Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:趙文濤
え·董辰生] Total 59 Search Results,Processed in 0.082 second(s)
-
21. 赤い星の物語〈最終回〉
宋伯父(おじ)が胡漢三にひったてられていってから、昼間には家に居られなくなった。夜になると劉おばさんの家の裏庭から家に帰った。伯父がひったてられていったつぎの夜、陳鈞おじさんがきた。父がいま延安にいること、毛主席の指揮のもとに日本侵略軍とたたかっていることを、教えてくれた。また、伯父は町の牢屋に入れられていると、陳鈞おじきんは言った。「牢屋はどこにあるの、おじさんに会いにゆくのだから」とわたしは陳
Author: 李心田 え·董辰生 Year 1973 Issue 5 PDF HTML
-
22. 婦人船長
一港湾管理局の会議室には、港内停泊船の責任者たちが集っていた。司会にあたる業務調整所の主任が会議の内容をかいつまんで説明すると、この海に臨む会議室にはにわかにただならぬ空気がながれた。―永い間の沈黙、発言するものはいない。ぼそぼそとささやくもの、じっと考えこんでしまうもの……それからしても、何か司会者がよほどむずかしい問題をもちだしたに違いないのだった。たしかに、それは月並みの任務ではなかった。対
Author: 陸俊超 え·董辰生 Year 1974 Issue 7 PDF HTML
-
23. 松より青く
一はてしないシリンゴール大草原を一台のジープがひた走りに走る。バト連隊長は、息で曇る感ガラスをたえず手のひらでぬぐいながら、じっと窓外を見つめていた。真冬の草原は、牧畜民の家に生まれたバトにとってふるいなじみのはずなのに、今は何か見知らぬ所のように思えた。ジープはキーッという音をたてて、凍った湖のほとりにとまった。運転手の小李は(シヤオリー)、ズックのバケツを手に車からとびおりて、湖のほうへ歩いて
Author: 峻防 え·董辰生 Year 1974 Issue 11 PDF HTML
-
24. 赤いナツメ林(上)
ナツメ林を通りぬけ、久しぶりでふるさとの土をふんだ。ナツメが熟れるころで、六、七キロもつづくナツメ林のたたずまいは、ちょうど花嫁衣裳をまとった娘がはにかみながら迎えの人の到来を待っているかのようであった。曲折し、交錯した小枝は葉を落しはじめ、実をずっしりとつけている。あかくなった実はメノウを、まだ青い実はヒスイを思わせ、半ば色づいた実はウルシをぬったかのようだ。夕日がナツメ林にてりはえ、鮮やかな色
Author: 浩然 え·董辰生 Year 1975 Issue 6 PDF HTML
-
25. 赤いナツメ林(下)
紅宝(ホンバオ)の上着がナツメでいっぱいになると、体をおこして、わたしの方を向いた。「兄さん、ゆっくりしていってね。共産主義青年団支部で会議を開くから、そのときニュースをきかせて!山東省の方へもいったそうね?あっちのナツメはどう?たくさんある?ここのみたいにおいしかった?」かの女は拾ったナツメをムシロのうえにあけると、真剣なまなざしで言葉をついだ。「山東の方では、老木をどうしているんでしょう。困っ
Author: 浩然 え·董辰生 Year 1975 Issue 7 PDF HTML
-
26. 長征途上の心あたたまるおくりもの
一九三四年の九月末のことだった。夕方になって、部隊は出発した。党中央とソビエト中央政府の一部の同志たちからなる混成部隊である。それは「紅章」部隊と名付けられていた。戦闘部隊はもうとっくに出発していた。実は、この時から歴史上有名な二万五千華里の長征が始まったのだったが、当時、われわれはこれを長征とはいってはいなかったし、まして二万五千華里もの長い道のりを歩くことになるとは考えてもいなかった。その日、
Author: 傅連暲 え·董辰生 Year 1976 Issue 4 PDF HTML
-
27. 抗日戦争のころの華国鋒主席
一九三八年の夏から一九四七年の秋まで、華国鋒同志は武装闘争を指導し山西省呂梁山脈に位する交城、古交一帯で戦った。トーチカが立ち並び、散兵壕が縦横に走っているといった環境のなかで、かれは、軍隊に入って戦うよう大衆によびかけ、毛沢東思想で大衆を立ちあがらせ、人民戦争の烈火を燃えあがらせていった。弾丸がとびかい、硝煙の立ちこめる戦場で、かれは遊撃隊員と民兵をひきいて、日本侵略軍や蔣介石·閻錫山匪賊軍をた
Author: 金軍 え·董辰生 Year 1977 Issue 5 PDF HTML
-
28. われわれは永遠にあなたを忘れない
偉大な指導者毛主席の遺体の前に立ち、毅然としたなかにも安らかな表情をたたえておられる遺容を拝したとき、私は胸がひきさかれるような思いだった。毛主席、われわれがいま手にしている勝利、幸せは、すべてあなたの英知と労苦によってもたらされたものです。あなたはわれわれとしっかり結びつき、きってもきれない心のつながりをもっておられました。そのあなたが永久にわれわれのもとから去ってゆかれたのです。この悲しみはた
Author: 閻長林 え·董辰生 Year 1977 Issue 5 PDF HTML
-
29. いつまでそ忘れられないこと
きょうの作文の時間、王先生は「いつまでも忘れられないこと」というテーマを出した。みんなは頭をかかえていたが、ぼくはすぐに書きはじめた。どうしても忘れられないことが、ぼくにはあったからだ。この二ヵ月間、夜、ベッドによこになってからも、朝、目がさめてからもすぐ頭に浮かんでくることがある。あの晩吸ったすんだ冷たい空気、くっきり浮かんだ明るい月、ぼくの手をにぎっていた父さんの熱い手、ぼくのほおに落ちた母さ
Author: 氷心 え·董辰生 Year 1978 Issue 1 PDF HTML
-
30. 母を憶う
母の訃報に接し、このうえなく悲しい。わたしは母を、とりわけ、生涯を働き抜いた母を愛した。多くの思い出を、わたしはいつまでも回想せずにはいられない。わたしの家は小作農だった。原籍は広東省韶関で、「湖北·湖南·広東が四川を埋めた」[注释1]さい、四川省儀隴県馬鞍場に移住した。代々地主の田畑を耕し、貧しい暮らしをしていた。わたしたちとつきあいのあった友人もみな、真面目で貧しい農民だった。母は十三人の子を
Author: 朱徳え·董辰生 Year 1978 Issue 4 PDF HTML