安順場から濾定橋へ彝(イル)族の住む山区をとおり、五十キロか百キロほど行軍して、われわれは主席にしたがい、大渡河のほとりの安順場についた。そこからさらに大渡河のほとりをさかのぼっていった。磨西面とかいういなか町をとおって濾定橋までゆき、そこで大渡河をわたるということだった。このあたりは山また山で、さまざまな草や灌木におおわれていた。山はのぼるほどにけわしさをまし、雑草や樹木も密生している。だからと...
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安順場から濾定橋へ彝(イル)族の住む山区をとおり、五十キロか百キロほど行軍して、われわれは主席にしたがい、大渡河のほとりの安順場についた。そこからさらに大渡河のほとりをさかのぼっていった。磨西面とかいういなか町をとおって濾定橋までゆき、そこで大渡河をわたるということだった。このあたりは山また山で、さまざまな草や灌木におおわれていた。山はのぼるほどにけわしさをまし、雑草や樹木も密生している。だからと...