使い古された一輪車昨年の中秋節のころ、わたしは北京から東南へ七〇〇キロ下って、山東省の沂水県をおとずれた。ここは沂蒙山の山腹に位置し、二千年前の戦国時代は魯国に属していた。今日でも北沂山の穆陵関には、黄土、砂、石灰の版築を用いた古代の長城跡が残っている。この数百キロもつづく長城は北側の斉国が築いたもので、当時は斉国と魯国との境界線であった。そのため、後世、山東省を「斉魯の邦(くに)」とよぶようにな...
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使い古された一輪車昨年の中秋節のころ、わたしは北京から東南へ七〇〇キロ下って、山東省の沂水県をおとずれた。ここは沂蒙山の山腹に位置し、二千年前の戦国時代は魯国に属していた。今日でも北沂山の穆陵関には、黄土、砂、石灰の版築を用いた古代の長城跡が残っている。この数百キロもつづく長城は北側の斉国が築いたもので、当時は斉国と魯国との境界線であった。そのため、後世、山東省を「斉魯の邦(くに)」とよぶようにな...