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Your search : [ author:■文と写真 村山孚] Total 53 Search Results,Processed in 0.091 second(s)
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11. “古都圏”洛陽
卑弥呼(ひみこ)の使者もやってきた実をいうと、この連載企画の計画段階では、洛陽は外してあったのだった。理由は、洛陽はあまりに有名な古都であり、竜門石窟、白馬寺などもふくめて、すでに日本にもしばしば紹介されており、筆者ごときがそれに加えることはなかろうと思ったのである。この考えを『人民中国』翻訳部のY君にいうと、かれはニヤリと笑って、こう言ったものだ。「中国には、鬼の絵はかきやすいが犬の絵はかきにく
Author: 文と写真 村山孚 Year 1982 Issue 8 PDF HTML
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12. 暖簾·暦·期末試験
ヒョンなことから、この欄に登場させてもらうことになった。というのは、本誌の編集者とよもやま話をしているとき、たまたま私が、中国と日本のノレンについて、おこがましくも“うんちく”を傾けたのである。真冬になると、北京の商店、ビル、あるいは個人住宅などの入り口に、よく「綿入れのカーテン」がぶら下がっているのをみかける。カーテンといっても、帆布、レザー、綿布などの皮に繊維クズをいれたもので、早い話が玄関に
Author: 村山孚 Year 1981 Issue 1 PDF HTML
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13. 立春·探親(タンチン)·旧正月
人間は、ふしぎというか手前勝手というか、若いころは元気がいいから天下がみな自分のためにあるような気がして、まわりを思いやるゆとりもなく、概して四季の変化なども気にとめない。ところが、年をとってくると、天地自然に同化する日が近づくせいか、四季の変化がそれぞれにいとおしくなってくる。かく申す小生も、“半百”をすぎて半白となり、酒量がおちだすころから、お定まりコースで植物にこりだした。こちらにくる前、毎
Author: 村山孚 Year 1981 Issue 2 PDF HTML
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14. まだ脱げない綿入れ
日本の三月といえば、学校は卒業シーズン、会社や官庁は年度末で、何となくあわただしい。四月の人事異動や定期昇給をひかえ、廊下トンビが活やくし、赤提灯はうわさやぐちでにぎわい、中間管理職は不眠症となる。東京のさる病院に勤めている友人の医者に聞いた話だが、例年、三月、四月は管理職の胃カイヨウ患者が急増するそうだ。いうまでもなく悩みが胃にくるわけである。さて、こちら中国の三月には、こういう話題はない。中国
Author: 村山孚 Year 1981 Issue 3 PDF HTML
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15. 「激しい春」に思う
北京にはポプラ並木が多い。三月末のある朝、それまで寒々としていたその枝先に、突然、猫のしっぽのようなものがいっぱいぶら下っているのに気づく。二日目、三日目、みるみるそれは大きくなり、並木の枝をうずめつくす。葉よりも先に咲くポプラの花の房なのである。間もなく風で散り、道ばたのくぼみに吹きよせられると、ゴミのようで、言われなければとても花とは気づかないくらいだ。これは飼料にもなるらしい。これと前後し、
Author: 村山孚 Year 1981 Issue 4 PDF HTML
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16. メーデーと柳絮(りゆうじよ)
北京の通りには、旅行者のあまり気づかない、ささやかな“秘密兵器”が三つある。一つは自転車の空気入れである。自転車修理店や工場の塀など、道に面したところに、小さな穴からゴムホースがちょこんと顔を出している。中はどういう仕掛けになっているか知らぬが、このホースから圧搾空気が出てきて、だれでも無料で利用できるのだ。中国で自転車をあまり見かけないところは坂の多い重慶の町だけだといわれるくらい、自転車は中国
Author: 村山孚 Year 1981 Issue 5 PDF HTML
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17. 雨·合歓(ねむ)の花·ちまき
六月の天気とくれば、日本ではまず、梅雨入りということになろう。六月から七月にかけ、日本各地はジメジメと連日の雨、稲の成長にとってなくてはならぬことはわかっていても、まことにうっとうしい。この梅雨は日本特有の現象であり、梅雨ということばも日本製かと思っていたら、なんとこれは中国産であった。物知りに聞いて知ったのだが、遠く七世紀、唐の太宗の詩に「和風吹緑野,梅雨灑芳田」とあり、また十六世紀の薬学者李時
Author: 村山孚 Year 1981 Issue 6 PDF HTML
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18. 酸梅湯(うめのジュース)、氷棍(アイスキヤンデー)、啤酒(ビール)
北京の城壁跡は、いまではすっかり整備されて、旧市街をとりまく環状道路になっている。とくに、内城の南側―崇文門、前門、宣武門をつらぬく部分は前三門大街といわれ、これに面して高層住宅が立ち並び、地下鉄が通り、古い北京のおもかげはまったくない。この前三門大街の西端近くに、「象来街(シアンライ)」というバス停(地下鉄は長椿街)がある。変わった名前だなと思っていたら、清末の一八八〇年代ごろまで、ここに象舎が
Author: 村山孚 Year 1981 Issue 7 PDF HTML
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19. あの日、どこで、何を?
日本の歳時記「八月」のくだりには、「八月十五日―終戦記念日」という項目が入っている。この日は、犠牲者を慰霊する政府主催の「追悼式」や、平和への誓いを新たにする民間団体の行事などが開かれる。中国では「八一五光復」の日である。対日関係への配慮からであろうか、とくにこの日の催しはないが、「新歳時記」担当者としては、この日を避けて通る気にはなれない。知っている数人の北京市民に、あの日、どこでどうしていたか
Author: 村山孚 Year 1981 Issue 8 PDF HTML
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20. 入学、中秋節、月餅…
漢字が日中共通だから……などと思っていると、「手紙」がトイレットペーパーだったり、「検討」が自己批判を意味することだったりするから、油断ならないということはよく言われるが、いくら文字をにらんでも、さっぱり意味のわからないことばもまた多い。たとえば、中国の新入学シーズンである九月にちなんで言えば、「走読生」―走りながら本を読む学生なんて早合点しないでください。寄宿舎に入らず自宅から通学する学生のこと
Author: 村山 孚 Year 1981 Issue 9 PDF HTML