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Your search : [ author:文·写真 劉東平] Total 774 Search Results,Processed in 0.072 second(s)
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91. 新作「風月」に挑む陳凱歌監督
今や国際的に著名になった陳凱歌監督は、新作「風月」を撮り終えたばかりで、北京映画製作所で最後の編集に入っていた。彼と会見の約束をした日の午後、その第三編集室に着くと、「入室おことわり」と大きく書かれたドアはぴったりと閉ざされ、プロデューサーが申し訳なさそうに「監督は編集の追い込みなんです。すみませんが、会見は二時間後にしてくれませんか」と言った。二時間後、ドアはまだ閉まっていた。居合わせた助監督の
Author: 文·写真 馮進 Year 1996 Issue 1 PDF HTML
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92. アイデア料理「梅花石榴球」
北京の崇文門内大街七十六号に「金朗大酒店」がある。ゴージャスな構え、行き届いた設備、美しい環境に恵まれたホテルである。北京駅に近く、首都空港からも車で三十分、交通の便も良い。しかし、このホテルの一番の魅力は、レストランのうまい料理だ。広東料理を主に、西洋料理や朝鮮式の燒き肉料理も出す。料理長の鄧綿明さんはことし四十八歳。三十年前に広東省で一流のコックについて料理を習ってから、今日までこの道一筋。一
Author: 文·写真 狄華 Year 1996 Issue 1 PDF HTML
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93. 唐宋時代の姿とどめる四川の都―閬中
閬中(ランチヨン)市は四川省の北部、嘉陵江(チヤリンチヤン)の中流域にある。戦国時代は巴子の都だったが、秦(しん)の恵王后元十一年(紀元前三一三)に県が置かれた。以来二千三百年の歴史を持つ古都である。昔から「閬苑仙境」といわれるほど、景色の美しい、静かな所。嘉陵江が市の三方を巡って流れ、大巴山脈の峰々が連なって四方を囲み、かすみの立ち込める景観を呈する。地勢が険しく、どの時代にも天然の要害として利
Author: 文·写真 郭実 Year 1996 Issue 2 PDF HTML
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94. チベット高原·古格(クーガ)王国の遺跡を見る
クーガ王国(10~17世紀)は現在のチベット自治区アリ地区のジャダ県に位置し、チベット仏教の栄えた国であった。標高4500メートルを超えるアリ地区には仏教の聖地カンリンポチェ峰がある。山の氷雪が融け出してできたマパムユムツォ湖は玄奘法師の『大唐西域記』の中で「西天瑤池(ようち)」とたたえられた所で、仏教界では最も神聖な湖である。またジャダ県ランチェンザンボ河のほとりにはクーガ王国の王宮、寺、洞穴な
Author: 文·写真 巴荒 Year 1996 Issue 3 PDF HTML
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95. 「賽竜奪錦」と「清宮秘製水魚」
このごろ、北京のグルメたちの間で「山に登り、海に出る。城(まち)へ行き、阿静(マダム·チン)を訪れる」という合い言葉がはやっている。北京山釜(シャンフ)酒家のバーベキューをほお張り、明珠(ミンチュ)酒楼で海鮮料理に舌鼓を打つ。香港美食城(メイシチャン)で軽食を楽しみ、新阿静(アチン)酒楼でモダン広東料理を賞味しなくては―という訳だ。阿静というのはこの店の女主人で、なかなかの広州美人。七年前に北京で
Author: 文·写真 狄華 Year 1996 Issue 3 PDF HTML
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96. 詩仙李白の故里―江油を訪ねる
江油(チヤンユウ)は四川省西北部にある景色の美しい、土地のよく肥えた豊かな所である。昔から「蜀(しょく)(四川)北の楽土」と呼ばれる。唐の大詩人李白は西暦七〇一年に当時の彰明県青蓮(チンリェン)郷、現在の江油市青蓮鎮に生まれた。李白の一族が暮らしていた屋敷跡の一角に、現在十部屋の家屋が建っている。これが大昔に李白が住んでいた家とは思えないが、屋敷の門は代々よく手入れされて、「隴西院(ロンシーユアン
Author: 文·写真 郭実 Year 1996 Issue 4 PDF HTML
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97. 新派宮廷料理―「魚蔵剣」
北京の村外村(ツンワイツン)大酒楼の料理長韓健勇(ハンチェンョン)さんは、本誌のために新派宮廷料理「魚蔵剣(ユーツアンチェン)」を作ってくれた。まずこの料理にまつわる昔話を紹介しよう。春秋戦国時代、呉の王子姫光(きこう)は亡き父の跡を襲い王座に納まった叔父姫僚(きりょう)を殺し、王位を奪い返えそうと企てた。宮廷の警備は厳重なので、剌客が入り込むすきがない。そこである日、僚が太湖に船を浮べ、臣下を招
Author: 文·写真 狄華 Year 1996 Issue 4 PDF HTML
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98. 宋代の面影残す―江西省赣州
赣州(カンチョウ)市は江西省の南部にある、四方を山に囲まれ、三方に川の流れる美しい町である。漢の高祖六年(紀元前二〇一年)に県制がしかれてから二千百余年の歴史を持つ南方の要衝だ。宋の時代に、磁器、冶金·鋳造、茶の栽培、造船、木版印刷などが発達して、名声の高い全国三十都市の一つに数えられた。宋の嘉祐年間(十一世紀中葉)にれんが造りの城壁が巡らされてから八百余年、絶えず補修され、よく保存されている。現
Author: 文·写真 郭実 Year 1996 Issue 5 PDF HTML
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99. 揚州料理の逸品「清炖蟹黄獅子頭」
北京で本格的な揚州料理を食べようと思ったら、やはり淮揚春(ホワイヤンチュン)飯店が一番よい。馬玉泉(マーユイチユアン)料理長は十五歳の時から玉華台飯荘で名コック張福祉(チャンフーチ)について、四十数年修業を積み、揚州料理の精髄を究めた。馬料理長は、揚州料理の中で、改まった席でも家庭料理としても喜ばれ、女性や子供にも好まれるのは「獅子頭(シーズトウ)」だという。「獅子頭」というのは大玉の肉だんごのこ
Author: 文·写真 荻華 Year 1996 Issue 5 PDF HTML
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100. イ族の黄色い傘
四川省の西南に凉山(リヤンシヤン)イ(彝)族自治州がある。面積六三五平方キロ、百六十五万人のイ族が住んでいる。解放まで千年余りこの地に続いた奴隷制社会は有名である。高い峰々と川の交錯する複雑な地形をしており、山の頂きとふもとでは気候が違い、五キロも離れた所では天気がガラリと変わる。普格(プーコ)、布拖(ブートウオ)、昭覚(チャオチユエ)、美姑(メイクー)、喜徳(シート)の各県では六月から十月までが
Author: 文·写真 狄華 Year 1996 Issue 7 PDF HTML