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Your search : [ author:写真·文 周衛軍] Total 538 Search Results,Processed in 0.104 second(s)
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1. 北京大学で友好のシンポジウム
北京大学に日本研究センターができて満十年。それを記念して同センターは『伝統文化と中日両国の社会経済の発展国際シンポジウム』を四月八、九の両日、落成したばかりの同大学光華管理学院の講堂で開催した(写真)。論文を発表したのは、日本の早稲田大学とドイツのボン大学の教授十二名だが、そのほかにも白髪のベテランから少壮の研究者まで、そうそうたる顔ぶれが一堂に会した。とくに注目されたのが北京大学の前学長でいま全
Author: 写真·文 周衛軍 Year 1998 Issue 8 PDF HTML
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2. 三つ巴のファーストフード戦争
隆福寺街(ロンフースージエー)は、東城区の中国美術館の東五〇メートルの所にある商店街である。幅が二〇メートルに満たず、長さ約五〇〇メートルのこの通りに、ざっと十数軒のファーストフード·ショップが軒を並べている。赤縞のシャツに赤ズボンを着、赤い髪の毛に赤い鼻をしたピエロが手を振っているマクドナルド·ハンバーガーも人気だが、真正面にでんと構えた旧北京の老舗から漂ってくる奶油炸糕(ナイユーチャーガオ)の
Author: 周衛軍 Year 1997 Issue 2 PDF HTML
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3. 花園のような海辺都市―珠海
深圳の蛇口からモーターボートに乗って一時間ほど飛ばすと、珠江河口の西岸にある珠海の九州港に着いた。穏やかな海には大小さまざまの島々が点在しているが、まるで一つ一つが緑色の真珠のようだ。「珠海」という名もこんな風景から来たらしい。珠海には全部で百四十四の島があり、中国でも希な「百島の都市」である。珠海は南に澳門(マカオ)と境を接し、昔はいずれも香山県に属していた。一五五三年、澳門はポルトガルに占領さ
Author: 周衛軍 Year 1997 Issue 7 PDF HTML
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4. 北京大学の百年をたどる
北京大学ほど中国の近現代化発展と密接な関係を持った大学は、中国にはない。今年創立百周年を迎えた北京大学は、その発展の縮図でもある。創立百周年祝賀大会が行われてもう四カ月になるが、北京大学は依然と人々の関心を集めている。本稿は、上段で異なる時代の卒業生の回想を紹介し、下段で北京大学の百年史を簡単に振り返ることにしよう。卒業生四人の回想人間を尊重する精神―張中行私は一九三一年に北京大学中文学部に入学し
Author: 周衛軍 Year 1998 Issue 9 PDF HTML
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5. 活気溢れる大都会―広州
珠江デルタ経済圏は、珠江が南中国海に出る河口の付近一帯をさし、広東省の省都·広州を中心とする二十八の都市と四百二十の町をふくんでいる。広さ四·一万平方キロ、人口二千百万人をもつこの地域は中国でいちばん早く対外開放されたところであり、経済成長が最も速く、対外貿易が最も進み、極めて投資環境のよい地域の一つである。この地域は香港に隣接して地縁や血縁があるという利点があり、経済面でもよく協力しあってきたの
Author: 本誌·周衛軍 Year 1997 Issue 3 PDF HTML
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6. 時代を先駆けた東莞市
東莞市は広州から南東へ六〇キロ離れ、珠江の東側、深圳市の北側に位置する。車で高速道路を二十分走ると都心部に着いた。北京大学で一緒に勉強した一人の友人がここにいる。クラスメートはみんな、卒業したら北京などの大都会に残って仕事につきたいと考えていたが、この男だけは郷里に帰りたいと言っていた。当時私たちはその理由が分からなかったので、今回ついでにこの友人を訪ねてみようと思った。東莞に着いた私は思わずここ
Author: 本誌·周衛軍 Year 1997 Issue 4 PDF HTML
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7. 改革の「実験都市」―深圳
深圳の繁華街の街頭に、高さ十数メートルもある看板が聳え立ち、その中に中国改革の総設計師·鄧小平が微笑しながらみんなに会釈している姿が描かれている。一九七九年の春、十年間つづいた文化大革命の大動乱から抜け出したばかりの中国が、どのようにして経済を発展させるかという問題に直面したとき、鄧小平が「一地区を選んで特別区にしよう。中央にはお金がないから、特別区は自分の将来を自分たちの力で切り開いて行ってほし
Author: 本誌·周衛軍 Year 1997 Issue 6 PDF HTML
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8. 出身華僑に支えられる故郷―江門
くねくね曲って流れてきた蓬江は江門市の町中を通って行く。両岸の蓬莱山と煙燉山が門のように向かい合い、さらに江の中には亀のような形をした岩が敷居のように横たわっているので、江門という名が付いたそうだ。江門市は新会、台山、開平、恩平、鶴山という五つの小都市を管轄し、五邑と称されている。江門の五邑は華僑の郷里として知られ、祖先がここから出たという海外華僑は三百万人に上り、世界の九十六の国と地域で活躍して
Author: 本誌·周衛軍 Year 1997 Issue 9 PDF HTML
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9. 端硯の故郷―肇慶市
肇慶はむかし端州と呼ばれた二千年の歴史を持つ文化名城であり、山紫水明で傑物の出る土地でもある。仏教禅宗の第六祖の慧能(えのう)(六三八~七一三年、唐代の僧)が肇慶の新興県に生まれた人物で、彼の『六祖壇経』が今だに経典として伝わっている。国家風景名勝区に指定された七星岩が肇慶のシンボルで、この石灰岩が林立する地帯には七つの山が北斗七星のように四六〇万平方メートルの湖に散在している。薄霧がその間を漂い
Author: 本誌·周衛軍 Year 1997 Issue 11 PDF HTML
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10. 豊かな暮らしへ全力挙げる新都市―清遠
清遠(チンユアン)市は広州の北六〇キロのところにある。以前は小さな町だったが、一九八八年から、貧しい山間地帯の発展を促すために清遠は市に格上げされた。同じ珠江デルタに属するほかの地区の人々が自動車や住宅を購入したり、香港や東南アジアへ旅行に出掛けたりしているとき、広東省北部の山間地区とつながる清遠の農民たちは厳しい自然条件に迫られてキャッサバで飢えをしのぐ毎日だった。広東省では衣食問題を抱える貧し
Author: 本誌·周衛軍 Year 1997 Issue 12 PDF HTML