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Your search : [ author:北京放送元副編集長 李順然=文] Total 50 Search Results,Processed in 0.129 second(s)
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1. 下町情緒残す老舗たち
古都には老舗(しにせ)がある。北京も例外ではない。百年、二百年、さらには五百年近い暖簾(のれん)をもつ店が、今日も営業を続けている。老舗が生き続けていることは、古都のかけがえのない財産だと思う。そこで、北京の数多い老舗から、北京の浅草ともいわれる「大柵欄」(ダアシーラア)の老舗を数軒、紹介してみよう。地下鉄環状線の前門駅を降りると、北側には天安門と天安門広場が、その南側には前門がある。前門は故宮、
Author: 北京放送元副編集長 李順然=文 Year 2007 Issue 3 PDF HTML
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2. 北京の味 日本人の舌
北京を訪れた日本人に「なにが美味しかったか」と聞くと、十中八九、「北京ダック」と答える。作家で、北京を舞台にした『蒼穹の昴』などの作者である浅田次郎氏は、北京前門の全聚徳の「北京ダック」を世界一うまい食べものだとし、「一年に一度のこの絶世の美味は、理屈ぬきの幸福をわたしにもたらしてくれる」と書いている。ところで、昨今の北京では街のあちこちに北京ダックを食べさせる店が出現し、浅田氏のいう前門の全聚徳
Author: 北京放送元副編集長 李順然=文 Year 2007 Issue 4 PDF HTML
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3. じわりと変わる北京っ子の気性
北京っ子の気性を論じたエッセイは多い。そのかなりが、上海っ子との対比に触れられているのはおもしろい。北京でも、上海でも生活の体験がある中国の文豪、魯迅は、一九三四年に「北人と南人」というエッセイを書いているが、ここでいう北人には北京人が、南人には上海人がふくまれているとみていいだろう。このエッセイで魯迅は「私の見るところでは、北人の優れている点は重厚さであり、南人の優れている点は機敏さである」と書
Author: 北京放送元副編集長 李順然=文 Year 2007 Issue 5 PDF HTML
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4. 胡同名に込められたユーモア
北京は胡同(横町)の街である。六千余の胡同が東西南北、街を縦横に走っている。胡同のルーツは、元王朝のフビライが至元八年(一二七一年)、北京に都を置き大都と称したときにまで溯(さかのぼ)ることができる。胡同は、フビライが蒙古の草原から持ってきた言葉、つまりモンゴル語の「フードン」(井戸)という音に「胡同(フートン)」という漢字をあて、井戸のある横町を胡同と呼んだ。その後は井戸のある無しを問わず、横町
Author: 北京放送元副編集長 李順然=文 Year 2007 Issue 6 PDF HTML
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5. 北京古刹のベストスリー
北京には古刹が多い。手もとにある『北京名勝古跡辞典』をみただけでもざっと百六十ほど、実際にはこれを大きく上回るだろう。いちばん古いお寺は北京西郊外の潭柘寺で、千七百年も昔の晋王朝(二六五~四二〇年)の時代に建立されている。どうして、こんなに古いお寺が、こんなにたくさん、北京に生き続けてきたのだろうか。皇帝もふくめてこの土地の支配者に仏教信奉者が多かったのも、その一つの要因かもしれない。中国の歴史上
Author: 北京放送元副編集長 李順然=文 Year 2007 Issue 7 PDF HTML
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6. 「八八八八」に込めた願い
北京オリンピックは、来年二〇〇八年の八月八日から三週間にわたって開かれる。そして、開会式は八日の午後八時、「八」という数字を縁起のよい数字とする中国人は、「八·八·八·八」と「八」の四重奏の開幕の日取りを大安吉日と手をたたいて喜び、もう北京オリンピックはなかば成功したかのように浮き浮きしている。先日、北京オリンピックを観戦に来るという日本の友人から「北京の八月も暑いことでしょう。東京の八月は、一年
Author: 北京放送元副編集長 李順然=文 Year 2007 Issue 8 PDF HTML
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7. 城壁と地下鉄とバスと
北京オリンピックを前に、北京では地下鉄の新しい路線が急ピッチで増設されているが、市民からいちばん親しまれているのは、やはり以前からあった1号線と、俗に環状線ともいわれている2号線だろう。1号線は北京のメインストリートである長安街の地下を走っており、2号線は旧北京を囲む城壁の跡の地下を走っている。2号線、つまり環状線には十八の駅があるが、そのうちの十一の駅は復興門、西直門、阜成門といったように「門」
Author: 北京放送元副編集長 李順然=文 Year 2007 Issue 9 PDF HTML
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8. 多くの人材生んだ北京
北京の最大の魅力は、この土地に、人類が五十万年にわたって絶えることなく営々と生き続けてきたことだろう。五十万年前の人類である北京原人(シナントロプス·ペキネンシス)の化石が北京西郊外の周口店で発掘されたのに続いて、二十万年前の人類である新洞人、二万年前の人類の山頂洞人の骨や歯、石器などが周口店一帯で出土した。また、一万年前から四、五千年前の新石器時代の遺跡になると、北京の東西南北あちこちで見つかっ
Author: 北京放送元副編集長 李順然=文 Year 2007 Issue 10 PDF HTML
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9. 坂のない「平原」の街
私は子どものころ、東京の代官山に住んでいた。東横線の踏切を渡って坂を登りきったところに、私の家があった。幼児洗礼を受けたのは赤坂の霊南坂教会、あのあたりも静かな坂が多かった。小学校は九段の暁星だった。中央線の飯田橋で降りてしばらく歩き、坂を登ったところに小学校があり、さらに登ったところに中学校があった。なにしろ、東京は坂の多い街である。二十歳のとき、この東京から北京に来て暮らすようになる。北京には
Author: 北京放送元副編集長 李順然=文 Year 2007 Issue 11 PDF HTML
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10. 「同一个世界 同一个夢想」
一月号のこのコーナーで、中国共産党と中国国民党の戦いでの北京平和解放について書いたが、元王朝と明王朝の戦いでも、それに続く明王朝と清王朝の戦いでも、北京はほぼ平和「解放」であった。元·明合戦では、明軍の攻撃を待たずに元の皇帝の順帝や皇太子たちは、北京の北の城門である徳勝門から故郷の蒙古草原に脱出している。その三日後、洪武元年(一三六八年)八月二日に明の名将である徐達将軍の率いる明軍が、北京の東の城
Author: 北京放送元副編集長 李順然=文 Year 2007 Issue 12 PDF HTML