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Your search : [ author:写真佐渡多真子
文 原口純子] Total 4070 Search Results,Processed in 0.163 second(s)
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2451. 杜鵑花
北京放送東京支局で仕事をしていたころ、「東京あの花、この花」という雑文を書いたことがあります。そのなかで北京であまり見かけない東京の五月の花の一つとして、ツツジをあげたのを覚えていますが、このツツジが北京にも姿を見せました。といっても東京のように自動車道路の中央やその両側といった街のなかではなく、北京西郊外の陰山嘴森林公園のなかに杜鵑山が誕生したのです。杜鵑とはもともとホトトギスのこと、それに花を
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1994 Issue 5 PDF HTML
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2452. 野菜談議
「……わたしはむしろ北京の花が多く、野菜が多く、果物の多いところが気にいっている。……青菜、白菜、ふじ豆、枝豆、胡瓜(きゅうり)、ほうれん草などなど……。雨のあとには、韮(にら)の葉に雨ではねた泥がついていることもしばしばある。八百屋さんの店先の色どりは詩のように美しい……」―北京に生まれ一生北京を描き続けた作家老舎(一八九九~一九六六年)のエッセイ『北京を想う』の一節です。これは老舎が一九三六年
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1994 Issue 6 PDF HTML
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2453. 蓬萊閣
この世の仙境と言われる蓬萊は、渤海と黄海の交り合う海辺、山東省蓬萊県の丹崖山の頂にある。海上の三つの仙境、蓬萊、方丈、瀛州は昔から、神仙がいて山上には不老長寿の薬があると言い伝えられた。史書には、秦の始皇帝と漢の武帝が神仙と薬を探してみずから訪れたと記されている。有名な「徐福、神仙をたずねる」「八仙人、海を渡る」の物語は、いずれもここが舞台なのだ。蓬萊閣は海沿いの丹崖山上に高くそびえ、前には松や柏
Author: 写真·姜景余 文·秋泉 Year 1994 Issue 6 PDF HTML
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2454. 外来語
前回は胡瓜(きゆうり)、西瓜(すいか)など中国からその名称表記の漢字とともに日本に渡った野菜や果物をめぐるお話でしたが、北京の果物屋さんでは逆に日本から中国に渡ってきたと思われる漢字の名称表記をみかけます。店先にならべられたリンゴの横には「国光(グウオグウアン)」、モモの横には「大久保(ダアチユウバアオ)」、ブドウの横には「巨峰(ヂユイフオン)」……とかかれた札がついているのです。その漢字の名称表
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1994 Issue 7 PDF HTML
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2455. 第四十四 話国字と略字
「『人·文字·暮らし』のカットの繁体字と簡体字、毎号面白く拝見しています。ページをひらくとまず繁体字の方を手で隠してなぞを解くような気持で簡体字を当てるのですが、正解率は五、六十パーセントといったところです」東京の森田一茂さんからいただいたお手紙の一段です。中国の簡体字には日本の方を戸惑わせるようなものもあるようですが、日本の国字(日本で造った漢字)や略字も中国人を戸惑わせ、ときにはちょっとしたハ
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1994 Issue 8 PDF HTML
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2456. 足球
「足球(ヅウチユウ)」とはサッカーのこと、これは第十六話「門球」でも書きましたね。中国ではテレビのスポーツの実況中継でだんトツの視聴率を保っているのはサッカーで、国内での試合はもちろん、十二月の東京の風物詩のようになっている「トヨタカップ」も毎年実況中継されていますし、去年はJリーグのハイライトも放映されていました。中国チームの外国での試合のもようは時差の関係でテレビの中継が真夜中になることもある
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1994 Issue 9 PDF HTML
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2457. 紅旗渠の戦士たちはいま
一人のがんこじいさんがいた。太行山と王屋山の二つの山がわが家の前に立ちはだかっているので、くわで山を掘り崩しにかかった。その無謀をわらった人に、じいさんは言った。わしのあとは息子が、息子のあとは孫が続けてくれるよ、と。感動した上帝は二人め神をつかわし、二つの山を背負って行かせた。 この有名な「愚公、山を移す」の故事を思い起こさせるような壮挙が、一九六〇年代、ところも同じ太行山で達成された。東麓の林
Author: 李建明 師文竜 楊 真 Year 1994 Issue 10 PDF HTML
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2458. 屋号
都として長い歴史をもつ北京には老舗が少なくありません。今回は、こうした老舗のなかからいまも現役として生き続けている何軒かの料理屋さんの屋号をめぐるお話しです。北京料理というとまず頭に浮かぶのは姥鴨(カオヤ)―北京ダックでしょう。この北京ダックの老舗「全聚徳」が店びらきしたのは清の同治三年(一八六四)のことです。「全聚徳」の初代の店主楊全仁はもともと屋台でアヒルやニワトリを売っていました。いくらか小
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1994 Issue 10 PDF HTML
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2459. べールをぬいだニヤ遺跡
今から約二千年前、「精絶」という名で西域三十六国の一つにあげられ、一九〇一年イギリスの探検家オーレル·スタインの発見によって世界の脚光を浴びたニヤの遺跡に対し、昨年秋、五十八名の科学者、考古学者、報道班からなる中日合同調査隊が、史上最大規模の学術調査を行った。タクラマカン砂漠の深部に位置する廃墟とあって、一行の装備も実に大がかりだった。最新の衛星誘導機を始め、無電機、重油、発電機、ガスボンベ、飲料
Author: 写真·文 李希光 林永健 Year 1994 Issue 10 PDF HTML
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2460. ニヤ人の子孫の村
Author: 写真·文 林永健 李希光 Year 1994 Issue 10 PDF HTML