一九八〇年代まで北京の西城区のあたりには、高層建築物はほとんどなかった。そのころ一番高い建物として人目を引いていたのが、阜成門内の白塔寺(正式には妙応寺という)の中にある白塔だった。全体を白く塗ったこの大きなチベット式仏塔(ラマ塔ともいう)は、今から約七百年前の元代初年に建立された。元の世祖フビライは建国後、当時の燕京、すなわち北京を冬の都とし、大都と名づけたが、白塔は数少ない当時の遺跡となってい...
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一九八〇年代まで北京の西城区のあたりには、高層建築物はほとんどなかった。そのころ一番高い建物として人目を引いていたのが、阜成門内の白塔寺(正式には妙応寺という)の中にある白塔だった。全体を白く塗ったこの大きなチベット式仏塔(ラマ塔ともいう)は、今から約七百年前の元代初年に建立された。元の世祖フビライは建国後、当時の燕京、すなわち北京を冬の都とし、大都と名づけたが、白塔は数少ない当時の遺跡となってい...