Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:史 石] Total 397 Search Results,Processed in 0.072 second(s)
-
21. 隋王朝の治と乱
隋は短命に終わった王朝である。文帝による開国、煬帝の時代の滅亡、この治と乱は、足かけ三十八年(五八一~六一八)の短期間であった。それにもかかわらず、隋は中国の歴史においても、重要な位置を占める王朝であり、この三十八年には、中味の実に豊かな歴史が凝縮されているのであり、それは深遠な意義をもつといえる。隋朝の統一と繁栄―文帝の開皇の治隋朝の開国時の皇帝、隋の文帝楊堅(ようけん)(五四一~六〇四)はもと
Author: 史石 Year 1981 Issue 3 PDF HTML
-
22. 穀葉紋彩陶甕
カラー参照河南省博物館には、さまざまな歴代の文物が陳列されているが、観ていくうちに、ひとつの彩陶の甕(かめ)にとくにひきつけられ、ケースの前にしばし歩をとどめることとなった。この穀葉文彩陶甕(中心グラフ見開き裏参照)の形は、小さな口、ふくらんだ腹、ひらべったい底、雄渾で気取ったところがない。口径一一センチ、高さ三二センチ、素地は泥質紅陶。甕の肩は広めで、周囲に帯状の文様が白い絹のリボンを結んだよう
Author: 史石 Year 1981 Issue 3 PDF HTML
-
23. 中国封建社会の黄金時代(一)
長い中国の歴史のなかでも、唐は人々によく知られている王朝である。臣下の忠言に耳を傾ける太宗(たいそう)皇帝、中国ただ一人の女帝則天武后(そくてんぶこう)、玄宗(げんそう)皇帝と楊貴妃の愛を綴った「長恨歌」、繁栄をきわめた都·長安、詩壇にかがやく唐詩の不朽の名作、仏典を求めてインドに渡った玄奘(げんじよう)法師、シルクロードを行くキャラバン、海を越えて中国にやってきた日本の遣唐使……。唐を舞台にした
Author: 史石 Year 1981 Issue 4 PDF HTML
-
24. 中国封建社会の黄金時代(二)
中国の史書をひもといてみると、皇帝の座についた者はなんと三百余人の多きにのぼるが、そのうち女帝はただ一人―今回とりあげる則天武后(そくてんぶこう)(六二四~七〇五)だけだ。男性中心の権力機構を土台にした中国の封建社会で、一介の女性が国を主宰する皇帝になったことは破天荒の大事件であり、その当時論議の的となったのはもちろんだが、この則天武后をめぐる論争は千二百年以上たった現在も続けられている。しかし、
Author: 史石 Year 1981 Issue 5 PDF HTML
-
25. 鴛鴦形彩陶罐
カラー参照まず、〈古文物〉欄の写真(中心グラフ見開き裏)をじっとみていただきたい。この独得な造型の彩陶罐は、何かに似ていないだろうか?その高さは九·五センチ。頸部はやや左に傾き、さらに左につきでた突起部がある。腹部は右側にふくらむが、その先端にも、やはり、小さいこぶのようなものがついている。上下二つの突起を何とみればいいだろう?右側のこぶの上には数本の筋が刻まれているので、もしそれを鳥の尾に見たて
Author: 史石 Year 1981 Issue 5 PDF HTML
-
26. 中国封建社会の黄金時代(三)
唐明皇ともよばれた唐の玄宗(げんそう)の名を聞くと頭に浮かぶのは、唐代の詩人白居易の不朽の名作「長恨歌」である。「長恨歌」に綴られたかずかずの物語―玄宗皇帝と楊貴妃(ようきひ)が七夕の夜に長生殿で交わした愛の誓い、太平の歓楽を破った安禄山反乱軍のせめ太鼓、都落ちの道すがら玄宗皇帝の馬前で死んでいく楊貴妃……。こうした物語は千余年も昔、中国はもとより遠く日本の奈良の都にも伝えられ、広く民衆のあいだで
Author: 史石 Year 1981 Issue 6 PDF HTML
-
27. 中国封建社会の黄金時代(四)
李唐王朝ともいわれる唐の二百九十年にわたる歴史は、勃興、発展、そしてその黄金時代である「開元の治」とつづくが、唐の第六代目の皇帝玄宗がこうした繁盛に酔い、楊貴妃にうつつをぬかしているとき、都·長安には、唐朝の危機がしのびよっていた。そして「安史の乱」を境にして、唐朝というこの怪物のような大帝国も滅亡へと向うのである。だが、「百足(むかで)は死んでも倒れない」という中国のことわざのように、唐朝の衰退
Author: 史石 Year 1981 Issue 7 PDF HTML
-
28. 陶製双耳罐
カラー参照一九七八年、四川省の北部にある茂汶チャン(羌)族自治県の県城の東北隅で、四十数基の板石葬の古墓が発見され、そこから二つの大きな耳をもつ泥質の黒陶罐が多数出土した。これもその中の一つで、高さ一七·二センチ、口径一一·四センチ、腹径一六センチ、底径七·二センチ、少なくとも今から二千百余年前の秦漢の時代のものであろう。茂汶、汶川、理県などの各県が所在する岷江上流は、古代、氐人と羌人が聚居した地
Author: 史石 Year 1981 Issue 7 PDF HTML
-
29. 五代王朝の興亡
中国大陸を帯のように流れる黄河―この黄河の流域に九〇七年から九六〇年にかけて、後梁、後唐、後晋、後漢、後周という五つの王朝があいついで誕生している。史書はこれを「五代」という。「五代」の時期は、唐、宋という統一大王朝のあいだにはさまれた五十数年の短い分裂の時代で、唐末期の藩鎮(はんちん)割拠の継続ともいえよう。当時、この「五代」とともに十の割拠政権が併存していた。江南(揚子江中流·下流の南部)の呉
Author: 史石 Year 1981 Issue 8 PDF HTML
-
30. 唐代の鎧甲騎士俑
カラー参照今回紹介する騎士俑(よう)は、鎧盔(よろいかぶと)に身を固め、鎧をつけた戦馬にのった武士である。左腰に軍刀、右腰には矢袋をさげて威風堂々たる俑の姿を目にしたとたん、「なんと、黒鉄塔ではないか」と興奮した。しかし、実際は、純白の素地にやや青みがかった釉をかけた、淡黄色の磁俑である。よく見ると、一面に氷裂紋が焼かれ、古朴できどったところがない。高さは二五センチ、湖南省湘陰にある岳州窯の作品で
Author: 史石 Year 1981 Issue 9 PDF HTML