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Your search : [ author:写真·郭 実 文·王浩] Total 299 Search Results,Processed in 0.100 second(s)
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81. 絶対自由へのあこがれ荘子の生地·民権
前回は道教の始祖神に祭られる老子の生地を訪ねた。取材を終えて商丘方向に出、老子の足跡を追ってさらに西へと旅をつづけ、その手始めに昔から「老荘」と並び称される荘子の故郷·民権県で列車を下りた。民権県は河南省開封市の東約七五キロにある。巨大な荘子像の立つ民権の町荘子(前三六九~前二八六年)は名を周、字(あざな)を子休といい、宋の国の蒙邑(いまの商丘市に所属する民権県の北東)に生まれた。乱世に八十数年の
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1997 Issue 4 PDF HTML
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82. 西に函谷関を出た老子―函谷関·楼観台
紀元前四七八年、ひとりの白髪老人が黒い牛に乗って鹿邑を後にし、西へ西へと旅をつづけていた。老子である。陳国が滅びた故郷の土では、今頃は楚の軍隊が威勢よく駆け回っていることだろう。老子は黙々として四方に危機を孕んだ中原の大地をくぐり抜けていった。まもなく諸侯が覇権を争う戦国時代の到来である。乱世を避けて、九十三歳の老人がさすらいの旅に出なければならないとは、時代の悲劇だと言ってよいだろう。しかし、ま
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1997 Issue 5 PDF HTML
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83. 北の崆峒山に登る―天水、平涼、黄陵
暗闇の中で列車は大西北の荒野を疾走している。長い長い歴史のトンネルをくぐり抜けるような気がする。原始宗教の火種を尋ね、遠き古代における道教文化の面影を求めて陝西省から甘粛省へつづいた数百キロの旅路は、たいへんな苦労の連続だったが、新鮮な発見に満ちた勉学の旅でもあった。列車が天水に着いたころはすっかり夜が明けていた。どう見てもさえないこぢんまりした町だが、中国文化史に刻まれた重要な場所なのである。と
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1997 Issue 6 PDF HTML
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84. 雨降る青羊宮―成都、都江堰
飛行機の下に広がる雲海に目をやると、道教の古代文献に出てくる神仙の定義が脳裏に浮かんだ。「飄々として雲中を飛行する、これを天仙といい、飛仙という」だが航空機の発明によって、現代人は誰もが神仙のように雲上を飛翔する機会をもつようになった。成都空港に降り立ち、小雨の中を、老子が生まれ変わった場所とされる青羊宮に向かった。青羊宮は由緒ある道教寺院だ。早く周代(紀元前十一世紀~紀元前二五六)に商品の売買を
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1997 Issue 7 PDF HTML
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85. 江西の仙境 三清山
三清(サンチン)山は江西省上饒(シャンラオ)地区にあり、主峰の玉京(ユチン)、玉虚(ユスー)、玉華(ユホア)の三つの峰を玉清、上清、太清の道教の三人の仙人が住む仙境になぞらえて、この名がついた。最も高い玉京峰は海抜一八一六·九メートル、同風景区の面積は二二〇平方キロ、年平均温度は一〇~一二度である。長い歳月の間に地質に大きな変化があり、造山活動の中で大規模な花崗岩漿(しょう)が噴出して三清山が生ま
Author: 写真·郭実 文·鄭炳陽 Year 1997 Issue 7 PDF HTML
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86. 天師道発祥の地―鶴鳴山、青城山
前漢初年のことである。都長安の通りで遊んでいた五人の子どもの、黒い服をきた子がこんな童謡を口ずさんだ。「黒い裙(も)着て、天門に入る。金母に揖(ゆう)し、木公に拝す」この童謡はまもなく国じゅうに流れたが、その謎めいた歌詞の意味は誰も分からなかった。しかし、前漢王朝の建国元勲である張良(?~前一八六)は見当がついていた。「あの黒衣の子は東王公に仕える童子にちがいない。童謡は、修行して昇天したければ男
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1997 Issue 8 PDF HTML
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87. 「碧水丹岩」の仙境―竜虎山(上)
前回に張陵の話をしたが、蜀(四川地方)入りして天師道を創立する前に、彼は竜虎山で三十年間煉丹と修行をつづけた。のちにそのひ孫にあたる張盛が竜虎山に戻って先祖の創始した天師道を大いに発展させる。いらい、歴代の天師たちがここを修行と伝道の場としてきた。これによって天師道は道教のなかでも一つの氏姓によって継がれる唯一の宗門となり、竜虎山は道教発祥の地として広く知られるようになった。丹薬なりて竜虎現る竜虎
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1997 Issue 9 PDF HTML
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88. 由緒ある天師道の祖庭―竜虎山(下)
筏に乗って瀘渓河を下っていると、美しい山水に身も心も溶け込み、おのずと遠い昔に想像が走る。もし祖天師張陵に蜀に赴いて天師教を開くという信念がなかったら、どうしてこの山紫水明の地を離れることができたのだろう。蜀のけわしい山道を上り下るとき、彼はきっと竜虎山の絵のような山水を脳裏に浮かばせていたことだろう。そしてのちに鶴鳴山、青城山で送った日々に、幾度となくかつて三十年間を過ごした掛け替えのない楽土の
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1997 Issue 10 PDF HTML
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89. 杭州に抱朴道院を訪ねる
杭州の西湖の北岸にある葛嶺は、標高わずかに一六六メートルの山だが、有名な道教の理論家、煉丹家、医学者である葛洪(かつこう)(二八四~三六四)にちなんで名付けられた道教の名山である。葛洪は道号を抱朴子といい、道教の経典『抱朴子』を著した。そのため葛洪を祭る山中の道院は后世の人びとから「抱朴道院」と呼ばれてきた。風光明媚な西湖は四季を通して観光客で賑わう。だが西湖から一キロ足らずの抱朴道院は俗世間を離
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1997 Issue 11 PDF HTML
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90. 沖虚古観に葛洪の足跡を尋ねる
山紫水明の西湖とはいえ、眺めているだけで食べていけるところではない。やむをえず、五年後には山林を出て官職についた葛洪だが、親友の郭文が死すると、人生の空しさを痛感し、再び隠遁生活に入る。有名な志怪小説『捜神記』の作者、東晋の干宝の推挙もあったが、出仕を断りつづけた。三三三年、年齢を意識し、煉丹を急がねばと、丹砂の産出地である交趾郡勾漏県(今の広西チワン族自治区境内)の県令の任を買って出る。あの才覚
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1997 Issue 12 PDF HTML