Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:沈延太
王長青] Total 48 Search Results,Processed in 0.102 second(s)
-
2. 朝市、京劇、小鳥飼い…
北京観光といえば故宮から始めるのが普通のコースだ。故宮は別名紫禁城、北京の中心部に位置し、「城の中の城」とも言える。明の第三代皇帝永楽帝(在位一四〇二~一四二四)のとき全国から優れた工匠を集め、二十万余の人夫と軍隊を動員し、十四年がかりで造営された巨大な建築群だ。周囲三千五百メートル、南北九百六十メートル、東西七百六十メートル、そして城壁の高さは七·九メートルに及ぶ。城の四隅を角楼が押さえ、「九梁
Author: 沈延太 王長青 Year 1998 Issue 8 PDF HTML
-
3. 前門、大柵欄かいわい
地方の人びとが前門を北京のシンボルのように思うのは、ふしぎでもなんでもない。現に四十数年前、私が故郷の江蘇省から初めて北京に来たときも、北京駅は前門のすぐ東どなりにあったのだ。駅の玄関を出てまず目に飛びこんできたのは、雄大で荘厳な正陽門(前門の正式の名称)と箭楼(せんろう)だった。ともに五百年以上の歴史をもっているのに、まだできたばかりのように思われ、その輝かしさはまさに古代建築の傑作というにふさ
Author: 沈延太 王長青 Year 1998 Issue 9 PDF HTML
-
4. 伝統技術も見事に保存
六〇年代の初め、まだ中央美術学院の学生だった私は、美術の基礎の勉強と書画の鑑賞を兼ねて、美術館や故宮博物院の絵画館をよく訪ねた。中でも、拓本、陶磁器などの店が集まった和平門外の瑠璃廠(リューリーチャン)には、もうしょっちゅう通っていた。この瑠璃廠は、東は延寿街から西は北柳巷·南柳巷に至るまでわずか七百五十メートルの古い文化街だが、訪れるたびにまた来ようという気持ちにさせられたものだ。土地のある古老
Author: 沈延太 王長青 Year 1998 Issue 10 PDF HTML
-
5. イスラム教徒の牛街 四合院にも独特のふんい気
天安門から西南へ約六キロ行ったところにある牛街(ニウジエ)は、北京で最大の回民(イスラム教徒)居住地だ。全長一キロ足らずのこの通りをはさんで、大小数十本の胡同がつらなっている。道幅がそう広くないので、よく茂ったエンジュの並木がすっぽり道路を覆い、清潔で整然とした趣。道を行く人々は白い礼拝帽をかぶったものが多く、雑踏の中にもやさしさと静けさが感じられる。ここには回民のための小学校、中学校がある。南口
Author: 沈延太 王長青 Year 1998 Issue 11 PDF HTML
-
6. 老北京きっての歓楽街
前門から南下する前門大街を通り抜けて天壇公園の西側に出たところに、老北京でも指折りの歓楽街として栄えた天橋がある。天橋の名は、かつてそこにあった石橋から来ている。史料の記すところによると、この辺りは元から清代初期にかけて水と沼の多い土地で、「野の水は満ちあふれ、風に荻の花そよぐ」ありさまだったという。しかし元代には、すでに北京の文人墨客、官僚たちの行楽や保養の地となっていた。夏から秋にかけて画舫(
Author: 沈延太 王長青 Year 1998 Issue 12 PDF HTML
-
7. 白塔寺に歴史の風雪 人波でにぎわう鳥の市、魚の市
一九八〇年代まで北京の西城区のあたりには、高層建築物はほとんどなかった。そのころ一番高い建物として人目を引いていたのが、阜成門内の白塔寺(正式には妙応寺という)の中にある白塔だった。全体を白く塗ったこの大きなチベット式仏塔(ラマ塔ともいう)は、今から約七百年前の元代初年に建立された。元の世祖フビライは建国後、当時の燕京、すなわち北京を冬の都とし、大都と名づけたが、白塔は数少ない当時の遺跡となってい
Author: 沈延太 王長青 Year 1999 Issue 1 PDF HTML
-
8. 什刹海の飾らぬ美しさ
冬はいつも什刹海(シーチャーハイ)でスケートを楽しんだ。六〇年代の初め、私がまだ学生だったころの話だ。それから三十年以上たった今も、清明節過ぎに春景色を楽しみに行ったり、写生帳をかかえて晩秋のスケッチに行ったりするが、そのたびになにか言いようのない新たな感慨を覚える。七年前のある夏の日、娘が遠地に行くことになり、一家で什刹海に行ってハスの花咲く湖畔で記念写真を撮った。そのときの何枚かが今も書斎の壁
Author: 沈延太 王長青 Year 1999 Issue 2 PDF HTML
-
9. 数世帯同居の「大雑院」も
什刹海(シーフャーハイ)の東、地安門外大街から北へ、よく生い茂った街路樹の道を行くと、二つの高い建造物に行きつく。手前が鼓楼、その次が鐘楼で、ふつう合わせて鐘鼓楼と呼ばれている。北京城を南北に貫く中軸線上の北端に位置し、元(一二七一~一三六八)の都「大都」ではここが中心であった。ともに七百年余の歴史を持つが、訪れる人はみな、その保存のよさに驚く。案内人の説明によると、鼓楼は元の至元九年(一二七二)
Author: 沈延太 王長青 Year 1999 Issue 3 PDF HTML
-
10. 土一升金一升の王府井 横町にはなお老北京の香り
私の北京生活ももう四十年になるが、そのうち二十五年を王府井で暮らしている。王府井大街は北京でも屈指の繁華街で、その歴史は七百三十余年前の元の都「大都」までさかのぼる。北京と言えばすぐ連想されるのが王府井だ。商店が軒を並べ、人々は押し合いへし合いしながらこの街を歩く。王府井の南口から金魚胡同の西口までの八百メートルは、王府井の中でも最も王府井らしい通りであり、さらに北へ七百メートルほど行った隆福寺あ
Author: 沈延太 王長青 Year 1999 Issue 4 PDF HTML