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Your search : [ author:沈興大 李世清] Total 75 Search Results,Processed in 0.096 second(s)
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61. 遣唐使上陸の地―淮安
七省に通じる「咽喉の地」「しまった。タイヤに画びょうが刺さっている」あわてて画びょうを抜きとろうとして、わたしは、ぱっと夢から醒(さ)めた。宿のベッドでうたた寝をしていたのだ。劉君と二人で南下の旅をつづける間、一番の心配事は、自転車のタイヤのパンクだった。愛用の「飛鴿(ハト)」マークの自転車に故障が起こったら、それこそ“万事休す”だ。河北省の青県を抜けた時、実際わたしの自転車のタイヤに画びょうが刺
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1984 Issue 11 PDF HTML
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62. 天井の運河 双子の玉子
レンコンの里―宝応県大運河は淮安の県城の西沿いに南へと流れる。ここ数日、気温は上がる一方だ。六月二十五日午後二時二十分。ぎらぎらと照りつける夏の陽の只中に自転車をこぎ出す。幸い、淮安の街を抜けると、すぐに緑陰がすがすがしい運河ぞいの並木道に出た。淮安から南へ、運河の東を護る大堤防がつづいている。台形の堤防の上底は幅一〇余メートル、平らなアスファルト舗装の道の両側には、カワヤナギ、ニレ、エンジュなど
Author: 文· 沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1984 Issue 12 PDF HTML
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63. 唐代の国際都市―揚州
中国最大の電力揚水所「人は高きを目ざし、水は低きに就(つ)く」とは、よく言われることだ。ところが、江蘇省にはいってから、南下するにつれて地勢はいよいよ低くなってゆくのに、大運河の水はかえって北に向かって流れている。この奇跡をつくり出したのが、ほかでもなく揚州郊外にある江都水利センターである。七月五日早朝、高郵を出発、やや東南方向にむかって四五キロほど自転車を走らせ、その日の午後に江都水利センターに
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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64. 雪舟遊学の地―鎮江
生まれかわった「古渡頭」旧遊の地には、さすがに心ひかれる。揚州には、結局、半月ほど滞在した。残念なのは、この半月の間、ほとんど毎日のように雨に降られたことだ。自転車を走らせるのに不便このうえない。また、きょうも雨かなと思うと、はたして雨。天帝も、よほどいじわるなお方である。七月二十三日、早朝。起きてみると、窓の外から、したたり落ちるしずくの音が聞こえる。また雨だ。旅のスケジュールを、これ以上おくら
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1985 Issue 2 PDF HTML
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65. 新興工業都市 常州
丹陽に残る南朝時代の石像群繁華な鎮江の市街区を抜けたあと、大運河は、東南に二二キロ、蛇行しながら流れて丹陽県へと入る。一帯は起伏の多い丘陵地帯だ。わたしたち二人は、ときにはふうふう言いながらペダルを踏んで坂をのぼり、ときには軽快に坂道を駆けおりた。これぞ、自転車旅行の醍醐味といったところ。人口七十五万を擁する丹陽県は、戦国時代(前四七五~前二二一)には楚の版図にあり、雲陽邑と呼ばれていた。紀元前二
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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66. 「魚米の里」 無錫
自転車の旅は、なんといってもお天道さま任せだ。次の目的地·無錫に向かう五時間の道々、降りはじめたかと思ったら、それこそ土砂降りの雨。わたしもカメラマンの劉君も、下着までぐっしょりになって、“濡れ鼠”同然のありさま。ところが無錫市内に入った途端、ぴたりと雨がやんで、雲の切れ間から太陽が顔を出したではないか。「ずいぶんな話だなあ」と劉君。「まあ、いいさ。無事乗り切ったわれわれの勝ちというものだよ」とわ
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1985 Issue 4 PDF HTML
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67. 東洋のベニス 蘇州
「草の芸術」―滸墅関の草蓆十一月二十三日、午後一時。わたしたちが乗った十三号船隊が無錫市の埠頭を離れた。牽引するのは一二二番ディーゼル船。もちろん自転車の“持ち込み”もオーケーである。無錫市航運公司に所属するこの十三号船隊は、十二隻の鉄製のはしけから成っている。じゅずつなぎになった船隊は長さ二〇〇メートル余、さながら水上を駆ける蛟竜(みずち)といったところ。主に砂利を運んでいる。太湖の西北に位置す
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1985 Issue 5 PDF HTML
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68. 呉越抗争の地 嘉興
美しい五十三のアーチ宝帯橋十二月五日、朝早くに蘇州の街を離れ、南下の旅を続ける。運河に沿って南へ三キロほど自転車を走らせると、前方に古風な石のアーチ橋があらわれた。有名な宝帯橋だ。運河に架かる数多くの橋の中でも最も美しいとされる石づくりのアーチ橋である。北京から一路南へ下る道々、いくつもの石づくりの橋を見てきたが、ほとんどがアーチは一つで、まれにアーチ三つの橋を見かけただけだった。ところが宝帯橋は
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1985 Issue 6 PDF HTML
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69. 旅のおわり 杭州
“軟宝石”の産地―桐郷十二月二十三日。快晴。昼食を終えてから装備をととのえ出発する。嘉興の市街区を抜け、大運河の左岸に沿ったアスファルト舗装道路を西南に向かって走る。三十キロほどとばして、桐郷県の県城(まち)―梧桐鎮に着いた。桐郷県一帯は有名な“軟宝石”の産地だ。“軟宝石”とは「湖羊」の子ひつじの毛皮のことである。珍貴なことから、毛皮の中でも“軟宝石”と呼ばれてたっとばれる。つまり、“やわらかな宝
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1985 Issue 7 PDF HTML
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70. 緊急インタビュー「光華寮事件」の真相は……
―あと数カ月で、中日国交正常化十五周年の記念すべき日を迎えますね。折も折、あのような光華寮判決という不愉快な事件が起こった。中日両国の友好を願う者は、憂慮せざるをえません。趙 たいへん遺憾なことです。―「光華寮訴訟」に、なぜああした判決が下されたのか、事の次第について、国際法の専門家でいらっしゃる趙教授からお話をいただければ、と思います。事の次第趙 それでは、事の発端からお話いたしましょう。一九四
Author: 聞き手 本誌記者 沈興大 Year 1987 Issue 5 PDF HTML