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21. 『唐詩三百首』を読もう(十三)
今回は、王建の「新嫁の娘」を読みます。王建は穎川(河南省許昌市)の人。字は仲初と言います。出生も没年も共によく判っていませんが、大暦十年(七七五)に進士に及第。太和年間(八二七~八三五)に陜州(河南省陜県)の司馬(軍事を司る州の次官)に任じられているので、八世紀後半から九世紀前半の人ということが出来ます。性格は酒好きで自由に振る舞い、体裁などは構わなかったようです。しかし、詩人として繊細な心の持ち
Author: 棚橋篁峰 Year 2001 Issue 4 PDF HTML
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22. 『唐詩三百首』を読もう(十四)
今回から、王昌齢の絶句を読んでいきます。王昌齢(七〇〇?~七五五?)生没年もあまり正確にはわかっていません。出身地も一定していないのです。字は少伯といいます。しかし、李白や孟浩然などとも交遊があったことが知られており、盛唐期の代表的詩人の一人ということが言えます。又、王昌齢は日本と言うよりは、中国で親しまれた詩人と言うことができると思います。特に今回紹介する「芙蓉楼にて辛漸(しんぜん)を送る」と「
Author: 棚橋篁峰 Year 2001 Issue 5 PDF HTML
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23. 『唐詩三百首』を読もう(十五)
詩は心の表現です。詩文に表現された姿形から詩人の心を読みとらなければ詩の鑑賞にならないと私は言い続けてきました。一見普通の表現から深い心の内を覗くことが必要なのです。今回は前回に続いて王昌齢の「閨怨」(けいえん)です。「閨」は女性の部屋を表しています。従って、この詩の題は、女性の恨み又は愁いを表しているのです。王昌齢は男性ですから、若妻の心を詩文としてどのように表現するかは、興味のあるところです。
Author: 棚橋篁峰 Year 2001 Issue 6 PDF HTML
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24. 『唐詩三百首』を読もう(十六)
王昌齢は、二十七歳で進士に及第し、本来ならば順風満帆の人生であったはずです。その後の左遷と安史の乱、故郷に帰って殺されるという悲劇がどのような形で彼の人生に投影したのか、興味深いところです。そのような人生を歩んだ詩人にとって、前回読んだ「閨怨」で、出世への欲望のむなしさを若妻の姿を借りて表現したのは何故だったのでしょうか、興味深いところです。今回の「春宮怨」は、詩人の感性を考える上で、難解なものの
Author: 棚橋篁峰 Year 2001 Issue 7 PDF HTML
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25. 『唐詩三百首』を読もう(十七)
今回は、前回と同じく王昌齢の「長信怨」です。長信とは漢代の宮殿の名です。この詩は、前漢の成帝(紀元前五二~前七)の愛を失った班婕妤(はんしょうよ)が退居した長信宮を題材にして、宮廷の様子を詠ったものです。当然、漢代の故事を唐代のそれに写しているのですから、そのつもりで読む必要があります。物語では、成帝が位につき、班婕妤という美しい女性が、寵を得て後宮に入ります。しかし、やがてその愛は色あせ、趙飛燕
Author: 棚橋篁峰 Year 2001 Issue 8 PDF HTML
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26. 『唐詩三百首』を読もう(十八)
今回の「出塞」は、これまで読んできた王昌齢の詩とは内容を異にします。この詩は、辺塞詩(辺境防備や出征の情景を表現し兵士の悲愁や望郷の思いを詠う詩)です。辺塞詩は、唐代の詩の題材として多く作られました。出塞 王昌齢秦時明月漢時關、 秦時(しんじ)の明月(めいげつ) 漢時(かんじ)の関、 萬里長征人未還。 万里の長征 人未だ還らず。 但使龍城飛將在、 但龍城(ただりゅうじょう)の飛将(ひしょう)をして
Author: 棚橋篁峰 Year 2001 Issue 9 PDF HTML
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27. 『唐詩三百首』を読もう(十九)
今回は賀知章(がちしょう)の詩です。この詩を読むためには、彼の人生を知っておく必要があります。賀知章(六五九~七四四)浙江省·会稽(かいけい)永興の人。字は李真。則天武后の証聖元年(六九五)進士に及第して以来、国子監(政府の直轄学校及び教育行政を司る)の四門博士から、太常博士、礼部侍郎(礼楽、祭祀、学校、貢挙などを司る役所の次官)、集賢院学士、その後、工部侍郎(造営工作を司る役所の次官)兼秘書監と
Author: 棚橋篁峰 Year 2001 Issue 10 PDF HTML
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28. 『唐詩三百首』を読もう(二十)
今回は賈島(かとう)の詩を読んでみます。賈島(七七九~八四三)范陽(河北省涿州市)の人。字は浪仙。号は碣石山人。若くして、出家し僧侶となり、号を無本といいました。後に、韓愈と知り合い還俗して何度か科挙の試験を受けたのですが、遂に合格することがありませんでした。晩年の開成二年(八三七)、長江(四川省蓬渓県)の主簿となり、更に普州(四川省安岳県の北)の司倉参軍となって生涯を閉じています。生活は貧しく、
Author: 棚橋篁峰 Year 2001 Issue 11 PDF HTML
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29. 『唐詩三百首』を読もう(二十一)
陳子昂(六六一~七〇二)梓州射洪(四川省射洪県)の人。字は伯玉。高宗の開耀二年(六八三)進士に及第。左拾遺(天子のそばに仕えその過ちを諌める官職)まで進んだのですが、本当の彼の才能を解る人はいなかったようです。職を辞して故郷に帰り、父親に孝行を尽くしますが、父親の死後その財産に目をつけた県令によって投獄され、獄中に没しました。誠に不遇の人生であったといえるでしょう。若い頃は遊び人であったようですが
Author: 棚橋篁峰 Year 2001 Issue 12 PDF HTML
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30. 杜甫を読む①
今回から杜甫を読みます。杜甫は李白と共に漢詩世界の双壁として後世、「詩聖」と呼ばれ、その詩風は「詩史」と称されています。私自身も杜甫の詩に魅了されて漢詩世界に入ったといっても過言ではありません。彼の人生に刻まれた作品の数々は、漢詩を鑑賞するための基本といっていいでしょう。しかし、彼の詩は易しくはありません。本当に理解し、鑑賞するためには、杜甫その人を知らなければならないのです。今回は、作品の鑑賞に
Author: 棚橋篁峰 Year 2002 Issue 1 PDF HTML