前漢初年のことである。都長安の通りで遊んでいた五人の子どもの、黒い服をきた子がこんな童謡を口ずさんだ。「黒い裙(も)着て、天門に入る。金母に揖(ゆう)し、木公に拝す」この童謡はまもなく国じゅうに流れたが、その謎めいた歌詞の意味は誰も分からなかった。しかし、前漢王朝の建国元勲である張良(?~前一八六)は見当がついていた。「あの黒衣の子は東王公に仕える童子にちがいない。童謡は、修行して昇天したければ男...
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前漢初年のことである。都長安の通りで遊んでいた五人の子どもの、黒い服をきた子がこんな童謡を口ずさんだ。「黒い裙(も)着て、天門に入る。金母に揖(ゆう)し、木公に拝す」この童謡はまもなく国じゅうに流れたが、その謎めいた歌詞の意味は誰も分からなかった。しかし、前漢王朝の建国元勲である張良(?~前一八六)は見当がついていた。「あの黒衣の子は東王公に仕える童子にちがいない。童謡は、修行して昇天したければ男...