六〇年代の初め、まだ中央美術学院の学生だった私は、美術の基礎の勉強と書画の鑑賞を兼ねて、美術館や故宮博物院の絵画館をよく訪ねた。中でも、拓本、陶磁器などの店が集まった和平門外の瑠璃廠(リューリーチャン)には、もうしょっちゅう通っていた。この瑠璃廠は、東は延寿街から西は北柳巷·南柳巷に至るまでわずか七百五十メートルの古い文化街だが、訪れるたびにまた来ようという気持ちにさせられたものだ。土地のある古老...
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六〇年代の初め、まだ中央美術学院の学生だった私は、美術の基礎の勉強と書画の鑑賞を兼ねて、美術館や故宮博物院の絵画館をよく訪ねた。中でも、拓本、陶磁器などの店が集まった和平門外の瑠璃廠(リューリーチャン)には、もうしょっちゅう通っていた。この瑠璃廠は、東は延寿街から西は北柳巷·南柳巷に至るまでわずか七百五十メートルの古い文化街だが、訪れるたびにまた来ようという気持ちにさせられたものだ。土地のある古老...