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Your search : [ author:趙文濤
え·董辰生] Total 59 Search Results,Processed in 0.102 second(s)
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31. 清貧
革命闘争に身を投じて、十年以上の年月が流れた。この間、わたしは質素をむねとし、ぜいたくをした覚えがない。わたしが扱った公金は総額数百万元にのぼるが、革命のために調達した金だから、少しずつ大切に革命事業のために使われなければならないものである。これは、国民党反動派のお偉方にして見れば、不可思議なことであろうし、あるいは大風呂敷だと言うにちがいない。自己を厳しく律し、おのれを捨て、公に尽くすことは、共
Author: 方志敏 え·董辰生 Year 1978 Issue 7 PDF HTML
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32. 長沙の大火 (一)
解説いまは亡き郭沫若氏の回想録『洪波曲』の一章「長沙の大火」を三回に分けて掲載する。『洪波曲』は、一九四八年、すなわち全国解放の前夜、香港の寓居で執筆された作品である。その内容は、抗日戦争の初期における国民党支配地区での回想で、一九三七年の上海、南京失陥につづく武漢の防衛から放棄までの期間中に、氏の体験したことが記されている。筆者は序文で、「これは個人の思い出で、抗日戦争時期を全面的に反映したもの
Author: 郭沫若 え·董辰生 Year 1978 Issue 10 PDF HTML
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33. 長沙の大火(二)
解説郭沫若同志をしのんで、抗日戦争中の回想録『洪波曲』の一部を掲載する。一九三七年、日本軍の全面的な侵略に対し、「国共合作」が成立した。「国民政府」の首都には連絡のため八路軍弁事処(事務所)がおかれ、延安から周恩来同志らが飛来した。また、軍事委員会政治部が設けられ、部長に陳誠(国民党)、副部長に周恩来同志が就任した。その下に四つの庁がおかれ、宣伝担当の第三庁は郭沫若同志が長となった。日本軍の侵略は
Author: 郭沫若 え·董辰生 Year 1978 Issue 11 PDF HTML
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34. 長沙の大火(三)
解説これは抗日戦争中、国民党支配区の状況を記した郭沫若同志の回想録『洪波曲』の一節である。日本帝国主義者の侵略に対し「国共合作」が成立し、蔣介石のひきいる「国民党政府」の首都には連絡のため八路軍弁事処(事務所)がおかれ、延安から周恩来同志らが飛来した。また軍事委員会政治部が設けられ、部長に陳誠(国民党)、副部長に周恩来同志が就任した。その下に四つの庁がおかれ、宣伝担当の第三庁は郭沫若同志が長となっ
Author: 郭沫若 え·董辰生 Year 1978 Issue 12 PDF HTML
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35. 遵義会議革命勝利の転換点
一一九三五年一月の遵義会議が行なわれてまもなく、国家政治保衛局局長の鄧発同志がわれわれ国家政治保衛連隊にやってきた。鄧同志は姚喆同志と私から部隊の情況を聴取したあと、党がわれわれの連隊の三個大隊をそれぞれ第一軍団、第三軍団に編入するよう決定したことを伝達した。鄧同志はまた、党中央が第一方面軍を率いて抗日のために北上することになったことを告げ、党中央のこの決定が、中国革命の情勢を挽回するために実に重
Author: 張南生 え·董辰生 Year 1979 Issue 2 PDF HTML
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36. 金沙江の強行渡河
一九三五年一月の遵義会議がおわってのち、長征途上にあった赤軍第一方面軍は、毛主席の指導のもとに、婁山関、遵義一帯で敵軍に大打撃をあたえ、烏江、北盤江(ともに貴州省境内を流れる川)を南に渡河して、怒濤のような勢いで雲南省に向かった。途中、われわれ赤色幹部連隊はずっと中央機関と指導者を護衛する任務をになっていた。赤色幹部連隊は、歩兵二個大隊と特科大隊および上幹隊(高級幹部からなる部隊)からなっていた。
Author: 蕭応棠 え·董辰生 Year 1979 Issue 3 PDF HTML
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37. 湿地帯の探索行
一九三四年秋、国民党反動派の厳しい包囲網を破り江西省南部の根拠地を出発した赤軍は、北上抗日をめざして西南の奥地を迂回、敵の追撃·阻止と戦いつつ、十一の省、二万五千華里の天険を歩き通し、一九三五年十月、陝西省北部の革命根拠地に到着した。中国革命史の一大壮挙―長征である。 これは、当時、第一方面軍に加わった筆者(現在中国人民解放軍副総参謀長兼福州軍区司令員)による、大湿地帯通過の体験記である。赤軍が雪
Author: 楊成武 え·董辰生 Year 1979 Issue 9 PDF HTML
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38. わきたつ山の町
赤軍の第二、第六軍団は烏江上流の鴨池河を強行渡河して貴州省の黔西(チエンシー)、大定(現在の大方)、畢節等の要衝をあいついで占領し、わずか二十日ほどの間にひじょうに広い地域を遊撃区に組み入れた。このように有利な局面をかちえた主な原因は、任弼時、賀竜同志をはじめとする第二方面軍の党の正確かつ機動性ある作戦と指揮にあった。当時、敵はその優勢な装備と兵力をたのんで、わが軍と正面から交戦しようとくわだてた
Author: 左斉 え·董辰生 Year 1979 Issue 11 PDF HTML
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39. 真夏の雪中行軍
金沙江を渡り、何日かの苦しい行軍のあと、やっと大雪山地区についた。天気はひじょうにむしあつく、太陽が火のように大地を焼いて、ストーブをせおって歩いているような感じだった。汗がひっきりなしに流れ、痛いほど眼にしみこんだ。鼻と口はからからに干からび火がついてくすぶっているみたいである。道は「之」の字形に左に折れ右に曲って上へ上へと伸びて行く。半月も前からすぐそばに見えていた大雪山は、近づくにしたがって
Author: 田国浩 え·董辰生 Year 1979 Issue 11 PDF HTML
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40. 「特別扱いはごめんだ」
彭徳懐(一八九八~一九七四年)元帥は、内外にその名を知られる卓越した軍事家、政治家である。新中国成立以来、国防部長、国務院副総理などの要職を歴任したが、一九五九年罷免され、一九七八年名誉を回復した。中国人民の解放と社会主義建設のために不朽の功績を立て、その一生は、勤労人民と密接に結ばれていた。剛直で、権勢ぶることを蔑視し、義に勇み、私利をはからず全国人民に心から尊敬され、いまでもみなから親しみをこ
Author: 李平江 え·董辰生 Year 1980 Issue 2 PDF HTML