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Your search : [ author:秦泥 孫聡宝] Total 75 Search Results,Processed in 0.119 second(s)
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11. 煙花三月揚州に下る
李白の足跡に沿って春分がすぎたばかりである。乗りこんだ長江航運公司の汽船が武漢港をあとに長江を下っていくと、私の心には、おのずと唐代の大詩人李白(七〇一~七六二)の「黄鶴楼送孟浩然之広陵」(黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之(ゆ)くを送る)が浮かんできた。いうまでもなく、これは、李白が、武昌の黄鶴楼で、広陵(揚州のこと)に向けて旅立つ友人を見送ったときの詩である。故人西辞黄鶴楼,煙花三月下揚州。 孤帆遠影
Author: 秦泥 Year 1981 Issue 6 PDF HTML
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12. 西湖の詩情 山外青山楼外楼…
昨年の中秋節(九月二十三日)のころ、筆者は浙江省の省都·杭州にいた。ふだんでも、美しい西湖を訪れる人は少なくないが、この祝日になると、遊覧客がわっとおしかけてたいへん賑やかである。杭州人の敬愛する二人の詩人それにしても西湖は、何度遊んでもあきないところだ。どんな季節、どんな日でも、天から恵まれた独特なたたずまいで訪れる人を傾倒させる。北宋の大詩人、蘇東坡(一〇三六~一一〇一)の「飲湖上初晴後雨」(
Author: 秦泥 Year 1981 Issue 7 PDF HTML
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13. 尽(つき)ざる長江滾々(こんこん)として流る
「盛唐の気象」を映した詩唐詩、ことに盛唐の詩人の作品を鑑賞することは、私たちの芸術心を楽しませてくれるほかに、情操をつちかい、生活に活力と自信をつけるうえでも役に立っている。王湾が後世に伝えた詩はさほど多くはないが、なかでも「北固山下(ほくこさんか)に次(やど)る」という詩は、千古に伝わる傑作であるといえる。客路青山外,行舟緑水前。 潮平両岸闊,風正一帆懸。 海日生残夜,江春入旧年。 郷書何処達?
Author: 秦泥 Year 1981 Issue 8 PDF HTML
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14. 力は山を抜き気は世を蓋う
詩は血と涙の結晶、生命の火ばなである。美辞麗句をならべればよいわけではなく、真情の吐露、魂の叫びであるべきだといわれる。まったくその通りである。中国史上の一個の英雄―風雲を叱咤(しつた)し、その武勇で世に知れわたった西楚の覇王·項羽にたいしては、どんな称号でよんでもいいだろうが、しかし、彼を詩人とよぶわけにはいかないだろう。だが、垓下(がいか)(いまの安徽省霊璧県の東南あたり)の一戦で漢軍に破れ、
Author: 秦泥 Year 1981 Issue 9 PDF HTML
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15. 昔聞く洞庭の水 今上る岳陽楼
洞庭湖畔の岳陽楼は、よく中国歴代の詩人、文人が遊び、名作を残したところだ。以前から筆者は、これらの詩や文章をつうじて、洞庭湖および岳陽楼について、一種のあこがれをいだいていた。湖南省北部のこの古都岳陽のあたりは、汽車では何度も通ったことがある。水と天とが連なる一望果てしないあの洞庭湖、そして、かすめるように通りすぎるあの岳陽楼の頂きのみごとな眺め―そのたびに筆者は胸をドキドキさせて、はるかなおもい
Author: 秦泥 Year 1981 Issue 10 PDF HTML
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16. 老驥(ろうきれき) 櫪に伏すと 志は千里に在り
後漢末期に、蜀·呉と覇をあらそった魏王(武帝)曹操(一五五~二二〇)は、その評価をめぐって、これまで何度も議論のたたかわされた歴史人物であるが、しかし詩人としてのはなばなしい資質、および中国の古典文学にたいする貢献ということでは、だれもが一致してみとめるところだ。曹操をはじめとする建安文学(建安は漢の献帝のときの年号)グループの出現は、中国文学史上の輝かしいエポックであった。建安の詩風は、帝王の機
Author: 秦泥 Year 1981 Issue 11 PDF HTML
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17. 菊を采る東籬の下 悠然として南山を見る
中学時代に読んだ国文の教科書に、二十行の小詩が載っていたが、その詩の一句一句が、いまでも私の胸に深く刻まれている。それは東晋の大詩人陶淵明(三六五~四二七)の「園田の居に帰る」という詩である。少無適俗韻,性本愛邱山。 誤落塵網中,一去十三年。 羈鳥恋旧林,池魚思故淵。 開荒南野際,守拙帰園田。 方宅十余畝,草屋八九間。 楡柳蔭後簷,桃李羅堂前。 曖曖遠人村,依依墟里煙。 狗吠深巷中,鶏鳴桑樹巓。
Author: 秦泥 Year 1981 Issue 12 PDF HTML
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18. 風蕭々として易水寒し
本来詩人ではないのに、特定の歴史的状況に遭遇しておもわず口ばしった即興的作品が千古の絶唱となる―中国文学史上、このような事例は少なからず見受けられる。戦国時代(前四七五~前二二一)末期に出現した燕国の義士荊軻(けいか)の「易水の歌」は、そのきわだった例であろう。風蕭蕭兮易水寒, 壮士一去兮不復還! 風蕭々(しようしよう)として易水(えきすい)寒し 壮士一(ひと)たび去って復還(またかえ)らず秦王を
Author: 秦泥 Year 1982 Issue 1 PDF HTML
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19. 京都嵐山を詠んだ周恩来の詩
ちょうど本誌連載の次の号のテーマをどうしようかと思案しているところに、静岡県の「中国三誌普及会」と「日中友好協会」から訪日の招待状がとどき、編集部の決定で、私が「中国三誌代表団」の一員に加わって日本をおとずれることになった。日程はつまり、諸事忙しく、この連載をどうつづけようか、頭をいためるうちに、ふと、ひらめくものがあった。人類のすぐれた文化遺産は伝播し受け継がれる。それはむかしから国境線をもたな
Author: 秦泥 Year 1982 Issue 2 PDF HTML
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20. 日本二週間
日本訪問から帰国して、もう一ヵ月たった。東海の友邦の国で過ごした日々の思い出は今もなお、わたしの脳裏に強く焼きついて離れない。この間の行事や感想を整理して書くのは生易しいことではない。しかし、一言で要約することを許していただけるなら、日本での二週間はわたしたちには詩画のなかの「友情は詩に似て、景色は画の如し」というものであった。わたしたち「中国三誌訪日代表団」の四人は、『中国画報』の余斌華を除けば
Author: 秦泥 Year 1982 Issue 3 PDF HTML