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Your search : [ author:写真·文 周衛軍] Total 538 Search Results,Processed in 0.590 second(s)
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81. 激務を果たす看護婦さん
私は、馬岳鴻といいます。一九七四年の生まれです。幼稚園のころからダンスが大好きで、学芸会などでよく踊っていました。中学を卒業後、北京舞踏学院の試験を受けましたが、競争率がたいへん高く、合格できませんでした。中医の父は私に、看護婦になるようすすめました。おとなしくて細かいところまでよく気がつく私の性格に合っているから、というのです。こうして私は、北京医科大学付属看護学校に入学し、四年後の一九九三年七
Author: 写真·文 郭実 Year 1995 Issue 5 PDF HTML
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82. 中ロ国際結婚の後裔たち
黒山頭から室韋鎮(鎮は町)までは百キロあり、一日おきにバスが一便出る。この日、私は夜の明けやらぬうちから待って、やっとすしづめのバスに乗り込んだ。エルグン河の流域には、中国とロシアの混血児が沢山散らばっているが、室韋鎮にはその子孫が比較的まとまって住んでいる。バス道路の両側をふさぐ山がだんだん高くなり、立ちならぶ白樺の木が車窓をたたきはじめると、私の耳にあのロシア民謡の激しくも哀愁に満ちた調べが聞
Author: 写真·文 郭実 Year 1995 Issue 5 PDF HTML
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83. 砂金採りの人びと
この辺りの人は、エルグン河には金が流れていると言うが、それは、エルグン河に沿った砂岩の中に、金を豊富に含有した鉱石があると言うことである。朝早く、ジープに乗って河沿いのガタガタ道を、金鉱に向かって走った。運転手の話では、エルグン河の砂金採りは百年以上の歴史があり、昔は国境を越えてロシヤ人も砂金採りに来ていたし、清の時代には、エルグン河と黒竜江の接点に当たる恩和哈達鎭は朝廷に献納する金の重要な産地だ
Author: 写真·文 郭実 Year 1995 Issue 6 PDF HTML
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84. 中ロ国境の景勝地興凱湖
黒竜江省密山市の東南、ロシアとの国境地帯に、景色の美しい、物産の豊かな興凱湖(こうがいこ)という湖がある。自然に出来た土手によって、大小二つの湖に仕切られている。面積は合わせて四七〇〇平方キロ、小湖と大湖の三分の一が中国領で、残りはロシア領である。地元の人たちが「湖崗」と呼んでいる天然の土手は、広いところで幅四〇〇メートル、狭いところで四〇メートル。一九七二年に、この「湖崗」で六千年前の新石器時代
Author: 写真·文 郭実 Year 1995 Issue 7 PDF HTML
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85. トナカイと暮らす敖魯古雅(アオルコヤ)郷の人たち
幾日も雨が降り続いて、砂利道は車が通れなくなり、止むなく私は室韋鎮に閉じ込もっていたが、やっと晴れて車が動くと言うので、思い切って大興安嶺の北麓で、オウンク族が昔ながらの狩猟と、トナカイの飼育を続けているアオルコヤ郷に行くことにした。オウンク族はもともとシベリヤのバイカル湖一帯で暮らしていたが、十九世紀にエルグン河流域に移住して、三つに分かれた。一つはオウンク旗(県)草原で放牧生活を営み、一つは扎
Author: 写真·文 郭実 Year 1995 Issue 7 PDF HTML
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86. 町内会のよろず屋さん
董秀芬さんは五十七歳、北京の西四北三条の胡同に住んで三十年になる。北京第一工作機械廠のフライス盤係を七年前に定年退職したが、すぐその年、街道(ジエダオ)弁事処(末端の行政組織)の幹部が彼女の能力や人柄を見込んで、胡同の居民委員会(町内会)の委員になってもらった。この胡同には二百戸ばかりの家があり、居民委員は五人いるが、みな現役を退職した女性で、董さんは九一年にその主任に選ばれ、今日に至っている。計
Author: 写真·文 郭実 Year 1995 Issue 8 PDF HTML
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87. 原始林の守り
オウンク族の猟民たちの取材をおえた私はエルグン河に沿って更に奥に進み、広大な大興安嶺の森林地帯に入っていった。モルダガ鎮に着いて、林業局の人に聞いたところでは、エルグン河の東側、南は安格林、北は恩和哈達、東は満帰で囲われた地帯が、いま中国に残る最大の原始林保護区だという。私の当初の考えは、この森林を通り抜けてエルグン河と黒竜江がつながる恩和哈達鎮まで行くということだった。ただしこの道にはバスは通っ
Author: 写真·文 郭実 Year 1995 Issue 8 PDF HTML
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88. 豊かさな目ざめた農村女性たち
甘肅省隴西(ろうせい)県は、省都蘭州市東南約50キロ、本誌4月号で紹介した定西県からそう遠くない黄土高原の中にある。年中干ばつに悩まされ、土地は瘦せ、中国でも最も貧しい地方の一つとされてきた。経済的貧困は精神的貧困につながる。この地方の女性の大部分は文字を全く、あるいはほとんど知らず、すべてを夫に依存し、その社会的地位は昔から向上するということがなかった。彼女らは、ただ子どもとかまどの周辺をはいず
Author: 写真·文 郭実 Year 1995 Issue 9 PDF HTML
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89. 「中国革命搖籃の地」井岡山の昨今
井岡山(チンカンシャン)は江西省西南部、羅霄(ルオシアオ)山脈の中に位置する。毛沢東、朱徳らの指導する労農紅軍が一九二〇年代に最初の武装闘争根拠地を築いた所。「中国革命搖籃の地」と呼ばれている。新中国成立後、この貧しいへき地の井岡山は絶え間なく開発、建設が続けられ、八四年に面積六六一平方キロ、人口五万四〇〇〇、四郷二鎮を擁する市になった。工業、農業、商業それに科学技術、教育とすべて一応の規模に発展
Author: 写真·文 郭実 Year 1995 Issue 9 PDF HTML
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90. 余生を音楽に
陳延沢先生は中学校で音楽を教えていた。三十三年間の教員生活だったから指導を受けた生徒はたくさんいる。私もその一人であるが、いい先生だったから、みんな先生を慕っていた。あれは一九七〇年のことだった。私はその頃甘家口中学の生徒だったが、ある日音楽の先生に呼びだされた。その頃の私は悪戯(いたずら)小僧だったので、何か授業中の悪ふざけを叱られるのかなと思っておそるおそる顔をだすと、意外にも、学芸会に参加す
Author: 写真·文 郭実 Year 1995 Issue 11 PDF HTML