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Your search : [ author:撮影 臧延祚 葉 軍 狄華] Total 738 Search Results,Processed in 0.095 second(s)
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71. 膠東半島に輸出向産業を見る
三方を海に囲まれた膠東(こうとう)半島には、天然の良港が少なくない。改革と対外開放の政策は、煙台市を中心とした膠東の中小都市から農村まで、その様相をすっかり改めてしまった。威海、長島、牟平、掖県、栄成、……。海に臨み物産の豊かな膠東の各地に、地場産業を基礎とした輸出向企業が次つぎと誕生している。外国の進んだ技術と管理システムを導入した企業も多い。海運に加え、陸上交通網の整備も着々進んでいる。エネル
Author: 写真 狄華 Year 1990 Issue 3 PDF HTML
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72. 長江上流の製鋼都市―四川省·攀枝花
雲南省境にほど近い四川省西南部の工業都市·攀枝花市。三面に川がめぐり、一面に山がそびえる約2.5平方キロの土地には、高炉や工場がぎっしり建ち並ぶ。鉄鋼生産量は、年に250万トン。「攀枝花」とも呼ばれるキワタノキの花が満開の春先に、国外へはこれまで知らされなかった山間の製鋼都市をフィルムに収めた。
Author: 写真 狄華 Year 1990 Issue 7 PDF HTML
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73. 母系社会の風習残る四川省涼山州
四川省西南部に位置する涼山州。美しい風景と肥沃な土地、ここがイ族のふるさとだ。独自の言語と文字をもち、伝統的な文化と素朴な風俗がまだ生きている。州全体が自然の風光に恵まれている。なかでも有名なのが、西昌土林、塩源県の公母山にある瀘沽湖。秀麗で独特の景観、そこに残る古くからの習慣、あでやかな民族衣装は、多くの観光客を感動させずにはおかないだろう。涼山州の州都·西昌市。成都と昆明を結ぶ成昆鉄道が走って
Author: 写真 狄華 Year 1990 Issue 7 PDF HTML
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74. “神医”姜元棟さんに感謝の声
“現代の神医”とまで尊敬をあつめている名医を紹介しよう。海軍総医院中医骨傷難病研究センターの責任者·姜元棟さんがその人だ。姜さんは、中国に古くから伝わる整骨法と現代西洋医学の粋を総合し、さらに多年にわたる自身の臨床経験を加味して、一連の新療法を確立した。西洋医学では外科手術で治すような傷害でも、姜さんの手にかかれば、針灸やマッサージなどを総合した方法で十分。この数年間に扱った2000人を超える患者
Author: 写真 狄華 Year 1990 Issue 7 PDF HTML
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75. ラサのメーンストリート八廓街
パリにシャンゼリゼ通り、東京に銀座通りがあるようにチベット自治区の主都·ラサ市には「八廓街」がある。チベット·ラマ教の四大寺院のひとつ、大昭寺を中心に発達したこの一帯は、全長1113メートルの「八廓街」に軒をつらねるみやげ物屋や各種商店を訪れるたくさんの人で終日にぎわいをみせる繁華の巷。通りの道幅は、広いところでは30メートルほど、狭いところになると3メートル。通りに沿って並ぶ店や民家は計2316
Author: 写真 狄華 Year 1991 Issue 1 PDF HTML
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76. 世界の屋根を行く青海―チベット自動車道
北京からチベット自治区の主都ラサに行く一番いい方法は、もちろん飛行機に乗ることだ。わずか三時間ほどで着くし、しかも安全だ。しかし私は、あえて別のルートを選んだ。まず飛行機で甘粛省の蘭州まで飛び、汽車に乗り換えて青海省の西寧に行き(北京―西寧の空の定期便は最近休止となった)、そのあと、めざすラサまで、車で青蔵公路(青海―チベット自動車道)をひた走りに走るのだ。これに要する時間は、一番うまく行っても五
Author: 写真 狄華 Year 1991 Issue 4 PDF HTML
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77. チベットの寺院と法要
チベットに住む人びとのふだんの生活には、宗教的色彩が色濃く漂っている。この地には寺や廟が多く、住民のほとんどが仏教を信仰しているように仏教徒も数多い。“仏教の王国”と言っても過言ではないだろう。チベットには各地に約千百ほどの寺や廟があり、信徒はここで各種の仏教行事を行っている。どの寺や廟でも線香の煙は絶えることはなく、また、仏像の前にはスー油(ヤクや羊の乳を煮つめた油)の明かりが昼夜ともされている
Author: 写真 狄華 Year 1991 Issue 4 PDF HTML
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78. 玄人はだし 京劇好きの陶栄生さん
読んで字のごとく、京劇とはみやこ(京)の芝居。北京っ子が京劇を愛するのは不思議ではないが、この陶栄生さんは京劇の“名票友”で、玄人はだしの役者だ。金朗大飯店の技術部門の責任者であり、また、さる大学の助教授でありながら、月に数回は舞台に立ち、アマチュア·コンクールでもたびたび受賞している。出身は満州族、母の陶默厂(とうもくかん)さんは1920~30年代の京劇の名優、さらにその父は清朝の高官だった。陶
Author: 写真 狄華 Year 1991 Issue 5 PDF HTML
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79. 媽祖さまのふるさと
福建省莆田市(ほでんし)の湄州湾(びしゅうわん)は、海の神、媽祖(まそ)のふるさととして、世界各地の漢民族から聖地と崇められている。紀元960年、この地の林家にひとりの女児が生まれた。1カ月たってもいっこうに泣き声をたてないので、両親は彼女に「默娘」という名をつけた。この默娘は、小さいときから泳ぎが得意、海の天気はぴたりと当てる、漁に出る船や海難救護に当たる人びとへの指示も間違えず、医術もよくして
Author: 写真 狄華 Year 1993 Issue 4 PDF HTML
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80. 第二の深圳は目前―広東省恵州
恵州について、これという知識はなかった。1963年に恵陽を取材で訪ねたとき、ちょっと寄る機会があった位だ。貧しい所なんだなという印象だった。香港が近いので、密航する農民漁民が後を絶たなかったらしい。今度来てみて「30年たてば天下はおれのもの」というのはほんとだなと思った。西湖の風光は昔のままだが、道筋は様変わりしたし建物も面目一新、町を行く人びとを見ても自信にあふれている。恵州は深圳から70キロ、
Author: 写真 狄華 Year 1993 Issue 12 PDF HTML