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Your search : [ author:趙文濤
え·董辰生] Total 59 Search Results,Processed in 0.168 second(s)
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11. 毛主席にしたがって長征
安順場から濾定橋へ彝(イル)族の住む山区をとおり、五十キロか百キロほど行軍して、われわれは主席にしたがい、大渡河のほとりの安順場についた。そこからさらに大渡河のほとりをさかのぼっていった。磨西面とかいういなか町をとおって濾定橋までゆき、そこで大渡河をわたるということだった。このあたりは山また山で、さまざまな草や灌木におおわれていた。山はのぼるほどにけわしさをまし、雑草や樹木も密生している。だからと
Author: 陳昌奉え·董辰生 Year 1971 Issue 10 PDF HTML
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12. 毛主席にしたがって長征
雪山と大湿原で大渡河をわたってから、われわれは群山のなかを行軍した。夾金山のふもとについたのは六月に入ってからである。夾金山はとてつもなく大きな雪山であった。日はまだしずんではいないのに、まっ白い氷にとざされたこの山を前にしては、日光もその熱を失ってしまうのだ。われわれはみなこごえて、ふるえがとまらなかった。われわれはこの山のふもとに宿営した。主席は山のきびしい寒さにそなえて、ショウガや唐ガラシな
Author: 陳昌奉え·董辰生 Year 1971 Issue 11 PDF HTML
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13. 毛主席にしたがって長征
六盤山の上で九月中旬のある夕方、われわれは臘子口にほどちかい村についた。わたしは主席に休んでもらうため寝床をしつらえた。もうひとつの部屋へいってみると、主席が何人かの責任者と話しておられた。机の上にはいっぱいに地図がひろげてあった。臘子口というところは、甘粛省と四川省のさかいにある「天険の門戸」で、ここから陝西省北部(陝北)へゆくわれわれにとっては、かなり重要な関所だということだった。主席は責任者
Author: 陳昌奉 え·董辰生 Year 1971 Issue 12 PDF HTML
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14. 毛主席にしたがって長征
主席の配慮で赤軍大学へ陝西省北部についてからは、環境も落ちついた。一九三六年春のある日、赤軍大学の政治部主任が主席のところにきて、赤軍大学の学生募集のことについて話した。話のとちゅうで、主席はわたしのほうをちらと見て、しばらくかんがえておられたが、やがて、「この総司令部には、長征の試練をへた古参兵で、すぐれた同志たちがいるのだが、かれらをきみの学校へいれてくれないかね」主任はしきりにうなずいて、「
Author: 陳昌奉 え·董辰生 Year 1972 Issue 1 PDF HTML
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15. 婦人運転手
「同志! どちらへ?」だしぬけに背後で大きな声がした。所用で紅石崖へゆくとちゅうである。わたしは夜明けに出発した。ゆうべははじめての春雨でよろこんでいたら、いつのまにか小雪になった。それが夜風にふかれて路面には薄氷がはっているので、とてもすべりやすいのだ。小心翼々、ペダルをふんでいるところへもってきて、突然声をかけられたもので、ふりむいた拍子にハンドルの手をあやまり、あぶなく倒れそうになった。声の
Author: 陳洪山 え·董辰生 Year 1972 Issue 3 PDF HTML
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16. 劉胡蘭
はじめに劉胡蘭烈士は中国人民のりっぱな娘で、中国共産党の優秀な党員です。中国革命の偉大な転機となった一九四七年、十六歳の劉胡蘭は、匪賊蔣介石、閻錫山の手で殺害されました。劉胡蘭の生涯は短かったとはいえ、それは党と人民に忠誠をつくした輝かしい生涯でした。中国人民の偉大な指導者毛主席は、一九四七年、劉胡蘭烈士のためにみずから筆をとって、「偉大なる生、光栄ある死」という題字をしたため、中国人民の解放事業
Author: 晋青 え·董辰生 Year 1972 Issue 4 PDF HTML
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17. 劉胡蘭 《第2回》
入党村にもどった劉胡蘭は休むことも知らないかのように活動をはじめました。まず、党支部のたすけをうけて冬の農閑期の学校をつくりました。やがてみんなからおされて村の婦人救国会の秘書になりましたので、もっといそがしくなりました。ちょうどそのころ、蔣介石と閻錫山の匪賊どもが全国的な規模の内戦をひきおこしたのです。解放区の軍民は毛主席の指導のもとに、蔣·閻反動軍の攻撃をしりぞけて勝利の実りを守るため、だんこ
Author: 晋青 え·董辰生 Year 1972 Issue 5 PDF HTML
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18. 劉胡蘭
試練畑がいちめんこがね色に波うち、いまにもとりいれがはじまるという九月ごろ、閻錫山反動派はむごたらしい「掃討」をおこなうため、文水県の県境にどっとせめよせてきました。そして西と西北のとうげに兵力をおき、平川と呂梁山解放区との連絡をたちきって、平川の人民政権をつぶそうとねらっていました。すると、それまで身をひそめていた特務や地主の私兵どもがにわかにあばれだしました。敵は雲周西村のちかくの村々にも拠点
Author: 晋青 え·董辰生 Year 1972 Issue 6 PDF HTML
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19. 赤い星の物語<1>
わたしは江西省の柳渓という山村で生まれた。一九三二年、わたしが五つのとき、革命がおこった、と大人たちが言うのを聞いた。わたしの父も革命に加わっていた。ある日、父は青竜刀や赤い房のついた槍を手にした人びとをひきつれて、悪地主胡漢三の屋敷にゆき胡漢三をとらえ、紙でこしらえた長い三角帽子をかれにかむせ、なわでしばりあげ、村の中をひきずりまわした。わたしの父の名は潘行義、革命に身を投じたのは、修竹にいさん
Author: 李心田 え·董辰生 Year 1973 Issue 2 PDF HTML
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20. 赤い星の物語(3)
翌日、修竹にいさんは赤衛隊をひきいて柳渓から戻ってきた。かれらは、昨夜の戦闘に大勝利をおさめ、保安団の犬どもを十数名うち殺し、小銃を十二挺ろ獲した。だが、大悪党の胡漢三を捕えることができなかった。やつは逃げたのだ。山の中で数日すごしたわたしは、赤衛隊が遊撃隊になったのをはじめて知った。赤衛隊が遊撃隊になった理由はこうである。赤軍が日本侵略軍とたたかうために北上すると、国民党の犬どもが兵をくりだして
Author: 李心田 え·董辰生 Year 1973 Issue 4 PDF HTML