Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:写真·文 何竜盛] Total 488 Search Results,Processed in 0.089 second(s)
-
61. 国宝シフゾウの「回収作戦」に成功
昨年の夏、長江がはんらんして湖北省石首(シーショラ)市の鵝洲(オーチョウ)湿地シフゾウ自然保護区が水浸しになった。保護区にすむ百三十四頭のシフゾウは驚いて、囲みを破り、長江を渡って遠くへ逃げた。シフゾウというのは中国原産のシカの一種で国家一級保護動物に指定されている。シカのような角、馬のような顔、牛のひずめにロバのしっぽをしているが、全体としてはどれにも似ていないところから「四不像(スープーシアン
Author: 写真·文 邱焰 Year 1998 Issue 2 PDF HTML
-
62. 「病院列車」、無料診療で成果
安徽(アンホイ)省阜陽(フーヤン)市に住む邵(ンヤナ)さんはことし八十一歳。彼女の左眼は十年前から完全に失明している。昨年七月、北京の中日友好病院眼科の孫心銓(ソンシンチュアン)教授が人工水晶体の移植手術を行い、二日後に邵さんの眼は視力を取り戻した。この種の手術の料金は普通四〇〇〇元だが、邵さんの掛かった病院では無料。これが中国で最近お目見えした「病院列車」である。この「病院列車」は昨年七月一日香
Author: 写真·文 于傑 Year 1998 Issue 2 PDF HTML
-
63. 娘ひとり広州で象棋修業
彼女の名は柴崎順子さん、二十三歳。今年の初め親元を離れ、一人東京から広州にやってきた。目的は象棋(シャンチー)(中国将棋のこと)の勉強で、中国でも有名な陳松順さんの家に約二十日間下宿し、直接その指導を受けた(写真)。順子さんと象棋との出会いは十四歳のとき。父の事業の関係でハルビンに住んでいたころ、父が指しているのを見てたちまちそのとりこになり、わずか数日で基本的な指し方をマスターしてしまった。以来
Author: 写真·文 鄭迅 Year 1998 Issue 6 PDF HTML
-
64. シーサンパンナがいっぱい―梅苑飯店ダイ風大酒楼
今から二、三十年ほど前、北京のレストランで出る料理と言えば、魚か肉に決まっていた。当時はまだそういうものが乏しく、食用油も不足していたからだ。だが改革開放後、暮らしが豊かになり、今はもう北方の寄せ鍋から南方の生鮮魚介類まで何でも食べられるご時世。経営者もいろいろ勉強して、料理そのものはもちろんのこと、料理を提供する環境にも民俗的な、文化的なプラスアルファを売り物にしたレストランがずいぶん増えてきた
Author: 写真·文 郭実 Year 1998 Issue 7 PDF HTML
-
65. 羊肉で気分はシルクロード新疆材食堂街
八○年代に入って、地方から北京に出かせぎに来る人がどんどん増えてきた。臨時雇いとか個人営業とか、世過ぎの道はさまざまでも、同じ省から来た人が一カ所に固まって住むようになり、「浙江村」「安徽村」「新疆村」といった「村」が自然にできてきた。どの村もそれぞれの特色があるので、例えば服を買おうと思えば浙江村に行く。浙江省の人は昔から縫製のうまさで有名だからだ。そして西部の味を賞味したいと思えば、行くところ
Author: 写真·文 郭実 Year 1998 Issue 9 PDF HTML
-
66. 四川省で恐竜の化石群発見
四川省南部の瑛県石碑郷で、原始竜脚類に属する恐竜の化石群(写真)が大量に発見され、古生物学の専門家によって「石碑瑛県竜」と名づけられたことが、同省地質鉱産庁から発表された。この化石群を発見したのは、一九九七年五月かチら石碑郷で地質調査を行っていた四川省地質探査局第二〇二地質班の周鳳雲技師ら。直ちに同省地質鉱産庁と地元政府によって応急措置が講じられ、成都理工学院核技術学部で年代測定を行った結果、今か
Author: 写真·文曽朗 Year 1998 Issue 10 PDF HTML
-
67. 清朝建国に大功残す?
北京の大衆的なレストランでは、何年かおきに新しい料理が流行する。例えば四川料理の酸菜魚(スアンツアイユイ)だ。酸菜は、発酵させて酸っぱくした白菜の漬物のこと。そのスープに新鮮な魚を入れたのが酸菜魚で、数年前に初めて北京に紹介されて以来、あちこちに「酸菜魚村」なるものが出現し、人気料理の一つになった。しばらくして登場したのが紅燜羊肉(ホンメンヤンロウ)だ。羊肉を煮込んだスープの中に赤トウガラシ、ハル
Author: 写真·文 郭実 Year 1998 Issue 10 PDF HTML
-
68. 宮廷料理の栄華を再現一日二卓限定の厲家菜
北京の北海公園の北西に位置する後海の付近は、多くの胡同が入り組み、道光帝の第六子、恭親王奕訴や京劇の名人·梅蘭芳などの旧邸もあれば、先祖代々ここに住んでいるという庶民の家もある。その一角、羊房胡同十一号の小さな四合院が、夜になると必ず数人の客を迎える。客間にかかっている「厲家菜」という額は、「最後の皇帝」愛新覚羅·溥儀の弟、溥傑氏の親筆だ。主の名は厲善麟さん、今年七十八歳になる。善麟さんの祖父は清
Author: 写真·文 郭実 Year 1998 Issue 11 PDF HTML
-
69. 21世紀に緑のプレゼント
北京西直門(シーチーメー)駅前の広場―。「緑家園(リューチアユアン)」と大書きしたのぼりの下に続々と人が集まって来た。七月のある金曜日のタ方のことである。香港の環境保護運動組織「長春社(チャンチュンショ)」の呼び掛けにこたえて、週末の砂漠緑化活動に参加するボランティアたちで、二十人余りの欧米人の姿が目を引いた。保険会社に勤める江洋(チアンヤン)さんは二回目の参加。ボーイフレンドと軽いタ食を済ませて
Author: 写真·文 池倩 Year 1998 Issue 12 PDF HTML
-
70. 昔日‘領袖’餐今日‘百家’飯
波乱と栄光の生涯を送った英雄毛沢東は、飲食の好みについても伝説的なエピソードをたくさん残している。いわく、湖南省生まれでトウガラシに目がなかった彼は、革命を達成できる人間かどうかはトウガラシが好きかきらいかで決まる、とさえ断言したという。またいわく、彼は紅焼肉(ホンシャオロウ)(ブタ肉のしょうゆ煮)が大好きだったが、医者が健康のため少し控えるよう進言したので、側近と大げんかになったことがある、とも
Author: 写真·文 郭実 Year 1998 Issue 12 PDF HTML