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Your search : [ author:写真佐渡多真子
文 原口純子] Total 4070 Search Results,Processed in 0.111 second(s)
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2361. 屈原の古里 湖北篇(下)
山の民の背負いかご一筋の山道が帯のように山肌に巻きついている。切りたつ山々の頂きをみあげると、藍色の空がのぞいているだけである。谷底の渓流ははげしい音をたてて流れ、三人の山びとが鉄鉤で杉の丸太を流している。沔陽(めんよう)をあとに、わたしたちは車で西へ二〇〇キロ余も走って、宜昌市にやってきた(ここで数万の労働者が長江をせきとめ、今のところ中国最大の葛洲壩(ゴーチューバー)水力発電所を建設中である)
Author: カメラ·魯忠民 文·丘桓興 Year 1984 Issue 12 PDF HTML
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2362. 唐代の国際都市―揚州
中国最大の電力揚水所「人は高きを目ざし、水は低きに就(つ)く」とは、よく言われることだ。ところが、江蘇省にはいってから、南下するにつれて地勢はいよいよ低くなってゆくのに、大運河の水はかえって北に向かって流れている。この奇跡をつくり出したのが、ほかでもなく揚州郊外にある江都水利センターである。七月五日早朝、高郵を出発、やや東南方向にむかって四五キロほど自転車を走らせ、その日の午後に江都水利センターに
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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2363. 雪舟遊学の地―鎮江
生まれかわった「古渡頭」旧遊の地には、さすがに心ひかれる。揚州には、結局、半月ほど滞在した。残念なのは、この半月の間、ほとんど毎日のように雨に降られたことだ。自転車を走らせるのに不便このうえない。また、きょうも雨かなと思うと、はたして雨。天帝も、よほどいじわるなお方である。七月二十三日、早朝。起きてみると、窓の外から、したたり落ちるしずくの音が聞こえる。また雨だ。旅のスケジュールを、これ以上おくら
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1985 Issue 2 PDF HTML
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2364. 斉魯の遺風 山東篇(上)
使い古された一輪車昨年の中秋節のころ、わたしは北京から東南へ七〇〇キロ下って、山東省の沂水県をおとずれた。ここは沂蒙山の山腹に位置し、二千年前の戦国時代は魯国に属していた。今日でも北沂山の穆陵関には、黄土、砂、石灰の版築を用いた古代の長城跡が残っている。この数百キロもつづく長城は北側の斉国が築いたもので、当時は斉国と魯国との境界線であった。そのため、後世、山東省を「斉魯の邦(くに)」とよぶようにな
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1985 Issue 2 PDF HTML
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2365. 新興工業都市 常州
丹陽に残る南朝時代の石像群繁華な鎮江の市街区を抜けたあと、大運河は、東南に二二キロ、蛇行しながら流れて丹陽県へと入る。一帯は起伏の多い丘陵地帯だ。わたしたち二人は、ときにはふうふう言いながらペダルを踏んで坂をのぼり、ときには軽快に坂道を駆けおりた。これぞ、自転車旅行の醍醐味といったところ。人口七十五万を擁する丹陽県は、戦国時代(前四七五~前二二一)には楚の版図にあり、雲陽邑と呼ばれていた。紀元前二
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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2366. 漁村の詩情 山東篇(下)
海草で葺いた屋根高波が漁港の防波堤にくだけて、まっ白なしぶきをあげている。港内は、風を避けて停泊中の漁船のマストが林立し、色とりどりの三角の小旗がマストのてっぺんではためいている。……ここは栄城県大魚島にある筏子圏(フアヅーチワン)という漁港だ。岩山を背に黄海にのぞみ、山東半島南端の一角にあって、中国北方の有名な漁港石島から二キロしか離れていない。二千年前、“泱泱(おうおう)たる大国”と称された斉
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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2367. 蔡立海さんのナンバープレートは、北京五〇〇〇〇〇一号。
常住人口約一千万の北京市は、また「自転車王国」。北京市公安局登録の自転車台数が、最近、ついに五百万台を突破した。ラッキーナンバー·「北京 五〇〇〇〇〇一」を手にしたのは、門頭溝建設局につとめる蔡立海さん。さっそく真新しい愛車に「ナンバー·プレート」をとりつけた(写真上)。「市民の足」·自転車も、こう多くなると交通整理にあたるおまわりさんは頭が痛い。朝七時半から八時にかけてのラッシュ·ピーク時、崇文
Author: 写真 王文瀾 王恩普 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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2368. 「魚米の里」 無錫
自転車の旅は、なんといってもお天道さま任せだ。次の目的地·無錫に向かう五時間の道々、降りはじめたかと思ったら、それこそ土砂降りの雨。わたしもカメラマンの劉君も、下着までぐっしょりになって、“濡れ鼠”同然のありさま。ところが無錫市内に入った途端、ぴたりと雨がやんで、雲の切れ間から太陽が顔を出したではないか。「ずいぶんな話だなあ」と劉君。「まあ、いいさ。無事乗り切ったわれわれの勝ちというものだよ」とわ
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1985 Issue 4 PDF HTML
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2369. 東洋のベニス 蘇州
「草の芸術」―滸墅関の草蓆十一月二十三日、午後一時。わたしたちが乗った十三号船隊が無錫市の埠頭を離れた。牽引するのは一二二番ディーゼル船。もちろん自転車の“持ち込み”もオーケーである。無錫市航運公司に所属するこの十三号船隊は、十二隻の鉄製のはしけから成っている。じゅずつなぎになった船隊は長さ二〇〇メートル余、さながら水上を駆ける蛟竜(みずち)といったところ。主に砂利を運んでいる。太湖の西北に位置す
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1985 Issue 5 PDF HTML
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2370. 天府の国 四川篇(上)
噫(あ)吁(あ)嘻(あ)! 危(あやう)い乎(かな)高い哉(かな)!
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1985 Issue 5 PDF HTML