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Your search : [ author:写真 王長青] Total 3424 Search Results,Processed in 0.124 second(s)
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11. 什刹海の飾らぬ美しさ
冬はいつも什刹海(シーチャーハイ)でスケートを楽しんだ。六〇年代の初め、私がまだ学生だったころの話だ。それから三十年以上たった今も、清明節過ぎに春景色を楽しみに行ったり、写生帳をかかえて晩秋のスケッチに行ったりするが、そのたびになにか言いようのない新たな感慨を覚える。七年前のある夏の日、娘が遠地に行くことになり、一家で什刹海に行ってハスの花咲く湖畔で記念写真を撮った。そのときの何枚かが今も書斎の壁
Author: 沈延太 王長青 Year 1999 Issue 2 PDF HTML
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12. 数世帯同居の「大雑院」も
什刹海(シーフャーハイ)の東、地安門外大街から北へ、よく生い茂った街路樹の道を行くと、二つの高い建造物に行きつく。手前が鼓楼、その次が鐘楼で、ふつう合わせて鐘鼓楼と呼ばれている。北京城を南北に貫く中軸線上の北端に位置し、元(一二七一~一三六八)の都「大都」ではここが中心であった。ともに七百年余の歴史を持つが、訪れる人はみな、その保存のよさに驚く。案内人の説明によると、鼓楼は元の至元九年(一二七二)
Author: 沈延太 王長青 Year 1999 Issue 3 PDF HTML
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13. 土一升金一升の王府井 横町にはなお老北京の香り
私の北京生活ももう四十年になるが、そのうち二十五年を王府井で暮らしている。王府井大街は北京でも屈指の繁華街で、その歴史は七百三十余年前の元の都「大都」までさかのぼる。北京と言えばすぐ連想されるのが王府井だ。商店が軒を並べ、人々は押し合いへし合いしながらこの街を歩く。王府井の南口から金魚胡同の西口までの八百メートルは、王府井の中でも最も王府井らしい通りであり、さらに北へ七百メートルほど行った隆福寺あ
Author: 沈延太 王長青 Year 1999 Issue 4 PDF HTML
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14. 造花と工房の花市大街 四百五十年前の城壁も出現
北京駅の少し南に花市大街という通りがあり、東西に一·五キロほど続いている。今から約二百年前、清の第六代皇帝·乾隆帝の時代にできたと言われる古い繁華街の一つで、花の市がたっていたところからこの名がついた。北京の年中行事を記した清代の書『燕京(えんけい)歳時記』によると、毎月四の日に開かれた花の市で紙や絹の造花が盛んに商いされ、「天下の絹花は北京より出で、北京の絹花は花市より出づ」と言われた、という。
Author: 沈延太 王長青 Year 1999 Issue 5 PDF HTML
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15. 四合院にそれぞれの余生
天安門の東、建国門内大街の北京駅口から北へ東四十条まで、一本の道路が伸びている。その南半分を朝陽門南小街、北半分を朝陽門北小街という。この付近には多くの胡同が連なり、みなそれぞれの古い歴史を持っている。例えば、今の史家胡同、本司胡同、灯草胡同、演楽胡同、遂安伯胡同、乾麺胡同などは、すべて明代の「黄華坊」の中にあった。坊というのは昔の都市の下級行政区画のことで、明代の北京は内城二十八坊、外城八坊に分
Author: 沈延太 王長青 Year 1999 Issue 6 PDF HTML
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16. 最高学府と宗教の聖地 国子監街から雍和宮大街へ
北京の内城の東北を固める安定門のすぐ南に、並みの胡同とは全く違う通りがある。国子監街という。国子監とは旧時の最高学府のことで、その所在地だったことからこの名がついた。国子監街の西は安定門内大街に、東は雍和宮街に接する。胡同としては長い方で、並木がよく茂り、静かで古風で質朴なたたずまい。牌楼(装飾などのために建てられた門)が四つもあり、この胡同が特別のものであることを表している。その東西両端の牌楼に
Author: 沈延太 王長青 Year 1999 Issue 7 PDF HTML
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17. 皇弟、芸人、書画家……護国寺近辺の思い出の人びと
この連載第八回(今年二月号)で紹介した恭王府のちょっと西に、護国寺という寺があり、その名をとった護国寺街という通りが東西に連なっている。京劇の名優·梅蘭芳の旧居があることで知られるが、私にとって懐かしく思われるのは、あの「ラスト·エンペラー」宣統帝溥儀の弟·愛新覚羅溥傑さんの住居がこの胡同の五十二号にあったからだ。一九八八年春のある日、私はその溥傑さん宅に取材でおじゃまし、いろいろお話をうかがった
Author: 沈延太 王長青 Year 1999 Issue 8 PDF HTML
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18. 名士の旧居をたずねて(上)
今回と次回は、いくつかの胡同に残る有名人の旧居をたずねてみることにしよう。まずは、文豪魯迅から。魯迅は浙江省紹興の生まれだが、北京生活は十四年にわたり、四つの場所で暮らした。まず宣武門外·南半載胡同にある紹興会館、次に新街口·公用庫八道湾、次に西四·磚塔胡同、そして北京最後の住家となったのが阜成門·宮門口西三条二一号の四合院だ。この西三条は、阜成門大街に近い喧騒のちまただが、魯迅旧居は静かなたたず
Author: 沈延太 王長青 Year 1999 Issue 9 PDF HTML
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19. 名士の旧居をたずねて(下)
東城区灯市西口の豊富胡同十九号に、文豪老舎の旧居がある。生誕百年に当たる今年二月一日から老舎記念館として一般に開放されたが、私たちが訪れたのは、それ以前のことだった。王府井の繁華街からちょっと西に入ったところなのに、あたりはとても静かで、どの四合院もぴたりと門を閉ざしていた。私たちの家はそのすぐ近くにあったが、ご家族の静かな生活をかき乱すのも申し訳なく、せっかくその前を通りかかっても、ただ外から見
Author: 沈延太 王長青 Year 1999 Issue 10 PDF HTML
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20. 三つの会館に歴史をしのぶ
前々回の魯迅旧居のくだりで、魯迅は北京に来てまず宣武門外·半截胡同にある紹興会館に住んだ、と書いた。今ではもうなじみが薄くなってしまったが、明清の時代、会館は宿泊施設として大いに栄えた存在だった。永楽十九年(一四二一)明の第三代皇帝·永楽帝が都を南京から北京に遷して以来、北京は政治、経済、文化の中心として大いに栄えた。全国各地からさまざまの商人が上京、同郷人や同業者がさまざまの「会」を組織し、「館
Author: 沈延太 王長青 Year 1999 Issue 11 PDF HTML