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Your search : [ author:棚橋篁峰] Total 101 Search Results,Processed in 0.096 second(s)
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11. 『唐詩三百首』を読もう(三)
今回は韋荘の作品を読みます。韋荘(八三六~九一〇)は京兆杜陵(西安市東南郊外)の人。字は端己(たんき)。中唐の詩人、韋応物の四世の孫といわれています。乾寧元年(八九四)五十八歳で進士に及第して、その後、蜀(四川省)に赴き、王建に仕えました。早く父を失い、貧困の中で勉学した努力家です。杜甫を尊敬し、成都の浣花草堂(かんかそうどう)を修復して自分の家にしたと伝えられ、作品全体にどこか愁いを含んだ表現が
Author: 棚橋篁峰 Year 2000 Issue 6 PDF HTML
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12. 『唐詩三百首』を読もう(四)
今回から、王維の詩を鑑賞します。王維の詩は蘇東坡が「摩詰(まきつ)の詩を味わえば、詩中に画有り。摩詰の画を観れば、画中に詩有り」(『蘇軾文集』巻七十·題跋より)と言いました。その自然描写は、画を見る如くだと言われています。そんな王維の詩は日本人に愛されるものが多いはずです。王維(六九九?~七五九)は、太原(山西省中部)の人で、字は摩詰。開元九年(七二一)に進士状元(科挙の最終試験に一番で合格したも
Author: 棚橋篁峰 Year 2000 Issue 7 PDF HTML
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13. 『唐詩三百首』を読もう(五)
私は、漢詩をいつも作者のような気持ちで読みたいと思っています。ですから王維が友人、裴迪(はいてき)と唱和した『輞川集(もうせん)』は二人の存在があると同時に二人の気持ちが詩に通っていると思うのです。この詩集の序文に「余の別業は、輞川山谷に在り。其の遊止は、孟城坳(もうじようおう)·華子岡(かしこう)·文杏館(ぶんきようかん)·斤竹嶺(きんちくれい)·鹿柴(ろくきい)·木蘭柴(きくらんきい)·茱萸沜
Author: 棚橋篁峰 Year 2000 Issue 8 PDF HTML
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14. 『唐詩三百首』を読もう(六)
王維が、長安の東南、輞川荘(もうせんそう)に住んだことは、彼にとってどのような意味を持つているのでしょうか。今回は「送別」という詩から考えてみたいと思います。送別(一) 王維山中相送罷、 山中(さんちゆう)相送(あいおく)り罷(おわ)り、 日暮掩柴扉。 日暮(にちぼ)柴扉(さいひ)を掩(おお)う。 春草明年緑、 春草(しゅんそう)明年緑(みょうねんみどり)なるも、 王孫帰不帰。 王孫(おうそん)帰
Author: 棚橋篁峰 Year 2000 Issue 9 PDF HTML
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15. 『唐詩三百首』を読もう(七)
漢詩は、文字に意味を託し、自らの心を表現する文学です。中国人は比較的物事をはっきりと言います。それに対して日本人は、はっきりと言わないために曖昧で困るとよく言われます。面白い現象なのですが、中国人が漢詩を作るときは平面的で直接的な表現はほとんどしません。ところが日本人が漢詩を作るときは直接的表現が多いのです。中国人の漢詩は、意味も深く、読み手によって様々な解釈が出来、様々な余韻と感動が伝わるのです
Author: 棚橋篁峰 Year 2000 Issue 10 PDF HTML
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16. 『唐詩三百首』を読もう(八)
この夏、私は、河南省鄭州市で中華詩詞学会副会長林従龍先生にお会いしました。先生は、現代中国の詩人として学者として、漢詩普及の第一線にいる方です。特に今回は、漢詩の解釈をめぐって、意見を交換しました。「日本では漢詩の研究者といっても作詩する人は少なく、又、詩人は十分な漢詩研究ができているとは思えない状態です。その為、詩人の意境を理解することが十分ではなく、漢詩の特徴である多義性(様々な意味を含んだ深
Author: 棚橋篁峰 Year 2000 Issue 11 PDF HTML
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17. 『唐詩三百首』を読もう(九)
渭城曲(いじょうきょく) 王維渭城朝雨浥軽塵、 渭城(いじょう)の朝雨(ちょうう) 軽塵(けいじん)を浥(うるお)し、 客舎青青柳色新。 客舎青々(かくしゃせいせい) 柳色新(りゆうしょくあらた)なり。 勧君更尽一杯酒、 君に勧(すす)む更に尽くせ 一杯の酒、 西出陽関無故人。 西のかた陽関(ようかん)を出(い)ずれば 故人無からん。【通釈】渭城の朝の雨は、塵や埃をしっとりと湿らせ、
Author: 棚橋篁峰 Year 2000 Issue 12 PDF HTML
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18. 『唐詩三百首』を読もう(十)
私は、二〇〇〇年九月二十四日、深圳で開催された第十三回中華詩詞研討会に参加しました。今回は、漢詩を全中国の小学生、中学生にも勉強させたいという趣旨の大会でした。大会の開幕式で、天津市南開大学の葉嘉瑩(ようかえい)先生は、自分の半生を省みて漢詩が生きる支えであったことを切々と訴えました。そして人生を支える素晴らしい漢詩を、次代の若者に継承させなければならないと涙を流して語ったのです。偉大な漢詩学者で
Author: 棚橋篁峰 Year 2001 Issue 1 PDF HTML
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19. 『唐詩三百首』を読もう(十一)
私は、二〇〇〇年十月二十四日、山東省済南市で開催された「世紀之交杜甫学術研究会」に参加しました。その際、挨拶の中で「私は、一九八〇年の夏、初めて中国を訪問しました。その時、訪問した成都の杜甫草堂で、私は杜甫の声を聴いたような気がしました。それまで眠っていた杜甫への思いは、限りなく広がりました。私は杜甫と共に旅に出ました。済南·泰山は勿論、鞏義市(きょうぎ)·洛陽·石豪村·新安村·西安·曲江·蒲城·
Author: 棚橋篁峰 Year 2001 Issue 2 PDF HTML
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20. 『唐詩三百首』を読もう(十二)
前回詩人は、必ずしも実景は描かないものだと言いました。詩は心の表現です。その為に心に浮かんだ感動を景色を借りて表現します。景色を大きく写し、美しく描くのは、大げさではなく、詩人の感動表現と思わなくてはなりません。言葉巧みに表現された詩語(詩の言葉)は読む人にさらなる感動を与えるのです。今回は前回と同じ王之涣の「出塞」です。この詩も辺塞詩として高い評価を得た詩です。出塞(しゆっさい) 王之涣黄河遠上
Author: 棚橋篁峰 Year 2001 Issue 3 PDF HTML