはんが食べられる町。夜は、人が寝静まったあとには、「五香豆腐乾……」「塩炒花生米……」と、調子をつけた売り声が近づいて
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 1 PDF HTML
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77. 四川省栄昌県の陶器
栄昌は古い町だ。明代の洪武六年(一三七三)に開かれ、すでに六百年以上の歴史がある。全県の面積は約千平方キロ、人口は七十六万人。四川省重慶市が管轄する最東端の県で、陶器の里として知られる安富鎮と武城郷はこの県に属している。取材に訪れた日、栄昌県は小雨に煙って肌寒かった。県党委員会の黄くんが私を迎えてくれて、宿でのチェックインを終えると、私たちは街に夕食に出た。最初からそうするつもりだったのか、それと
Author: 文·写真 馮進 Year 1993 Issue 1 PDF HTML
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78. 文殊院の精進料理
四川省成都市のほぼ中心にある古刹文殊院は、市内の仏教徒がよくおまいりに行く寺で、ここの精進料理がすばらしいと聞いたので訪ねてみた。農暦のついたちと十五日が小節という特別の日で、仏前のお供えものもいつもとはちがう。行ったのがたまたま十五日で、ご住職からいろいろとお話をうかがうことができた。早朝の勤行を終えた僧が、お供えをのせた盆を捧げて厨房から出てきた。花形に切ったトマト、なすの細切りいため、きくら
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 2 PDF HTML
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79. 重慶の毛肚火鍋
重慶に来て「毛肚火鍋」を賞味しなければ来たことにならない、といわれるだけあって、長江上流のこの大都会は、名にしおう「火鍋」の町。いたるところに店や屋台があり、夜昼なしに繁昌している。毛肚は牛の胃のことで、水牛がよいとされるが、もとは船乗りや荷役の人の食べ物だった。値段の安い牛や羊の内臓を鉄の大なべにぶち込み、とうがらし、山椒、こしょうの利いたタレで食べていたのが「橋頭火鍋」として一般市民や上流階級
Author: 文·写真 秋華 Year 1993 Issue 3 PDF HTML
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80. 酒なくば席を成さず
中国では各地の料理店の名に「酒」の字のついているものが多い。食は広州に在りといわれる広州でも、最高級のレストランは花園大酒店、中国大酒店……。天府の国四川でも、羊城酒家、重慶酒家……といったぐあい。北方でもナニナニ酒楼、酒店、酒家の看板が多い。酒を主にあきなう店かと思うが、じつはみな料理店なのだ。食王国の中国では美食には美酒がつきもので、酒がなければ宴席は成立しない。酒は古代主として祭祀用だった。
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 4 PDF HTML