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Your search : [ author:写真·郭 実 文·王浩] Total 299 Search Results,Processed in 0.095 second(s)
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91. 壮麗な玉隆の万寿宫-許遜の遺跡と伝説
広州から北京に戻る列車の中で、張道陵、葛洪とともに『西遊記』に登場する四大天師の一人許真君[注释1]のことが気に掛かってならなかった。そこで南昌(ナンチャン)で下車して許真君の足跡を追うことにした。許真君は葛洪と同じ時代を生きた道士許遜(きょそん)のことである。字(あざな)は敬之、高陽(現在の河南省汝南(ルーナン))の人で、長く豫章(よしょう)(同南昌)に住んだ。旌(せい)陽(よう)(同湖北省枝江
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1998 Issue 1 PDF HTML
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92. 新天師道発祥の地
紀元四二三年、道士寇謙之(こうけんし)(三六五~四四八年)は還暦に近い身で、長年修行していた嵩山(すうざん)(いまの河南省にある)を出て、北魏(ほくぎ)の都平城(へいじよう)(いまの山西省大同(タートン)市)に向かった。ここから中国道教史上の新しい一ぺージが開かれる。張魯(ちょうろ)が世を去った後、天師道は組織が揺るぎ、綱紀が緩み始め、内部に混乱が現れた。そして葛洪(かつこう)、許遜(きょそん)の
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1998 Issue 2 PDF HTML
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93. 山中に仙境あり―陸修静と廬山
廬山(ろざん)は中国に数ある名山の中でも最も文化の香りの高い山である。漢代、紀元前二世紀の大歴史家司馬遷(しばせん)が『史記』の中で、「南方の廬山に登った」と記した時から、この山は中国の文化史に登場する。魏晋(ぎしん)南北朝時代の四世紀から五世紀にかけ、仏教の宗師恵遠(けいえん)と道教の宗師陸修静(りくしゆうせい)が廬山に登り、教えを広めたので、さらに広く注目されるようになった。また彼らと同じ時代
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1998 Issue 3 PDF HTML
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94. 北京·雍和宮 古都の春を清める「打鬼」
中国の多くの少数民族は、祭日に面をつけ舞踏を行う風習がある。ラマ教の信者が行う「祀神舞(ししんぶ)」もその一例に数えられる。北京のラマ教寺院として名高い雍和宮では、毎年旧暦一月二十三日から二月一日にかけて「祈原大法会」を行い、最後の二日間に「打鬼(だき)」を行う。この「打鬼」も民族伝統の「祀神舞」といえるだろう。「打鬼」は北京での俗称で、「跳神」とか「跳鬼」と呼ばれることもある。また北京のモンゴル
Author: 写真·郭実 文·阿巴徳夫 Year 2000 Issue 8 PDF HTML
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96. 『愛就愛了』が大ヒット 陳琳さん
陳琳(チェンリン)さんは、重慶市生まれ。京劇が大好きな両親の影響で、小さいころから音楽に慣れ親しんできた。1988年、四川省歌舞学院声楽科を卒業し、アーティストとしての人生を歩み始めた。93年にリリースしたファーストアルバム『你的柔情我永遠不懂』(あなたのやさしさが永遠にわからない)は、バンドをバックに恋に悩む少女の切なさを歌い上げ、150万枚の売り上げを記録。その後、つねにチャレンジ精神を燃やし
Author: 写真·郭実 文·張春侠 Year 2002 Issue 5 PDF HTML
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97. 労働者から実業家に蔡冠深さん
蔡冠深(ツアイグアンシエン)さんに初めて会ったのは、「香港新華集団」の北京事務所を訪ねたときだった。その知的なセンスと自信にあふれた笑い顔には、かつて経験しただろう苦労の跡など、微塵(みじん)も感じられなかった。事業をはじめて数十年―。資産100億香港ドル(1香港ドルは約17円)の大実業家となった蔡さんだが、父の教えをかたときも忘れたことがないと言う。「父こそが、私を一人前に育ててくれたのです!」
Author: 写真·郭 実 文·張春侠 Year 2002 Issue 7 PDF HTML
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98. 絶えず新しさ求めて 楊蓉蓉さん
北京棕櫚(しゅろ)泉国際公寓(マンション)は、北京の最高級住宅区の一つである。そこのディベロッパーが、30歳とまだ若い楊蓉蓉(ヤンロンロン)(ニコール·ヤン)さんだ。1972年、北京市生まれ。青年時代にソ連留学をした祖父の影響で、小さいころから西洋文化に親しみ、英語に関心を寄せていた。90年に北京外国語学院に進学し、英語を専攻。その2年後にはロサンゼルスに渡って、服飾を専門的に学んだ。アメリカでの
Author: 写真·郭実 文·張春侠 Year 2002 Issue 12 PDF HTML
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99. 日本舞踊を伝えたい 李玉蘭さん
李玉蘭(リーユィラン)さんは、小さいころから踊りと深い縁がある。1976年、14歳で舞踊を専門に習いはじめた。82年、北京舞踊学院表演学部に進学、民族舞踊を学び、卒業後は中国中央歌舞団舞踊チームに入団した。92年、日本女子体育大学に留学し、「日本民族舞踊研究室」で修士課程を専攻。たまたま、舞踊家·花柳千代さんの『大敦煌』を鑑賞し、「古典舞踊だけが、その国の踊りの心を表している」と会得、94年には有
Author: 表紙写真·郭実文·張春侠 Year 2003 Issue 6 PDF HTML
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100. 日本で「メジャーデビュー」の耿忠さん
中国人の観念においては、「耿忠(ゲンジョン)」(こうちゅう)というのは、伝統的な男性の名前である。しかし、耿忠さんはやさしく、清らかな感じの女性だ。中日国交正常化30周年を記念して制作された中日合作テレビドラマ『ロング·ラブ』(BSフジ)で、ヒロイン役を演じた。中国から日本に嫁いだ3人の女性の波瀾万丈の人生を描いたドラマである。異国での暮らしや当惑する心境を見事に演じたばかりか、純真でやさしい中国
Author: 表紙写真·郭実 文·王海燕 Year 2003 Issue 7 PDF HTML