丹陽に残る南朝時代の石像群繁華な鎮江の市街区を抜けたあと、大運河は、東南に二二キロ、蛇行しながら流れて丹陽県へと入る。一帯は起伏の多い丘陵地帯だ。わたしたち二人は、ときにはふうふう言いながらペダルを踏んで坂をのぼり、ときには軽快に坂道を駆けおりた。これぞ、自転車旅行の醍醐味といったところ。人口七十五万を擁する丹陽県は、戦国時代(前四七五~前二二一)には楚の版図にあり、雲陽邑と呼ばれていた。紀元前二...
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丹陽に残る南朝時代の石像群繁華な鎮江の市街区を抜けたあと、大運河は、東南に二二キロ、蛇行しながら流れて丹陽県へと入る。一帯は起伏の多い丘陵地帯だ。わたしたち二人は、ときにはふうふう言いながらペダルを踏んで坂をのぼり、ときには軽快に坂道を駆けおりた。これぞ、自転車旅行の醍醐味といったところ。人口七十五万を擁する丹陽県は、戦国時代(前四七五~前二二一)には楚の版図にあり、雲陽邑と呼ばれていた。紀元前二...