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Your search : [ author:写真佐渡多真子
文 原口純子] Total 4070 Search Results,Processed in 0.085 second(s)
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2481. 中国農業の現状と未来
「食は生命の源泉」中国は地球上の僅か七%の耕地を使って、世界の人口の二二%を養っているが、これは過去の歴史に照らして奇跡とも言えよう。
Author: 文·孫戦科 写真 王恩普 Year 1996 Issue 3 PDF HTML
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2482. 早春
「如春堂閑談」というタイトルをつけた以上、春を迎えて春に触れないわけにはいくまい。五日間の日平均気温が十度から二十二度までを春、秋とする規準でいくと、北京の春は四月一日から六月四日までの六十五日間となる。だが、これはあくまでも寒暖計にあらわれた春、いわば機械的なものだ。北京市民の眼に、心に映る春は、柳が緑の芽をふき、迎春花が黄色い花をつけ、桃がピンクの花をひらき、白木蓮が白い花をふくらませるころ、
Author: 文·李順然 題字·絵 于叔方 Year 1996 Issue 3 PDF HTML
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2483. 明·犀角弥勒仏
サイの角は中国の古代では貴重な薬の一つで、解熱·解毒などに効くとされた。当時、貴族たちはサイの角を杯に用い、角のわずかな各種の元素が酒に溶ける効果を期待した。明·清の時代には、大型の彫塑よりも、小さく工芸的な装飾品が盛んになり、宮廷貴族の間でサイの角の彫刻が一時の流行になった。サイの角の杯は形や表面の模様が多様で数も多いが、人物を彫ったものは極めて少ない。ここに紹介するのは、アフリカのサイの角を彫
Author: 文·劉静 写真·馬暁旋 Year 1996 Issue 3 PDF HTML
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2484. 病院暮らし
去年の四月は、ほとんど病院暮らしだった。北京人民病院で右足の静脈瘤(りゆう)の手術をしたのだ。まだ物心がつかないころ骨膜炎で入院したそうだが、これはまったく記憶にない。このほか、扁桃腺(へんとうせん)の手術で一週間ほど入院したこともあるが、今度のように一月近い病院暮らしは、わたしの人生にとって最初の体験だった。ちょっとおかしないい方かも知れないが、とても新鮮な体験だった。お医者さん、看護婦さん、患
Author: 文·李順然 題字·絵 于叔方 Year 1996 Issue 4 PDF HTML
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2485. 宋、清·紫檀盒套装蓮花白玉魚(紫檀の器に納めた宋と清代の玉製の魚と蓮)
中国では七千年以上も前から、天然の玉で道具や装飾品を作っていた。飾りには水に住む動物を扱ったものが多く、中でも玉製の魚(以下、中国風に玉魚と記す)が目立つ。玉魚は約三千年前の商·周代にも見られ、古代の重要な服飾品だった。河南省安陽市にある商代中晩期の「婦好」墓からも大量に出土している。玉魚が大いに流行したのは、宋から清代にかけてである。中国語では「魚」と「余」が同じユィという音なので、魚が「余裕が
Author: 文·楊捷 写真·馬暁旋 Year 1996 Issue 4 PDF HTML
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2486. 映像で「女帝」を極めた女優―劉暁慶
テレビ『則天武后』で、まだ武媚娘と名乗っていた若い則天武后が宮廷入りの場面を演じて。(以下の劇中写真は、すべて『則天武后』から)劉暁慶は一九七五年に映画『南海の長城』でデビュー以来、この二十年間人気は一向に衰えを見せない。彼女が主演した映画、テレビ·ドラマ、吹き込んだ歌、著した本、参加したコンサートは、どれも大衆に絶大な吸引力を持っている。彼女は喜劇も悲劇もこなし、『芙蓉鎮』の胡玉音のような温和な
Author: 写真·張又飛 文·暁彤 Year 1996 Issue 4 PDF HTML
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2487. ベルダマヨ
ベルダマヨとは、エスペラントで「みどりの五月」という意味だそうだ。北京にみどりの五月が訪れるたびに、わたしはこのベルダマヨというエスペラントのペンネームを持つ日本人女性のことが頭に浮かぶ。本名は長谷川照子(一九一二~一九四七年)という。長谷川テルという愛称で知られている。長谷川照子は、日本の中国侵略に憤って中国に渡り、揚子江(ようすこう)中流の武漢の放送局のマイクを通じて日本語で「日中戦わず」「中
Author: 文·李順然 題字·絵 于叔方 Year 1996 Issue 5 PDF HTML
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2488. 明·竹刻松樹羅漢
竹刻は竹の製品に人物、山水、図案、模様などを彫った一種の彫刻芸術である。起源は中国の奴隷社会にまでさかのぼるが、考古学的な発掘では、朽ちやすい竹という材質のため発見されることは稀である。古い時期のものとしては、湖南省長沙の馬王堆前漢墓から出た竜紋を彫った彩色の竹の杓がある。竹刻には浮き彫り、透し彫り、陰彫、陽彫、線彫り、丸彫りなどの手法があり、一種の専門芸術となったのは、明代からである。明、清の時
Author: 文·劉静 写真·馬暁旋 Year 1996 Issue 5 PDF HTML
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2489. 南国の別天地と少数民族の里
興隆は海南省東部の万寧県境内にある興隆華僑農場地区にあって、現在すでに温泉休暇村として有名である。興隆温泉は鉱物質の有効成分を豊富に含み、温度は四〇~六〇度、病気の治療や保健によい。付近の風景はやさしく、乳白色のコテージが緑のしゅろの木に映えて、見るからに清々しい。高級ホテル、温泉場、温泉プール、野外バーベキュー場、ダンスホールなども揃っており、旅遊客は温度も雰囲気も快適な温泉浴で、旅の疲れを癒し
Author: ●文 劉東平 ●絵 魯忠民 Year 1996 Issue 5 PDF HTML
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2490. 思い込み
「中日両国民は、いまこそ冷静に、真剣に理解を深めあうときではないだろうか」―これは一九〇〇年生まれ、二十世紀の歴史の流れを見つめつつ、去年九十五歳で亡くなった中国の知日派の大御所、中日友好協会の会長を務めたこともある作家夏衍(シアエン)氏が遺していったことばだ。夏衍氏は青年時代の七年間を日本で過ごしている(明治専門学校、現在の九州工業大学で学ぶ)。夏衍氏は、なぜこれほど中日両国民のあいだの冷静かつ
Author: 文·李順然 題字·絵 于叔方 Year 1996 Issue 6 PDF HTML