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Your search : [ author:写真·文 周衛軍] Total 538 Search Results,Processed in 0.120 second(s)
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101. 景観と資源の宝庫 長白山
海抜二七〇〇メートルの長白山は、「ユーラシア大陸の緑の長廊」といわれる名山で、一九八〇年世界の「人と生物の自然保護圏」に選定された。ここはまさしく天然資源の宝庫だ。豊かな森林では薬用ニンジン、オニノヤガラ、キクラゲ、ヤマブシタケ、ワラビ、ゼンマイ、チョウセンゴミシ、アミガサユリなど市場価値のある植物が千三百余種採れ、東北トラ、ニホンシカ、ツキノワグマなどの珍しい野生動物が約二百五十種生息している。
Author: 写真·文 馮進 Year 1997 Issue 9 PDF HTML
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102. 新型通信衛星の打ち上げに成功
今年の五月十二日、新型通信衛星「東方紅三号」が、人工衛星発射ロケット「長征三号甲」に搭載されて、西昌衛星発射基地から地球の静止軌道を目指して打ち上げられた。衛星はパーキング軌道に入ると、地上と海上から指示を受けて太陽電池パネルと通信アンテナを開き、推進ロケットの三次点火をおこなって姿勢と軌道の修正をするなど、一四〇もの制御操作を完了して、八日後見事に地球の静止軌道に入り、東経一二五度の赤道上空で自
Author: 写真·文 若虹 Year 1997 Issue 9 PDF HTML
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103. 絶滅の危機に瀕する三峡の植物を救う
長江の三峡地区は中国でも珍しい植物が集中的に分布している所である。七千万年も昔、この辺りの標高一二○○メートル以下の地帯に分布していた大量の植物は幸いなことに秦巴(チンバー)山脈に遮ぎられて氷河時代の酷寒を免れ、今日まで繁殖を続けている。この狭い地域には世界のどこにも見られない植物が三十七種を数え、樹齢百年を超える古木が五千本余り残っている。ところが、いま進められている三峡ダム建設工事が二十一世紀
Author: 写真·文 梁 超 Year 1998 Issue 1 PDF HTML
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104. チべット族の町·ダルドへ
ダルド(康定)県は総面積15万平方キロの四川省ガルゼ·チべット族自治州にある。チベット族のほかに漢族、チャン族、回族、イ族など多くの民族が住み、県の人口は10万。歌舞、演劇、絵画などチベット族の多彩な民間芸術が盛んで、ここで歌われ始めた「馬をパカパカ と走らせてきた山の上に、雲がポッカリと浮かんでいたよ(跑馬溜溜的山上(ハオマーリウリウタシャンシャン),一朵溜溜的雲呦(イートゥオリウリウタユンヨー
Author: 写真·文 馮進 Year 1998 Issue 2 PDF HTML
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105. シーサンパンナにある国境線上の村
雲南省シーサンパンナのダイ族自治州勐臘(エノラー)県にある小さなヤオ族の村―馬叭(マーパー)村には、中国とラオスの国境線が通っている。一九九二年三月に両国政府が国境を画定したさい、ヤオ族の農民―李民忠(リーミンチヨン)さんの家がちょうど国境線上にあったため、このわずか五〇平方メートル足らずのわらぶき小屋の半分は中国領、半分はラオス領となり、ちょうど大黒柱が国境を分けることになった。小屋の低い入口を
Author: 写真·文 任琴 Year 1998 Issue 2 PDF HTML
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106. 国宝シフゾウの「回収作戦」に成功
昨年の夏、長江がはんらんして湖北省石首(シーショラ)市の鵝洲(オーチョウ)湿地シフゾウ自然保護区が水浸しになった。保護区にすむ百三十四頭のシフゾウは驚いて、囲みを破り、長江を渡って遠くへ逃げた。シフゾウというのは中国原産のシカの一種で国家一級保護動物に指定されている。シカのような角、馬のような顔、牛のひずめにロバのしっぽをしているが、全体としてはどれにも似ていないところから「四不像(スープーシアン
Author: 写真·文 邱焰 Year 1998 Issue 2 PDF HTML
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107. 「病院列車」、無料診療で成果
安徽(アンホイ)省阜陽(フーヤン)市に住む邵(ンヤナ)さんはことし八十一歳。彼女の左眼は十年前から完全に失明している。昨年七月、北京の中日友好病院眼科の孫心銓(ソンシンチュアン)教授が人工水晶体の移植手術を行い、二日後に邵さんの眼は視力を取り戻した。この種の手術の料金は普通四〇〇〇元だが、邵さんの掛かった病院では無料。これが中国で最近お目見えした「病院列車」である。この「病院列車」は昨年七月一日香
Author: 写真·文 于傑 Year 1998 Issue 2 PDF HTML
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108. 娘ひとり広州で象棋修業
彼女の名は柴崎順子さん、二十三歳。今年の初め親元を離れ、一人東京から広州にやってきた。目的は象棋(シャンチー)(中国将棋のこと)の勉強で、中国でも有名な陳松順さんの家に約二十日間下宿し、直接その指導を受けた(写真)。順子さんと象棋との出会いは十四歳のとき。父の事業の関係でハルビンに住んでいたころ、父が指しているのを見てたちまちそのとりこになり、わずか数日で基本的な指し方をマスターしてしまった。以来
Author: 写真·文 鄭迅 Year 1998 Issue 6 PDF HTML
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109. シーサンパンナがいっぱい―梅苑飯店ダイ風大酒楼
今から二、三十年ほど前、北京のレストランで出る料理と言えば、魚か肉に決まっていた。当時はまだそういうものが乏しく、食用油も不足していたからだ。だが改革開放後、暮らしが豊かになり、今はもう北方の寄せ鍋から南方の生鮮魚介類まで何でも食べられるご時世。経営者もいろいろ勉強して、料理そのものはもちろんのこと、料理を提供する環境にも民俗的な、文化的なプラスアルファを売り物にしたレストランがずいぶん増えてきた
Author: 写真·文 郭実 Year 1998 Issue 7 PDF HTML
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110. 羊肉で気分はシルクロード新疆材食堂街
八○年代に入って、地方から北京に出かせぎに来る人がどんどん増えてきた。臨時雇いとか個人営業とか、世過ぎの道はさまざまでも、同じ省から来た人が一カ所に固まって住むようになり、「浙江村」「安徽村」「新疆村」といった「村」が自然にできてきた。どの村もそれぞれの特色があるので、例えば服を買おうと思えば浙江村に行く。浙江省の人は昔から縫製のうまさで有名だからだ。そして西部の味を賞味したいと思えば、行くところ
Author: 写真·文 郭実 Year 1998 Issue 9 PDF HTML