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Your search : [ author:楊珍] Total 30 Search Results,Processed in 0.113 second(s)
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1. 水原明窗氏と中国の切手
白髪童顔、風格あるひとりの日本人が、北京の中国郵趣公司に足を踏み入れると、詰めかけていた切手収集家のあいだにざわめきが起こった。「あの方が水原先生でしょうね」「そうだとも。あの人だよ!」中国の三百万におよぶ切手収集家は、水原氏のことをよく知っている。とくに、一九八五年十月にローマで行われた世界切手展で、氏の「中国海関郵政」がインターナショナル·グランプリを受賞したことは、中国郵趣界にさらに衝激を巻
Author: 楊珍 Year 1986 Issue 4 PDF HTML
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2. 太極拳の“百歳寿星”呉図南翁
近年、生活にゆとりができた中国人は健康長寿を重視するようになり、毎朝早くから悠然と太極拳をする人が多い。これは北京でも街頭風景になっている。太極拳といえば、まず呉図南老先生である。呉式太極拳の宗師呉鑑泉のすぐれた弟子であり、また楊式太極拳の宗師楊少侯の教えを受けた一人でもある。呉式と楊式の太極拳の泰斗であり、太極拳を科学化、実用化する基礎づくりをした人だ。今年百三歳だが、元気で耳も目もしっかりして
Author: 楊珍 Year 1986 Issue 9 PDF HTML
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3. はし
わが娘、といってもまだ六歳、幼稚園に通っていますが、はしがあまり上手に使えないのです。少し教育しなければと思って、子供用の短いはしを買ってきました。「はしでご飯を食べるのは、鉛筆で字を書くと同じでね、手や腕の関節や筋肉がみんなつながって動くので指もよく動くようになるし、頭もお利口になるんだよ」かたわらの妻は、口をへの字にして、そうかしら、というふうな様子です。私は有名人の言葉を拝借せざるを得なくな
Author: 楊珍 Year 1987 Issue 2 PDF HTML
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4. 天津中国第二の商·工業都市
生気みなぎる古都天津は北京から東南へ一一一キロ、汽車ならわずか二時間ほどで着く。近いと言えば確かに近いが、両市の様子はまったく異なる。天津駅からちょっと足を伸ばすと、幅の広い海河に出る。長さ七〇キロほどの海河は、西北から東南へと賑やかな市街地を延々と流れて渤海に注ぐ。永定河、大清河、子牙河、北運河、南運河が合流したのが海河だ。数多く流れる河がこの都市を活気づけ、躍動感がある。空気は多少湿潤で、すが
Author: 楊珍 Year 1987 Issue 3 PDF HTML
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5. 髪でお悩みの方に福音
九州に住む山根さんは「昨年は忘れられない年です」と話す。十年ぶりの美容院、躍る心をおさえることができなかったという。長年、不治の脱毛症に悩み、カツラをつけざるを得なかったからだ。発毛促進剤「大宝」を使用後、「髪の毛が生えてきたんですよ」と山根さん。ユーモアをまじえ、「おかげで暮らしが明るくなりました。これからは、足を北京に向けて寝られません」という。北京の中央民族学院の学生、魏栄発さん。二十八歳。
Author: 楊珍 Year 1987 Issue 11 PDF HTML
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6. 陶寺彩絵竜紋陶盤竜の由来は蛇か
竜の由来は千古不易の謎である。誰一人目にしたことはないものの、竜は中国人一人ひとり、また中国文化の影響を受けた一部の東洋人にとって形象化された存在である。神話上の動物ではあっても、その由来を話し合うのは興味ある共通の話題であり、一種面白い文化現象だといえよう。一九七八年に発掘が始まった山西省襄汾県の陶寺遺跡から八〇年、「彩絵竜紋陶盤」(皿の一種)が出土している。竜の文様をもつ遺物としては中原地区で
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 2 PDF HTML
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7. 新石器時代·陶壺
一九五八年に発掘が始まった陝西省宝鶏北首嶺の新石器時代遺跡から、九〇〇余点の土器が出土しているが、そのうち陶壺だけでも九一点ある。これら壺のほとんどは、きめの細い褐色の陶器で、様式は十八種類もあり、造型もきわめて美しい。とくに注目されるのは、「水鳥銜魚図」が描かれた陶壺である。その肩の部分に、羽を拡げて魚の尾をくわえようとする一羽の水鳥と、逃げようともがいている一匹の魚とが、実にいきいきと描かれて
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 3 PDF HTML
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8. 殷·婦好墓玉竜
中国人は、神話の竜と、自然界の虎を、並べて「竜虎」と考える。竜は爬虫類の王、虎は百獣の王だ。竜は神秘で、虎は勇ましい。古来、雲は竜に従い風は虎に従うといわれ、竜虎が出没する時には、風と雲が巻き起こって威風を添え、竜虎がうそぶけば、山河は色を失い、生き物はおののくとされている。古人は竜虎を力の象徴と見なしていた。『三国志』は、諸葛亮の雄才大略を「竜驤虎視(りゆうじようこし)」と称えているし、『史記』
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 4 PDF HTML
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9. 「敦煌」上映を前に 冠鴻烈さんを訪ねて(中国側 美術監督)
構想に十五年、準備に五年、中日両国映画人の“夢”だった『敦煌』の映画化が、ついに実現した。炎熱のゴビ砂漠に大ロケーションを敢行。敦煌県内には総面積二万五千六百平方メートルの古代敦煌城まで建設された。『敦煌』の時代は宋代。シルクロードの大ロマンは、中日双方の美術関係者の力強いスクラムがあって、はじめてその実現をみたのである。「ちょうどいい時に取材に見えましたね。たった今、日本から『敦煌(とんこう)』
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 5 PDF HTML
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10. 三星他拉玉猪竜
竜と豚。前者は神霊であり、雷電、雲火のごとく天を飛び回り、大波を巻き起こして海を疾駆し、その姿は雄偉で壮麗。一方、後者は俗物で、地上でえさを取り、泥の中に寝ることしか知らず、体つきは愚鈍だ。両者は天と地ほど隔たるので、同日の論ではない。だが、遼河流域で出土した紅山文化時期の竜形の玉と獣形の玉は、竜と豚にまつわる面白い話題を提供することとなった。これらの玉器の中で最も注目されるのが、玉竜(玉彫りの竜
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 5 PDF HTML