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Your search : [ author:撮影 臧延祚 葉 軍 狄華] Total 738 Search Results,Processed in 0.121 second(s)
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61. 筆の町―善璉鎮
浙江省湖州市善璉鎮は、蘇杭大運河に沿う水郷の一つ。美しい風光にあこがれて訪れる客が多い。「文房四宝」といえば、筆、墨、紙、硯の総称。その首位におかれるのが筆である。なかでも、善璉鎮産の「湖筆」がもっとも有名だ。筆のつくりが精緻で、工芸品としての価値が高い。材料選びから完成までに十二の工程を経るが、みな熟練した職人の手でつくられる。湖筆は、鋒毛がよくそろい、穂先はしなやかな中に強さがあって、内外の書
Author: 写真 狄華 Year 1988 Issue 12 PDF HTML
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62. 自然保護区の遊牧民 新疆·北哈巴河(ペイハバホ)郷
ペイハバホ郷は人口400人、牧畜をしているカザフ族の村だ。新疆の最北部、アルタイ地区のブルチン県の西北隅にあって、ソ連と境を接している。ウルムチ市からは約800キロの所で、バスが通ってはいるが、道がけわしいので、三日もかかってたどり着く。村はハナス自然景観保護区の中にある。ハナスは蒙古語で美しく豊かで神秘なという意味だ。村はシベリア落葉松や、杉、赤松など、見上げるような、うっそうとした原始林にかこ
Author: 写真 狄華 Year 1989 Issue 3 PDF HTML
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63. 新生「絲綢古道(シルクロード)」 中国パキスタン公路改修成る
これまでシルクロードの旅といえば一般の旅行者はカシガルまでで、さらに南下してパミールの古道をたどるのは容易ではなかった。これは漢の武帝の時に開かれ、長安から中央アジア、西アジアへ通じて、中国の絹を輸出した商路だ。マルコポーロも、この道で困難している。しかし中国の封建王朝が鎖国政策をとってからは、この商路もいつか忘れられてしまった。一九八八年秋、古道はよみがえった。カシガルからシューフー、タシコルガ
Author: 写真 狄華 Year 1989 Issue 4 PDF HTML
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64. 西北の芸術宝庫 須弥山石窟 初公開
この石窟は、寧夏回族自治区固原の西北五十キロの、須弥山のふもとにある。従来、文献の記載もなく場所がへんぴなこともあって、知る人は少なかった。新中国成立後、ここに北朝、隋、唐の石窟があり、貴重な仏像を蔵していることが発見され、一九八二年に、第二次「全国重点保護単位」に指定された。千五百年の歴史を持つこの石窟寺は、歴代封建社会の中で高い地位にあり、千二百年にわたって信仰を集めた。中国西北地区の最も古い
Author: 写真 狄華 Year 1989 Issue 5 PDF HTML
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65. 唐代の面影をのこす古城 長汀
長汀県。汀州とも呼ばれる。福建省西部、江西省との省境に近い。山と水に恵まれた、歴史のある美しい街である。唐代に造られた城門や城壁が今もなお完全な形でのこされている。宋代に建てられた孔子廟等、古い建築物が多い。大きな通りはアスファルトになっているが、石を敷いた小道や清末の民家が散在し、古朴で静かなたたずまいを見せている。「中国で美しい小さな街の第一は湖南の鳳凰、第二は福建の長汀」とたたえた外国のジャ
Author: 写真 狄華 Year 1989 Issue 8 PDF HTML
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66. 新興アパレル産業基地―石獅市
福建行きの車中で「福建に行って石獅に行かないとソンしますよ」と皆が言った。石獅市は福建省の南端、三方は海で、華僑の里として知られる港町だが、最近は「小香港」と呼ばれて商人が押し寄せている。服装、雑貨、家電など最新商品を売る店が軒を並べ、二十四万の人口だが、個人経営の店が四八五六軒、その中一万二千人が服装専門業だ。一般市民のうち九人に一人が服装店を経営し、ほかの大部分の人も、靴、帽子、下着、カバンな
Author: 写真 狄華 Year 1989 Issue 11 PDF HTML
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67. 福建の民家―土楼
福建省中南部の奥地、永安県や永定県には「土楼」という伝統的な民家があり、客家(ハツカ)の人たちが住んでいる。客家というのは、原郷は黄河中流域の中原地方だが、紀元四世紀、五胡十六国時代の戦乱を避けた南渡以来、十九世紀後半まで数回にわたって南下移民を余儀なくされ、おもに広東や福建の山地に移り住んだ北方の漢民族。先住の土着民と区別する意味で、こう呼ばれてきた。古くから土着民との間に抗争が多く、外からの襲
Author: 写真 狄華 Year 1990 Issue 1 PDF HTML
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68. 「玻璃画」の開拓に10余年 頭角あらわした農民画家 趙文竹
中国語では「玻璃画(ボーリホワ)」。日本語では「ガラス絵」でしょうか。清代に外国人宣教師によって伝えられ、宮廷内で細々と受けつがれてきた特殊な絵画でしたが、山東省は煙台市の農民画家·趙文竹さんによって、新しい芸術としての魅力が“再開発”されました。透明感があり、色彩が美しく、室内の装飾として一部の人びとから歓迎されてはきたのですが、題材が限られていたこと、格調に欠け雅趣に乏しかったことなどから、芸
Author: 写真 狄華 Year 1990 Issue 1 PDF HTML
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69. 魏碑のメッカ·山東省文峰山 絶品!鄭道昭の「鄭文公下碑」
「山不在高,有文則名」。文峰山。山東省·掖県から七·五キロのところに立つ山。山はそれほど高くはないが、山中に北朝の石刻が数多く見られることで、文峰山は内外によく知られている山だ。鄭道昭。北魏の大書道家として有名な人物。この人が書いた「鄭文公下碑」の石刻が、山の斜面に広がる密林の中で見つかっている。これこそ魏碑の中の魏碑。わが国の書道の源流を探る上で貴重な資料となるものだ。魏晋南北朝時代は、わが国の
Author: 写真 狄華 Year 1990 Issue 1 PDF HTML
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70. 村の企業発展に情熱燃やす 農民企業家·常宗琳さん
常宗琳さんの経歴をざっと見てみると10年前、山東省牟平県新牟裏村の党支部書記に就任。87年、「全国優秀農民企業家十人」のひとりに。続いて、第七期全国人民代表大会(国会)の代表に選ばれ、主席団のメンバーに選抜された。昨年10月1日の建国40周年では、全国の模範労働者のひとりとして式典に参加。創業間もない新牟国際連合企業公司には、輸出型企業として外貨獲得の期待がかかっている。ウサギやヒツジの毛糸、羊毛
Author: 写真 狄華 Year 1990 Issue 1 PDF HTML