Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:文·丘桓興 写真·姚鎮 丘桓興] Total 205 Search Results,Processed in 0.112 second(s)
-
1. 大相国寺―百万都市とともに繁栄
初めて『水滸伝』を読んだのはまだ若いころだったが、花和尚魯智深が大相国寺の菜園で柳の木を引き抜いた場面は、今もよく覚えている。その大相国寺は、河南省の開封にある。中国六大古都の一つとして知らぬ者はない開封だが、私がこの寺を訪れてまず尋ねたのは、魯智深ゆかりの菜園はどこですかという質問だった。「まだ探しているところです」と住持の心広法師が苦笑いしながら答えたのは、同じ質問をもう何度も受けてきたからに
Author: 文·丘桓興 写真·姚鎮 丘桓興 Year 2000 Issue 4 PDF HTML
-
2. 窰洞のくらし 陜北篇(上)
●巻頭グラフ参照「百里風俗を同じうせず」というように、中国は国土が広く、地域によって自然環境と気候条件がちがうため、人びとの生産活動、日常生活もそれぞれ異なっている。たとえば言語をとってみても、漢族の居住区は八大方言区に分けられる。また、鍾敬文教授(中国民俗学会理事長、中国民間文芸研究会副主席)の見解では、専門の民俗学からみて、漢族の居住区はほぼ十二の大文化区に分かれるという。したがって、風俗、儀
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1983 Issue 8 PDF HTML
-
3. 「閙洞房(ナオドンフアン)」 陜北篇(中)
祝いごとは村じゅうで村の若者、王明鐘さんが結婚の披露宴をあげることになった。庭には「喜棚(シーポン)」―よしずが張られ、臨時の炊事場が設けられている。ブタやヒツジを屠殺するもの、「糜糕」(キビもち)や饅頭を作るもの、窓に切り紙や「囍」の字をはるもの……。みな準備に大忙しだった。お祝いにかけつけたわたしたちをみて、石臼で調味料をひいていた明鐘さんのお父さんが声をはずませていった。「ちょうどよかった。
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1983 Issue 9 PDF HTML
-
4. 剪り紙·麺花·秧歌 陝北篇(下)
窰洞の装飾芸術―勢り紙陝北の黄土高原を旅行すれば、どの家にも窰洞の窓格子や門に剪(さ)り紙が貼ってあるのを見るにちがいない。剪り紙はこの一帯の農村女性の手芸品なのだ。安塞県の農家で、李秀芳さんという女性に会った。彼女は色紙にはさみを入れて鳥や動物、ザクロ、ハス、桃などの花卉をつくってみせた。民話や歴史の故事をえがいたもっと複雑なものもつくることができる。古雑誌にそうした作品がはさんであって、とり出
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1983 Issue 10 PDF HTML
-
5. 華僑のふるさと 福建篇 (中)
古代漢語の“活きた化石”福建にやって来た者にとって、地元の人のことばはまるで外国語のようであって、さっぱり分からない。泉州に着いたその日、宿泊所の服務員は「東挤(ドンジー),傑蹦囉(ジヤボンロー)!」と私たちに声をかけた。同行のカメラマンの魯君もわたしも何をいわれたか分からず互いに顔を見合わせるばかりだった。もし案内者の“通訳”がなければ、これが「同志(トンジー),吃飯囉!」(お客さん、食事ですよ
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1983 Issue 12 PDF HTML
-
6. 海辺のしきたり 福建篇(下)
「封建的なあたま民主的なおなか」山が多く、地形が複雑であるためだろうか、福建は中国でも方言がもっとも多くもっとも複雑な省である。山ひとつ、水ひとつ隔てただけで、もうしゃべる言葉がちがう。方言の違いは、往々にして習俗の違いをともなう。泉州市から三〇キロしか離れていない恵安県の漁村では女性の服装がとても変わっていた。紺色の右前の上衣はきつくて短かく、おヘソがのぞいているほどであるが、黒い絹地のスラック
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1984 Issue 1 PDF HTML
-
7. シルクロードに生きる 甘粛篇(上)
中国の西北部に位置する甘粛省は、古代のシルクロードの通り道である。最近の旅行で記者は、黄河を羊の皮でつくったいかだで渡ったり、ラクダに乗ってゴビ砂漠を跋渉したりして、多くの情趣に富む当地独特の風情を楽しんだのだった。羊の皮のいかだで黄河を渡る甘粛省の省都蘭州(ランチュウ)は、中国の西北部の交通の中枢であるため、毎日、北京から旅客列車四本が出ている。黄河は蘭州市を流れているが、黄河上に船をつなげた浮
Author: 文 ·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1984 Issue 3 PDF HTML
-
8. 砂漠の暮らし ラクダとともに
ラクダは“砂漠の舟”とよばれていた。一、二千年前、ラクダの鈴の音とともに、シルクロードのキャラバンは、中国の絹織物、鋼鉄、茶、陶磁器を西域に運んでゆき、中央アジア、アラブ諸国、ヨーロッパから玉石、真珠、薬材、香料などを持ちかえって来たのである。今では、中国と外国との交流面で汗馬の功労を立てたラクダ隊は、汽車、トラック、飛行機にとってかわられたけれども、甘粛省内の民勤県では、用水路の傍らで水を飲んだ
Author: カメラ·魯忠民 文·丘桓興 Year 1984 Issue 4 PDF HTML
-
9. 敦煙に住む 甘粛篇(下)
民勤県から西へ約千キロ行ったところがシルクロードの要衝、敦煌である。私たちはこの敦煌をおとずれ、古くから伝わる民俗の跡を探ることにした。茫々たる砂漠を車で走りぬけるうち、突然目の前に、緑洲のひろがりが出現した。ああ、長いあいだ憧れていた敦煌―有名な古代芸術の宝庫についたのだ!その興奮で、旅のけだるい気持ちはたちまち吹き飛んでしまった。莫高窟壁画にみる古今の風俗三六六年に最初の石窟が開削されてから、
Author: 文 ·丘 桓 興 カメラ·魯 忠 民 Year 1984 Issue 5 PDF HTML
-
10. 東北農村の春節 吉林篇(上)
中国人にとって、春節(旧正月)は新年(新暦の正月)よりもずっと大事なものである。都市の場合、各政府機関、工場など、新年の休みは一日だけで、春節には三日間の休みになる。農村では、新年になってもほとんどそれらしい雰囲気が見られないが、春節には前後一カ月余もお祭りさわぎがつづく。それというのも春節は三千年以上前からの行事なのである。辛亥革命後の一九一二年、中国は西暦紀元を採用し、以後、新暦の元旦を新年と
Author: カメラ·魯忠民 文·丘桓興 Year 1984 Issue 6 PDF HTML