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Your search : [ author:沈興大 李世清] Total 75 Search Results,Processed in 0.087 second(s)
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51. 隋末農民烽起の古戦場
四女寺放水路管理所で一泊十月十一日、日曜。からりと晴れあがった絶好の秋日和。午前八時、徳州を後に新しい旅がはじまった。勝利橋を渡り、南運河の西岸の堤に沿って南下する。ペダルを踏む足も心なしか軽やかだ。南運河の堤防は、堤が高く、眼下を見下ろすと、少々胆が冷える。自転車は、まるで四、五階建のビルの屋上を行くようなもので、実は二人とも最初は内心ひやりとしたものだった。もっとも堤防は堅固でぶ厚く、幅も五、
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1983 Issue 12 PDF HTML
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52. 焼いた古窯臨清
船とはじめての“ご対面”十月十五日、本曜日。きょうも雲ひとつない晴。九時過ぎ、新しい武城の町をあとに、西南に向けて出発した。自転車は軽快に走る。約二〇キロ、運河車岸の大堤防の下に開けた城関鎮に到着した。ここ城関鎮は武城が三度目の“引っ越し”をするまでの県城の旧址にあたる。新しい武城の町と比べると、一見、いちじるしく見劣りがする。ところが、山東省に冠たる銘酒「古貝春」の醸造工場、武城県酒廠の所在地だ
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1984 Issue 1 PDF HTML
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53. 「武松 虎退治の舞台」―景陽崗
湖に囲まれた古城―聊城季節は「霜降(そうこう)」(二十四節気のひとつ。陽暦十月二十三、二十四日頃にあたる)を過ぎ、ちょうど秋冬の境といった頃おい、シベリアから南下した寒気団が、毎日のように華北の大地を襲った。吹き荒れる狂風は、中庭といわず大通りといわず、地面いっぱいに落葉を吹き散らかす。気温が急に下がって、老人や町へ出てくる農民も綿入れの厚ぼったい上着に身を固めて、すっかり冬じたく。十月二十四日、
Author: 文· 沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1984 Issue 2 PDF HTML
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54. ついに黄河を渡る
運河と黄河の合流点―張秋鎮陽谷(山東省陽谷県)の町では獅子楼を見たあと、県の招待所に戻って一休みした。招待所の廊下を歩いていると、小柄でやせてはいるが、みるからに頭の切れそうな若者とはち合わせになった。若者は自分から浙江弁(浙江省の方言)で話しかけてきた。「あの、あなたも南方のかたなんでしょう」「どうしてお分かりです」とわたし。「お話なさっているところを耳にはさみましてね、どうも南方の訛(なまり)
Author: 文· 沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1984 Issue 3 PDF HTML
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55. 英雄好漢(つわものども)の夢のあと―梁山泊
梁山·虎頭峰に登る蔡楼港の渡し場で上陸したわたしたちは、別れ難い気持ちで黄河を後にし、大連河の西岸に沿ったアスファルト舖装の道路を南に向かった。一〇キロほどペダルを踏むと、前方の地平線上に、遠く群山が見えてきた。たまたま肩を並べて自転車を走らせていた一人の農民が「あれが『水滸伝』の梁山ですよ。あの由砦に一〇八人の英雄が集結したんです」と教えてくれた。梁山と聞いて、わたしも劉君も早起きして眠かった目
Author: 文· 沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1984 Issue 4 PDF HTML
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56. 李白 痛飲の地―済寧
“酔いガニ漬”に舌つづみ十一月十五日、日曜日。朝起きてみると、外は一面の深い霧におおわれていた。早々に朝食をすませ、荷をととのえたわたしたちは、「水脊」·南旺を後に、ふたたび南下の旅の途についた。前方がかろうじて望まれるだけで、道路の左右両側は、村も田畑もすっぽりと霧につつまれている。自転車のペダルを踏んではいるのだが、まるで雲のなかを漂っているような感じだった。時々、鶏の鳴き声や犬の吠(ほ)え声
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1984 Issue 5 PDF HTML
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57. 山東一の湖 微山湖に遊ぶ
水牛と“初対面”―魚米の里、魚台県済寧市をあとにした大運河は、南四湖の西岸にそって曲がりくねりながら南下する。済寧を発つ前日、次の運河の埠頭である魚台県まで、定期船が出ているという話を耳にしたわたしたちは、ここはひとつ自転車の旅は置いて船で運河を下ることにした。水路を行けば大運河の風光を船上からゆっくりと眺めることもできるというものだろう。十一月二十一日(土曜日)。わたしたちを乗せた「魯躍号」が済
Author: 文· 沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1984 Issue 6 PDF HTML
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58. 兵家必争の地―徐州
劉邦「大風歌」碑を見る孔子の故郷に一週間ほど滞在したわたしたちは、一度済寧市にもどり帰京の荷をとりまとめた。山東省内の運河の旅が終わったのを区切りに、ひとまず北京に戻ることにしたのである。ひとつには休養の必要と取材ノートの整理のためであるが、元旦と春節(旧正月)はやはり家族とともに過ごしたいのが人情である。一九八二年五月十七日、わたしたち二人は三たび済寧市に入り、預けりてあった自転車を引きとった。
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1984 Issue 7 PDF HTML
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59. 霸王項羽の古里―宿遷
新興の邳県港六月三日、木曜日。朝早く起きてみると、空は雲一つなくからりと晴れわたっている。日射がまぶしい。きっと暑い日になるにちがいない。早々に朝食をすませて、旅装をととのえ、大きな水筒に水をいっぱいに入れる。六時にはもう徐州を出発した。東に向けて一気に六〇キロもペダルを踏みつづけ、十一時四十分に碾荘(ニヤンヅワン)に着く。ここで小憩をとるついでに、ちょっと取材してみた。運河の南岸に腰を据える碾荘
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1984 Issue 8 PDF HTML
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60. 淮陰―三大河の合流地
“之”の字形の河道昨晩は洋河大麯(ヤンホーダーチュー)をふるまわれたおかげで、ぐっすりとよく眠れた。目をさますと、体中が何だか軽がるとしている。旅装をととのえてつぎの目的地、淮陰に向かおうとすると、酒造工場の案内責任者がやってきて、お疲れでしょう、きょう(六月十一日)は工場のトラックがぬかを取りにいく日だから、ちょうどよい、このトラックに同乗したらどうですかとすすめる。そして、さっさとわたしたちの
Author: 文· 沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1984 Issue 9 PDF HTML