今回は韋荘の作品を読みます。韋荘(八三六~九一〇)は京兆杜陵(西安市東南郊外)の人。字は端己(たんき)。中唐の詩人、韋応物の四世の孫といわれています。乾寧元年(八九四)五十八歳で進士に及第して、その後、蜀(四川省)に赴き、王建に仕えました。早く父を失い、貧困の中で勉学した努力家です。杜甫を尊敬し、成都の浣花草堂(かんかそうどう)を修復して自分の家にしたと伝えられ、作品全体にどこか愁いを含んだ表現が...
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今回は韋荘の作品を読みます。韋荘(八三六~九一〇)は京兆杜陵(西安市東南郊外)の人。字は端己(たんき)。中唐の詩人、韋応物の四世の孫といわれています。乾寧元年(八九四)五十八歳で進士に及第して、その後、蜀(四川省)に赴き、王建に仕えました。早く父を失い、貧困の中で勉学した努力家です。杜甫を尊敬し、成都の浣花草堂(かんかそうどう)を修復して自分の家にしたと伝えられ、作品全体にどこか愁いを含んだ表現が...