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Your search : [ author:文·写真 紅杏 張臣] Total 700 Search Results,Processed in 0.081 second(s)
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21. 北京の宮廷料理
「世界に冠たる」などという大げさな形容詞はあまり使わない方がいいと思うが、こと中国料理に関しては、それも許されよう。そして、中国料理の中でもさらに「冠たる」存在と言えば、栄華を極めた清帝国の皇帝や皇后の料理を作っていた厨房―御膳房の豪華けんらんたる宮廷料理ということになるだろうが、その宮廷料理を供する料亭がいま北京に三店ある。北海公園の中にあって七十年の歴史を誇る「仿膳飯荘」、颐和園にある「聴鸝館
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 7 PDF HTML
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22. 天津南市食品街
天津に行ったときはぜひ寄って欲しいのが、ここに紹介する南市食品街だ。一九八五年、天津駅から西へ約一キロの南市地区にできた、面積四〇〇〇〇平方メートルの大フードセンター。大小さまざまの規模とさまざまの特色をもった料理店が八十三店あり、そのほかに娯楽ホールも八店ある。中国の八大料理―四川、山東、広東、湖南、蘇州、浙江、福建、安徽の名品はもちろん、天津、北京、山西の伝統的な小吃(シャオチー、一品料理)約
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 8 PDF HTML
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23. 洛陽のスープ料理
ふつう中国人は、人と会ったとき「あなたはもう飯を食べましたか?」とあいさつするが、洛陽では「あなたはもう飲みましたか」とあいさつする。「それほど私たちは、スープが好きなんですよ」と彼らは言う。洛陽の漢代古墓群博物館には、宴会でスープを供している壁画がある。スープへの彼らのこだわりは大昔からのものであることが、よくわかる。それは多分、この土地が内陸部にあって気候が乾燥しているからだろう。彼らは好きき
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 9 PDF HTML
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24. 広州の早茶
北京では「早点」と言っている朝食のことを、広州の人びとは「早茶」と呼ぶ。広州人はこの早茶を大切にしていると聞いていたので、私は広州に着いた翌日の朝、さっそく賞味してみることにした。私が入ったのは「富豪酒家」という店だった。正直のところいささか気後れしたが、『人民中国』に書くのだから、いいかげんな店では申し訳ない。内部のしつらえは確かにりっぱなものだった。早い人は6時ごろから来ているという。明らかに
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 11 PDF HTML
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25. 京胡の調べ余生の至福
汪兆年さんは今年六十一歳。三年前に北京バス公司を定年退職したが、今でも当時の作業服を着ている。洗いざらしてすっかり白くなっているが、それだけに愛着もひとしおだという。奥さんのからだが弱いので、昼食を作るのは汪さんの仕事だ。後片付けをすませた後、北海公園のすぐ北にある什刹海(シーチャーハイ)へ自転車を走らせる。家から五十分もかかるが、そんな距離も何のそのだ。目指す東屋(あずまや)には何人かの京劇ファ
Author: 文·写真 郭実 Year 1995 Issue 2 PDF HTML
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26. 新作「風月」に挑む陳凱歌監督
今や国際的に著名になった陳凱歌監督は、新作「風月」を撮り終えたばかりで、北京映画製作所で最後の編集に入っていた。彼と会見の約束をした日の午後、その第三編集室に着くと、「入室おことわり」と大きく書かれたドアはぴったりと閉ざされ、プロデューサーが申し訳なさそうに「監督は編集の追い込みなんです。すみませんが、会見は二時間後にしてくれませんか」と言った。二時間後、ドアはまだ閉まっていた。居合わせた助監督の
Author: 文·写真 馮進 Year 1996 Issue 1 PDF HTML
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27. アイデア料理「梅花石榴球」
北京の崇文門内大街七十六号に「金朗大酒店」がある。ゴージャスな構え、行き届いた設備、美しい環境に恵まれたホテルである。北京駅に近く、首都空港からも車で三十分、交通の便も良い。しかし、このホテルの一番の魅力は、レストランのうまい料理だ。広東料理を主に、西洋料理や朝鮮式の燒き肉料理も出す。料理長の鄧綿明さんはことし四十八歳。三十年前に広東省で一流のコックについて料理を習ってから、今日までこの道一筋。一
Author: 文·写真 狄華 Year 1996 Issue 1 PDF HTML
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28. 唐宋時代の姿とどめる四川の都―閬中
閬中(ランチヨン)市は四川省の北部、嘉陵江(チヤリンチヤン)の中流域にある。戦国時代は巴子の都だったが、秦(しん)の恵王后元十一年(紀元前三一三)に県が置かれた。以来二千三百年の歴史を持つ古都である。昔から「閬苑仙境」といわれるほど、景色の美しい、静かな所。嘉陵江が市の三方を巡って流れ、大巴山脈の峰々が連なって四方を囲み、かすみの立ち込める景観を呈する。地勢が険しく、どの時代にも天然の要害として利
Author: 文·写真 郭実 Year 1996 Issue 2 PDF HTML
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29. チベット高原·古格(クーガ)王国の遺跡を見る
クーガ王国(10~17世紀)は現在のチベット自治区アリ地区のジャダ県に位置し、チベット仏教の栄えた国であった。標高4500メートルを超えるアリ地区には仏教の聖地カンリンポチェ峰がある。山の氷雪が融け出してできたマパムユムツォ湖は玄奘法師の『大唐西域記』の中で「西天瑤池(ようち)」とたたえられた所で、仏教界では最も神聖な湖である。またジャダ県ランチェンザンボ河のほとりにはクーガ王国の王宮、寺、洞穴な
Author: 文·写真 巴荒 Year 1996 Issue 3 PDF HTML
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30. 「賽竜奪錦」と「清宮秘製水魚」
このごろ、北京のグルメたちの間で「山に登り、海に出る。城(まち)へ行き、阿静(マダム·チン)を訪れる」という合い言葉がはやっている。北京山釜(シャンフ)酒家のバーベキューをほお張り、明珠(ミンチュ)酒楼で海鮮料理に舌鼓を打つ。香港美食城(メイシチャン)で軽食を楽しみ、新阿静(アチン)酒楼でモダン広東料理を賞味しなくては―という訳だ。阿静というのはこの店の女主人で、なかなかの広州美人。七年前に北京で
Author: 文·写真 狄華 Year 1996 Issue 3 PDF HTML