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Your search : [ author:楊珍] Total 30 Search Results,Processed in 0.109 second(s)
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11. 清·牙彫群仙祝寿竜舟
今月号は象牙の彫刻「群仙祝寿竜舟」、清代の名品である。北京故宮博物院蔵。長さ九一·五センチ、高さ五九センチ、幅二三·五センチ。舳先(へさき)は高くもたげた竜頭、艫(とも)はそりかえる竜尾。船首や楼上に立つ仙人百態、両舷に八人ずつ並ぶ舟漕ぎの名手。一糸乱れぬ櫓の動き、風にはためく竜旗。波間を突き進む竜舟を彷彿させ、櫓を動かす漕ぎ手たちの掛け声が聞こえてくるようだ。これは皇帝への献上品である。豪華なも
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 6 PDF HTML
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12. 漢·南越王金印竜と皇帝の権力
一七八四年に福岡で「漢倭奴国王金印」が発見されたが、二百年後の一九八三年、「南越王金印」が福岡の姉妹都市広州で出土した。この金印は南越国第二代国王趙昧の璽印(じいん)である。今から約二千百年前のもの。方形で一辺が三·三センチ、高さ一·八センチ、重さ一四八·五グラム。「田」の字の格子が印面に陰刻され、「文帝行璽」の四文字が篆書で彫られている。大きな璽体は荘重で華麗でもある。つまみの鈕(ちゆう)が目を
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 7 PDF HTML
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13. 扇子
今は夏の盛り、扇子を手離せない季節です。扇子には、竹でつくったもの、羽でつくったもの、絹張りのもの、折り畳みのものなど、さまざまな形のものがあります。古くは、あおいで涼をとるのに使っただけでなく、貴族の儀仗にも使われました。のちに、名士雅人は扇面に詩を詠み絵を描き、それを芸術品として所蔵するようになりました。芸術画扇には一、二メートルほどの大きなものもあります。また、昔は、若い男女がよく小さな扇子
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 8 PDF HTML
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14. 商·竜紋銅觥竜と鰐の関係
清代の文豪蒲松齢が書いた短編集『聊斎志異』の中に、「西湖主」と題した美しい物語がある。書生の陳弼教は洞庭湖で猪婆竜の命を助けた。のち、風で船が転覆して水中に投げ出された陳生は、知らぬうちに竜宮へとたどり着く。西湖主の園亭に迷い込んだのが幸い、公主と良縁を結ぶことになる。公主の母は洞庭竜君の王妃、揚子江竜王の娘であり、猪婆竜に変身して災難に遭った時の恩に報いるため公主を嫁がせたことを、あとになって陳
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 8 PDF HTML
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15. 唐·盤竜紋鏡
小説『三国演義』を読んだ人なら多分、曹操の手足(しゆそく)である勇将夏侯惇を憶えているだろう。戦(いくさ)で左目に矢が当り「すぐ矢を抜き出し目玉を食べてしまった」という人物だ。この無鉄砲ともいえる勇猛な行動は、読者に強い印象を残したに違いない。のち、軍中で「盲夏侯」と呼ばれるようになるが、本人はこのあだなが大嫌いで、つねに鏡を見ては怒りがつのり、最後には鏡を地面に投げつけてしまう。幸い、三国時代は
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 9 PDF HTML
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16. 園林都市をめざして 北京の環境整備
「祖国に青い空を」「君たち若者には志や抱負を持ってもらいたい。黄煙をなくし、祖国に青空を取り戻そうじゃないか」七〇年初期、当時まだ健在の周恩来総理は外国要人を伴って北京石油化学工場を視察、触媒剤の生産現場から噴き出る黄煙を見て労働者にこう語っている。スモッグが太陽をおおい隠し、河川は臭気ぷんぷん、路上は騒音の渦、加えて春の吹き荒れる黄砂、これが当時の北京だった。鳥のさえずりが聞こえ、花の香りがあた
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 10 PDF HTML
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17. 竜と鳳
劉備が東の呉に赴いて妻を娶るという『三国志演義』の中の一節が京劇で舞台化されているが、その題名は「竜鳳呈祥」。竜は劉備、鳳は孫権の妹孫尚香のことだが、旧時、皇帝の成婚は天下の慶事であったので「祥を呈す」と呼ばれたのである。竜は男、鳳は女だが、竜鳳自身雌雄の別があると人々は考えていた。『周礼·司常』に「交竜旗と為る」とあるが、交竜はつるむ竜のこと。雌雄なくしてつるむことはむろんできない。『左伝』には
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 10 PDF HTML
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18. 前漢·鏤空螭虎玉佩
装身具の歴史にはかなり古いものがある。山西省で出土した遺物の中に、小孔の穿(うが)たれた石墨片や駝鳥の卵の殻があったが、これなどは装身具の原始的なものと言っていいだろう。今から二、三万年逆上る。人びとがこれに相当こだわるようになるのは、遅くとも六、七千年前からである。黄河下流に大汶口文化を開化させた先住民は、亀甲を身につけることに夢中になっていた。石や骨針を亀甲に取り付けたものなどは、中国の婦人が
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 11 PDF HTML
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19. 漢·竜紋陶井欄 竜と井戸
河南省の登封に古井戸がある。その入口は厚く粗い石で囲いがなされそばに巨大な石柱が立つ。重量のある太い鉄の鎖が井戸の中に垂れ下がっている。一説に鎖の端に蛟竜(こうりゆう)が結ばれ、揺るがせばなまぐさい風が吹き上がり、水は荒れ狂うとある。伝説では、蛟竜は洪水を治めて大功を上げた禹王(うおう)によって鎖につながれ、ひとたび井戸を出れば、全土は冠水すると言われる。「禹王鎖蛟井」と名づけられたこの古井戸は、
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 12 PDF HTML
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20. 中日合弁第一号―中国大塚製薬
先日、天津西南郊外にある中国大塚製薬有限公司を見学した。経営は軌道に乗った中国医薬工業公司と、大塚製薬株式会社の共同出資による中国大塚製薬有限公司は、一九八一年に建設を開始。中日合弁企業の第一号、製薬企業の合弁第一号、天津初の合弁企業と、文字通り「第一号」と呼ぶにふさわしい。八〇年に、契約が結ばれるまで日本側の大塚製薬は、だいぶ意見が分かれたという。投資条件がそろっていない、というのが理由だった。
Author: 楊珍 林曄 Year 1987 Issue 9 PDF HTML