私は、漢詩をいつも作者のような気持ちで読みたいと思っています。ですから王維が友人、裴迪(はいてき)と唱和した『輞川集(もうせん)』は二人の存在があると同時に二人の気持ちが詩に通っていると思うのです。この詩集の序文に「余の別業は、輞川山谷に在り。其の遊止は、孟城坳(もうじようおう)·華子岡(かしこう)·文杏館(ぶんきようかん)·斤竹嶺(きんちくれい)·鹿柴(ろくきい)·木蘭柴(きくらんきい)·茱萸沜...
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私は、漢詩をいつも作者のような気持ちで読みたいと思っています。ですから王維が友人、裴迪(はいてき)と唱和した『輞川集(もうせん)』は二人の存在があると同時に二人の気持ちが詩に通っていると思うのです。この詩集の序文に「余の別業は、輞川山谷に在り。其の遊止は、孟城坳(もうじようおう)·華子岡(かしこう)·文杏館(ぶんきようかん)·斤竹嶺(きんちくれい)·鹿柴(ろくきい)·木蘭柴(きくらんきい)·茱萸沜...