前門から南下する前門大街を通り抜けて天壇公園の西側に出たところに、老北京でも指折りの歓楽街として栄えた天橋がある。天橋の名は、かつてそこにあった石橋から来ている。史料の記すところによると、この辺りは元から清代初期にかけて水と沼の多い土地で、「野の水は満ちあふれ、風に荻の花そよぐ」ありさまだったという。しかし元代には、すでに北京の文人墨客、官僚たちの行楽や保養の地となっていた。夏から秋にかけて画舫(...
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前門から南下する前門大街を通り抜けて天壇公園の西側に出たところに、老北京でも指折りの歓楽街として栄えた天橋がある。天橋の名は、かつてそこにあった石橋から来ている。史料の記すところによると、この辺りは元から清代初期にかけて水と沼の多い土地で、「野の水は満ちあふれ、風に荻の花そよぐ」ありさまだったという。しかし元代には、すでに北京の文人墨客、官僚たちの行楽や保養の地となっていた。夏から秋にかけて画舫(...