Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:丘桓興=文 劉世昭=写真] Total 150 Search Results,Processed in 0.106 second(s)
-
81. 愛に支えられた中学受験
一九五三年六月、小学校の卒業式で、私たち同級生四十数人は講堂(元の保慶寺の仏堂)におごそかに立ち、李仕俊校長の激励のあいさつを聞いていた。「みなさん、これからはよく復習をして、中学校に進学するよう励んでください」。(当時は、九年制義務教育がまだ普及していなかったからだが)、つづいて李校長から卒業証書が手渡され、卒業式は幕を閉じた。その後、まもなくして中学入試を迎えた。藍坊郷の生徒はもともと、県庁所
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 7 PDF HTML
-
82. 貧しき中に温もりのある寮生活
一九五三年九月、広東省·高思郷にある「高思僑興中学」(略称·僑中)の入学日に、私たち四人の同級生は連れだって行った。私は、かつて母の嫁入り道具だった大きな赤いトランクをもらい、そこに必需品を詰め込んだ。しかし、まだ空きがあったので、いとこの丘梅興の小さなトランクもそこに入れた。そして、この大きなトランクを縄を使って竹ざおに組み、梅興と二人で担いで向かった。いとこの福蓮がそれを見るなり、「二人して赤
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 8 PDF HTML
-
83. 楽しかった藪の中での勉強
広東省蕉嶺県高思にある「僑興中学」での三年間は、ずっと「回」字形の校舎の南東隅にある大教室で授業を受けた。そこはどこの教室より明るく、最も暖かい教室であった。当時わたしは、背が低かったので、いつも最前列に座っていたため、一生懸命に授業を聞いた。先生が質問するたびに、すぐに手を挙げて、先を争って答え、よく褒められた。わたしは教科書以外の課外読物が好きだった。授業が終わるベルが鳴ると、教室を飛び出し、
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 9 PDF HTML
-
84. 二次葬の塚が見守る課外活動
広東省·高思郷の「僑興中学」での暮らしは辛かったけれど、課外活動はとても楽しく、活発だった。朝六時起床。身じたくを整えると、東の山の坂下にあるバスケットボール·コートへ急いで向かった。朝の体操をするためだ。不思議なことに、体育の黄国椿先生はコートの北側にある墓の上に立って体操をするのだった。客家人には「二次葬」をする習慣がある。人が亡くなり土葬してから四、五年後、その身内の者が棺(ひつぎ)を開いて
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 10 PDF HTML
-
85. 妖怪? ハクビシンを退治する
昨春、中国の一部で新型肺炎SARSが発生した。感染源を追究すると、ハクビシンが元凶の一つではないかと言われた。ハクビシンといえば、私は少年時代のあるできごとを思い出す。一九五三年秋、広東省·高思郷の「僑興中学」に入学したころのことだ。ある晩、教師がいつものように笛を吹き、消灯になった。同室になった数人のクラスメートとベッドに寝転び、おしゃべりを楽しんでいた。そのとき突然、東の山すそにある墓地から、
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 11 PDF HTML
-
86. 師の恩情は山のごとく重し
師を敬い、教えを重んずるのが客家(はっか)人だ。幼いころの私は、教師の教えと愛情をタップリと注がれた。当時のことを思い起こせば、まさに「師の恩情は山のように重い」。そう強く実感している。一九五三年、広東省の「僑興中学」に入学したばかりのころ、私はよくマラリアの発作を起こした。患ったときには、一日おきに悪寒や発熱に見舞われた。ある日の午前、授業中にまた寒気がして、ブルブルと震えだした。教師は私に「宿
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 12 PDF HTML
-
87. 符号で暮らしを歌い継ぐ
貴州省の東部、鎮遠県の?陽河から上流へ約五十キロの地点に、同省の漢方薬材の基地―施秉(しへい)県がある。ミャオ族が主に居住している。ミャオ族は歌や踊りに長けていて、新年や祭日をはじめ、宴を開いたり、家を建てたりする際に、歌を歌って祝うのだ。とくに婚礼の時になると、双方の歌の師匠が古代の婚礼習俗を伝える「開親歌」を披露する。歌をもって返答し、三日三晩歌い続ける人もいる。歌の師匠の「ノート·パソコン」
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2003 Issue 3 PDF HTML
-
88. 長江上流の経済の中心地 重慶
中国の地名にまつわる謎々に「二つの良いことが門から入ってくるのは、どこ?」というのがある。答えは重慶だ。ご覧の通り、慶事が重なると書くからだ。重慶は長江(揚子江)の上流にある歴史の古い街で、二万年以上も前の旧石器時代に早くも人類がこの地域で生活していた。約三千年前の西周時代には江州と呼ばれ、巴国の首都だった。重慶は長江と嘉陵江の合流点にある。嘉陵江は古くは渝水と呼ばれ、五八九年に江州から渝州と改名
Author: 文·劉世昭 写真·黄平 田捷民 劉世昭 Year 1997 Issue 3 PDF HTML
-
89. 儒家思想はぐくんだ孔子の里
「著名な思想家で、教育家である孔子と、この建築物は密接な関係がある。2000余年来、それは歴代の封建王朝の祭祀の対象であった。中国悠久の歴史における、もっともすぐれた宗教芸術であり、建築物の代表である」―1994年10月、国際記念物遺跡会議(ICOMOS)の「曲阜三孔」への評価から。曲阜は、中国北方の山東省西南部に位置する。偉大な思想家で、教育家であった孔子は紀元前五五一年、ここに生まれた。曲阜三
Author: 候賀良 劉世昭=写真 劉世昭=文 Year 2003 Issue 5 PDF HTML
-
90. ハイテクで生まれ変わる大慶油田
中国最大の油田、大慶油田は、中国の国造りの牽引車となってきた。一九六〇年代に開発されたこの油田は、多くの原油を日本に輸出して外貨を獲得するとともに国内の産業に石油を供給してきた。 荒野の中で油田を発見し、採掘するのは並たいていのことではない。「刻苦奮闘」の精神を発揮した労働模範の王進喜は「鉄人」と称えられ、いまも中国の人々の心の中に生きている。
Author: 李耀武 宋頴群=文 劉世昭=写真 Year 2003 Issue 10 PDF HTML