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Your search : [ author:丘桓興=文 劉世昭=写真] Total 150 Search Results,Processed in 0.111 second(s)
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71. 中国——日本 友好の絆⑩ 洛陽
Author: 張春侠=文劉世昭=写真 Year 2012 Issue 12 PDF HTML
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72. 長城直下のスノー·リゾート
Author: 李明慧=文 劉世昭=写真 Year 2015 Issue 2 PDF HTML
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73. 復帰15周年迎え魅力増す世界遺産都市
Author: 単濤=文 劉世昭=写真 Year 2015 Issue 3 PDF HTML
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74. 中国——日本 友好の絆⑦ 瀋陽
Author: 張春侠=文 劉世昭=写真 Year 2012 Issue 8 PDF HTML
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75. 「囲屋」に暮らしたあのころ
私のふるさと、広東省の蕉嶺県藍坊鎮藍坊村は、山々に抱かれた客家(はっか)の住む村である。渓峰河という河川が、村の中をくねくねと流れている。山に寄りそうようにして建つ民家や学校を合わせれば、外観はまるで南北方向に置かれた、縁起もののヒョウタンのようである。そのヒョウタンの東北角にある「鉅美堂(きょびどう)」(鉅美とは、先祖·丘鉅美を指す)は、いまから百四十年前に建てられた、わが一族の旧家である。正門
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 1 PDF HTML
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76. 太極図かたどる池とともに
わが旧家、広東省·藍坊村の「鉅美堂(きょびどう)」の前に、半円形の池がある。直径約四十メートル、水深約一メートル。池端には石が積み重ねられ、遠望すると一列一列、珠玉がはめ込まれているかのようである。その東側は門前の平らな道で、西側は菜園である。菜園にカボチャを植えた人がいて、水上の棚にはカボチャがぶらりと垂れ下がっていた。北側の野原にはザボンの木があり、秋になると黄金のザボンがたわわに実った……。
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 2 PDF HTML
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77. 一族を見まもる「風水林」
客家(はっか)の民家は、山沿いにあっても、田畑のそばにあっても、家屋の後ろに木々や果樹、竹を植える習慣がある。木々の種類は、ほとんどが旺盛な繁殖力をもつマングローブやクスノキ、ハシバミ、マツなどである。いずれも亭々としてそびえ、枝葉が茂り、その根を張り巡らせている。いったん植えられると、おのずと生い茂る樹木なのだ。とくに祠堂(祖廟)の後ろの林は、子孫の幸せを見守り、一族の繁栄をかなえるとされた「風
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 3 PDF HTML
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78. 古寺の小学校に学んで
私が学んだ「藍坊小学校」は、広東省蕉嶺県·藍坊村の東南に位置する小山のふもとにあった。ここは、もともと千年の古刹·保慶寺だった。県史によれば、宋の時代、この村には藍奎(らんけい)という文人がいた。彼は読書をよくし、書にすぐれていた。宋の哲宗·元祐三年(一〇八八年)、藍奎は都に赴き、「進士」(科挙制度における最高の試験「殿試」に合格したもの)となって、都で役人勤めをしていた。その清廉剛直な気質やすぐ
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 4 PDF HTML
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79. 神やどる橋のある暮らし
授業が終わり、帰宅してカバンを置くと、水牛を河へ水浴びに連れて行った。夏から秋にかけての毎日の日課であった。水牛が水浴びをしている間は、友だちとともに、傍らにある木橋の上で遊んだものだ。村を流れる渓峰河には、合わせて六本の橋があった。遊んだ橋は、アーチが二つある木橋である。高さは約五メートル。全郷一の高さをほこり、「高高橋」と呼ばれていた。橋床の板は(前と後ろで)長さが異なり、短い方は五メートル、
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 5 PDF HTML
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80. 辛くも楽しい深田の思い出
少年時代のこと、母に連れられて「弓背坑」と呼ばれる湖洋田(深田)へ行った。田に埋め込んだ松を足場として立ち、田植えをした辛さが今も忘れられない。湖洋田は、山坑田(山間の水田)の一種である。湧き水の源にあり、年中、水浸しになっていた。水の冷たい泥湿地であり、底が深く、湖や洋(うみ)を思わせる。そのため「湖洋田」と名づけられていた。深さは一メートルほどだが、水源あたりの田などは深さが二メートルに達する
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 6 PDF HTML