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Your search : [ author:整理 陳耕え·楊永青] Total 107 Search Results,Processed in 0.109 second(s)
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21. 望娘灘(ワンニヤンタン)
むかしむかし、ある村の小川のほとりに、母子が二人で住んでいました。母親は四十いくつで、村人たちから聶媽媽(ニエマーマー)とよばれていました。息子は十四、五歲の少年で、聶郞(ニエラン)といいました。母子二人は猫のひたいほどの畑を小作していましたが、とてもくらしはたつてゆきません。そこで聶郞がひまをみては山に薪取りや草刈りにいつて、くらしのたしにしていました。聶郞はまつすぐな氣性の少年で、どんな苦しい
Author: 整理·李華飛 え·虹霖 Year 1959 Issue 12 PDF HTML
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22. 宝の飼葉桶
わたしたちの村からほど近いところに松の木のこんもりと茂つた山があります。山は高くて、どこまでもつづいています。少なくとも百華里はあるでしようか。夏になると、山の頂には、いつも白い薄雲がかかります。山には一抱えもある松の木が沢山生えていて、年じゆう青あおと枝をしげらせています。あの山のいちばん高い頂に石の像が立つていますが、言い伝えによるとあの石像は牛飼いの牧童をかたどつた像で、あの山が生まれたのも
Author: 整理·董均倫 江源 え·虹霖 Year 1960 Issue 2 PDF HTML
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23. 蕎麥むすめ
むかし、あるところに忙生(マンシヨン)という男の子がおりました。両親は忙生が十三歳の時にどちらもこの世を去りました。親たちは一生汗水ながして働いてやつと、川のほとりの猫の額ほどの荒れ地を息子のためにのこすことができました。けれどもそこは、川の水かさがませばすぐ水びたしになるし、大風が吹けばすぐ砂で埋まつてしまうし、とても畑にはなりつこない、と誰からも見放されているようなところでした。さいわい、隣近
Author: 整理·董均倫 江源 え·虹霖 Year 1960 Issue 3 PDF HTML
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24. 紅河灘(ホンホータン)
とおいむかし、コロー草原に一人の長者がいた。長者は草原一の大金持、何千頭、何万頭というほど牛や羊や馬をかい、おおぜいの奴隷(どれい)をはたらかせて、じぶん一人ごちそうをたべ、きれいな着物をきてぜいたくなくらしをしていた。草原にすむ牧畜民たちはみんな長者の支配をうけ、領內の民百姓であつた。そうした民百姓のことで、長者の思いのままにならぬこととてはなかつた。だから、牧畜民たちはますます貧乏になるばかり
Author: 整理·吳巧玲 え·姚有多 Year 1960 Issue 5 PDF HTML
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25. 弓矢太郎の龍退治
むかしむかしのことです。プーラ村はほんとうに美しい所でした。周囲十何里の山やまには桃の木がびつしり生えており、村の前をきれいに澄んだ小川が流れていました。そして小川のほとりは一面緑の田園がひろがつていました。毎年六月になると、山の桃が熟れて、大きな桃が枝もたわむほど鈴なりになり、そよ風が甘い香りを何十里も遠いところまで運んで行きます。あたりを通る人はみな足をとめて一息いれました。「ここへくると仙人
Author: 整理 蕭丁三 え·李寸松 Year 1960 Issue 7 PDF HTML
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26. 花辺姐姐(ホワピエンチエチエ)
むかし、ミヤオ(苗)族の村にきれいな娘がおりました。花辺(ホワピエン)を織るのが上手で、その娘が織り出した花や草や鳥や獣は、まるで本当に生きているように見えました。花辺というのは着物の袖や襟などをかざる縁かざりです。村の人たちはその娘のことを「花辺姐姐(ホワピエンチエチエ)」と呼んでおりました。村の人たちは花辺姐姐のつくつた花辺を一つでも手に入れて、それで襟や袖口をかざることができると、もう大喜び
Author: 整理 蕭甘牛 え 李玉紅 Year 1960 Issue 9 PDF HTML
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27. 金琵琶物語
むかしむかし、ある王国では、働く者が楽器をならして歌をうたうのを禁じ、歌い手という歌い手はみな宮殿にいつて、皇帝や大臣、将軍たちのためにだけうたうことをゆるされていました。で、歌い手のなかには、役人にとりたててもらおうと、よろこびいさんで宮殿に出かけるものもあれば、よい着物をきて、おいしいものが食べたさに、いそいそと宮殿にゆくものもありました。また、なかには、命が惜しいばかりに、つかいなれた楽器を
Author: 整理 丁歌 え·李玉紅 Year 1960 Issue 11 PDF HTML
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28. 旦那たちの福はだれがさずけるか
むかし、ヤマにひとりの金持ちの旦那がいた。欲張りな旦那は、まいにち昼も夜も、「あーあ、一つ大きな鉱脈をドカンとほりあてることができたらなあ」とそのことばかりを考えていた。旦那は大きな鉱脈をほりあてたい一心で、まるで気でもちがつたように、神様にいのつたり、易者にうらなつてもらつたりした。そうしたある晩のこと、旦那はこんな夢をみた。ヤマの神が旗をかついで、旦那のひらいている鉱山のそばの道をあるいてくる
Author: 整理·楊啓堂 え·李玉紅 Year 1960 Issue 12 PDF HTML
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29. 巧姑
むかし、張古老(チヤンクーラオ)という賢い、働きものの老人がいました。老人には息子が四人いました。上の三人はそれぞれに嫁をとり、その嫁がまたそろつて人並すぐれて賢い人たちでした。四ばん目の息子だけがまだ一人ものでした。四人の兄弟は分家しないで老人といつしよに暮らしていました。日がたち月が流れ、四ばん目の息子も一人前の若者になりました。老人は心の中で、わしもいい年だから、老い先長くもなかろう。何時あ
Author: 整理·周健明 え·李玉紅 Year 1961 Issue 1 PDF HTML
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30. 賜幅の泉
むかし、町から数十華里はなれたところに、天までとどきそうな山々にかこまれ、山の麓には谷川が流れ、その両岸に二〇〇戸ばかり人家のある村がありました。この村には働きものが大勢いて、この痩せた土地を耕してりつぱな田畑をつくり、ふだんの年はいつものどかにくらしていました。ある年のことでした。端午の節句の日からずつとおてんと様が雨を一しずくも降らさないことがありました。村のまんなかを流れている小川はからから
Author: 整理·金剛 え·羅爾純 Year 1961 Issue 2 PDF HTML