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Your search : [ author:整理 丁歌 え·李玉紅] Total 120 Search Results,Processed in 0.081 second(s)
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71. 金色のタネ
甘くて香ばしいトウモロコシを食べるとき、わたしたちはつぎのような胸のうたれる物語を思いうかべます。むかしむかし、チワン(僮)族の祖先はある山里に住み、苦しい暮しをしていました。まいにち、多くの人たちが隊を組んで、山をのぼり、川をわたつて、野獣を狩り、魚をとりましたが、どうしても腹いつばい食べることができず、寒さをしのぐこともできません。それに山奥の虎や豹や狼が出てきては人びとを傷つけます。これらの
Author: 整理·莫如鯤 え·羅爾純 Year 1961 Issue 4 PDF HTML
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72. トラは死んだ
森のなかにいっぴきのしまもようの凶悪(きようあく)なトラが住んでいました。ある日、動物をおなかいっぱい食べてねむくなり、白アリの塔(亜熱帯地域の白アリがつくる高い巣)のそばでねむってしまいました。ところがトラのからだがちょうど毒ヘビの巣の入り口をふさいでしまったので、あなのなかにいた毒ヘビは息がつまりそうになり、首(くび)をもたげてトラにかみつきました。トラは痛くてがまんしきれなくなり、やがて全身
Author: 整理·文羽 え·孫以増 Year 1978 Issue 6 PDF HTML
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73. つばめの国からのおくりもの
これは、私が小さい時、おじいさんから聞いたお話しです。むかし、むかし、ホンブとノロブという兄弟がいました。弟のホンブはよく働く正直な百姓でしたが、とても貧乏で、自分の土地も持っていませんでした。それに、子供が大勢いましたから、おかみさんは働けません。ホンブひとりの手で、一家を養うのは、それこそ大変でした。兄のノロブは、隣りの村に住んでいました。とても金持ちで、倉の中には、お米がぎっしり、くさるほど
Author: 整理·尹京玉 え·楊永青 Year 1979 Issue 7 PDF HTML
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74. アニュウと仙女の物語
中国にも少数民族のあいだに、さまざまな羽衣説話が伝来しているが、これは中国南部のミャオ(苗)族に伝わる物語―水牛のはかりごとむかしむかし、苗嶺山(ミヤオリン)のふもとに、ある若者がすんでおりました。若者はおさないころに両親をなくし、だれも本当の名を知りません。人びとは、若者が一頭の牡(お)牛を大事にしていたので、阿牛―アニュウとよんでいました。アニュウは人情に厚く、善良な働き者だったので、みんなか
Author: 収集·整理 李貴廷 え·岳融 Year 1979 Issue 9 PDF HTML
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75. 二郎(アルラン)と春姑(チュンクー)
むかし、馬員外[注释1]という男がおりました。家はたいへんな金もちで、たくさんの使用人を使っていました。彼の妻の紀夫人のそばには、幾人もの若い娘がかしずいていて、その中の趙という姓の娘に員外が目をつけ、めかけにしました。それ以来、家の人びとは彼女を趙姨娘[注释2]とよんでいました。紀夫人に男の子が生まれ、大郎と名づけられました。その後、趙姨娘にも男の子が生まれ、二郎と名づけられました。紀夫人は趙姨
Author: 整理·李樹仁 え·袁佐 Year 1979 Issue 10 PDF HTML
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76. 文成公主の嫁入り
唐の時代、長安の都から文成公主がチベット王のもとへ嫁入りしました。チベットにはこれにまつわる多くの民話·伝説が語り伝えられています。唐代のことです。ときの皇帝に文成公主[注释1]という、とてもかわいがっている姫がおりました。ひじょうにかしこく、しかも美しく育ったので、姫が成人になったとき、各地の王侯たちは、それぞれ都に使者を出して、結婚の申し込みをしました。チベット王のソンツェンも、なんとかして姫
Author: 整理·蕭崇素 え·楊永青 Year 1979 Issue 11 PDF HTML
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77. トガタ兄弟
ダイ(傣)族は、中国の少数民族のなかでも、わりあいに人口が多く、おもに西南部の雲南省のドーホン、シーサンパンナ、ゲンマー、モンリエンなどの自治県(州)に住んでいます。これは、そのダイ族に伝わる物語―ダイ族の住むモンシーナという村に、もうあまり若くない後家さんが住んでいました。その後家さんにはボロボロの服をまとった二人の子供があり、親子は猫の額(ひたい)ほどしかない山地を耕して、毎日のくらしを立てて
Author: 整理·陳貴培 え·周菱 Year 1979 Issue 12 PDF HTML
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78. 孟姜女の涙(万里の長城)
長城は東は渤海沿岸の山海関から、西は甘粛省の嘉峪関まで、全長一万三四〇〇華里(一華里は五〇〇メートル)あり、それで「万里の長城」と呼ばれる。これは世界でも最も壮大な古代建築の一つであり、宇宙船の乗組員が月からも見えたという。
Author: 整理·清泉 え·楊永青 Year 1980 Issue 3 PDF HTML
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79. 少林寺の由来(嵩山·少林寺)
少林寺 河南省登封県の北、少室山の北麓五乳峰のふもとにある禅寺。少林寺拳法発祥の地。建立は紀元四九六年、北魏少孝文帝の太和二〇年とされる。唐代以後、僧徒は常に武芸をおさめ、自ら拳法の一派をなして世に少林派と称された。 寺院内の千仏殿には「五百羅漢壁画」など珍しい芸術品が多い。また、五乳峰山頂には面壁九年に及んだといわれる禅宗の始祖、達磨大師の達磨洞がある。少林寺拳法でおなじみの禅寺、少林寺の名前は
Author: 整理·李冬梅 え·呉華綸 Year 1980 Issue 4 PDF HTML
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80. 岳陽楼と「刨花魚」(湖南省·洞庭湖)
岳陽楼は湖南省岳陽市の西門にあたる三層の城楼で、唐代に建てられ、宋代に改修されている。洞庭湖にのぞみ、范仲淹の「岳陽楼記」で知られ、解放後は、全面的に手をくわえて、新しく公園となっている。岳陽楼はその長い歴史と、雄壮な建物と美しい風景で知られています。古来その楼に登って、洞庭の風光を賞(め)で、絵や詩を作った文人墨客は数知れません。昔、岳陽市は岳州府と呼ばれました。城内に住んでいる高官や金持ちは洞
Author: 整理·譚習芝 え 楊永青 Year 1980 Issue 6 PDF HTML