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Your search : [ author:文·丘桓興 写真·姚鎮 丘桓興] Total 205 Search Results,Processed in 0.106 second(s)
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21. 魯迅の故郷風土と人情 浙江篇(上)
「千里鶯(うぐいす)啼きて緑紅に(みどりくれない)映ず、水村山郭酒(すいそんさんかくしゆき)旗の風」(唐の杜牧·『江南春』)とうたわれた陽春三月、わたしは浙江省紹興県柯橋鎮(まち)を訪れた。早朝、宿の一室から、水郷一帯の風光を見わたす。碁盤の目のように区切られた田畑、青々とした小麦の広がり、じゅうたんを敷きつめたような黄色の菜の花、縦横に交錯するクリークの水面は朝やけに映えてかがやいている……。足
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1985 Issue 9 PDF HTML
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22. 水郷蘇州 江蘇篇(上)
耳ざわりのよい呉語蘇州の街を散歩する。時に、足を止めて当地の婦人たちの会話に耳をすます。何を話しているのか、さっぱり分からない。しかし彼女たちの発音は柔かくて耳ざわりがよく、抑揚に富んだ声調と、語尾をのばす話し方や、リズム感と優雅な味わいに富む話し方は、あたかも美しいメロディーを聞くようだ。まさに芸術的といってもよいだろう。蘇州語は呉語に属している。呉語は上海市と江蘇省の南部、浙江省の大部分に通用
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1985 Issue 11 PDF HTML
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23. 太湖有情 江蘇篇(下)
蘇州の刺繡と伝説古典小説『水滸伝』を読んだことのある方は、両の腕や肩、胸に九匹の竜の入れ墨をして「九紋竜」のあだ名で呼ばれた梁山泊の勇者、史進のことを覚えておられるだろう。刺しゅうの里蘇州での取材中に知ったことだが、驚いたことにこの入れ墨という古い習俗が、つまり刺しゅう工芸の発端なのだという。―大昔のことである。江南の水郷は、地勢が低いのでつねに水害に見まわれた。そのつど、水中にひそんでいた蛟竜が
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1985 Issue 12 PDF HTML
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24. 緣日と泥玩具 河南篇(上)
豫は、河南省の別称である。豫は牧人が象を引っぱる意味の象形文字だ。むかし、河南地区は温暖湿潤であったため、象の生息に適するところだった。飼いならされた象を農耕や運送に使う者もいたと伝えられる。古代中国の九州のうち、豫州は中央部を占めたので中州とも称された。河南は、中華民族発祥地の一つだ。豫北(河南省の北部)の安陽市郊外にある殷墟は、かつては商(殷)の都だった。そこから出土した数多くの甲骨文と青銅器
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
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25. 黄河滔々河南篇(下)
黄河は中国第二の大河であり、中華民族の揺籃である。早くも八十万年前の昔、黄河流域に生活した原始先住民は、中国の古代文明を創りはじめたのである。ところが、川水が黄色く濁っていることから名付けられた黄河は、害をもたらす川でもあった。二千年余りこのかた、決壊·氾らんすること千五百回余り、河道の変化が二十六回もあった。洪水は黄河両岸の人民に多大な災難をもたらすとともに、沿岸の村々に独特な習俗を形づくらせた
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1986 Issue 2 PDF HTML
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26. 名酒 茅台の里 貴州篇
中国きっての名酒茅台酒は貴州省仁懐県茅台鎮(町)で産する。昨年の冬、わたしは中国民航機に乗って西南へ二〇〇〇キロを飛び、貴州省の省都·貴陽市に来た。すぐ茅台鎮に向ったが、折悪しくその日は寒波の襲来に遭った。山をめぐる道ばたの木々は、まっ白な霧氷がついている。夕方、山々にとり囲まれた谷あいの小さな町、茅台鎮に着くと、頰を撫でるようなそよ風にのって、芳しい酒の匂いがぷんと鼻をついた。ふと「風来りて隔壁
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1986 Issue 3 PDF HTML
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27. 馬帮喜鵲衣火把節 雲南篇
馬帮―山間運送隊一筋の山道が金色のリボンが舞うように、一面の茂みをぬって山上へと伸びている。とつぜん、くぼみの方からクワンクワンという鈴の音が聞こえてきた。鈴の音が近づくにつれて、荷物を積んだ馬の列が、ドドッと馬の蹄をひびかせながら現れた。昨年の冬のことである。西南辺疆の雲南省富民県の山村を訪れたとき、たまたまこの地方に昔からあった荷馬の列にであった。この隊列の最後を歩いている馬方の金さんは、還暦
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1986 Issue 4 PDF HTML
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28. 食在広州 広東篇(上)
広州は、中国南部の古く、かつ美しい都市である。言い伝えによると、昔、五色の着物を着た五人の仙人が、それぞれ毛色の異なった羊にまたがって、南の海からここへやってきた。仙人たちは、穀物の穂を一本ずつ人びとに贈って、この地が飢饉に見舞われないように祈ってくれたという。そこで、人びとは親しみをこめて、広州のことを羊城(ヤンチエン)あるいは穂市(スエスー)と呼んでいる。市の中心にそびえる越秀山には“五羊”の
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1986 Issue 5 PDF HTML
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29. 客家人 広東篇(下)
生まれ故郷蕉嶺県をあとにして久しい。今、民俗探索の取材旅行をかねて、実家を訪ねる。一挙両得というべきか、わたしは“幸せいっぱい”である。朝まだきに、バスで広州を離れた。東行千里、日が落ちてようやく県城に着く。中国共産党蕉嶺県委員会の宣伝部に勤める同窓の黄坤泉君が、出迎えてくれた。宿舎に落ちつくと、黄君がまず桶に湯を汲んできてくれて、旅のほこりと疲れを洗い落とせという。急須にたっぷりと烏竜(ウーロン
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1986 Issue 6 PDF HTML
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30. 白馬寺―インド僧を迎えて開基
雑誌『人民中国』という花園で、私は三十六年間もろもろの中日友好の花を読者のみなさんに紹介してきた。中でも忘れられないのが、仏教関係の取材をした思い出だ。ラクダに揺られてシルクロードの砂漠をのろのろと越えたとき、私は玄奘三蔵のインドへの旅の辛苦に限りない敬仰の念を抱いた。日本の奈良国立博物館で、鑑真和上の日本渡海絵巻を前にしたときは、粛然と襟をただした。命を賭して唐に渡った空海和上、面壁九年の修行に
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2000 Issue 1 PDF HTML