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Your search : [ author:整理 陳耕え·楊永青] Total 107 Search Results,Processed in 0.099 second(s)
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41. 神牛
むかしむかし、ある山のなかに牛飼いの子供が住んでいました。名前を臘月生(ラーユエシヨン)といって、笛がじょうずで、弓矢の名人でした。それで村の人たちは月生のことを韓湘子(ハンシヤンツー)(笛と弓矢の名人)の生まれかわりだといっていました。ある日のこと、月生は自分の牛をひいて、放牧にゆきました。牛を山のくぼ地に放すと、月生は竹林のなかに入って竹を切り、笛をつくりはじめました。ところが月生がみていない
Author: 整理 張文勳 え 李玉紅 Year 1965 Issue 5 PDF HTML
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42. りこうものの劉二仙
むかし、西山(シーシヤン)のふもとに、胡(フー)という苗字の金持ちがおった。たいそう腹ぐろい男で、アッというまに悪だくみを考えだしては、びんぼう人をしぼりとっていたので、村びとたちは〈きつね〉というあだ名をつけてよんでいた。ある年の春のことだった。日照りがつづき、草も木も枯れつくし、野山はまるで死んだようになった。こくもつが青々と茂っていた田畑にまで地われができ、川も小川もからからにかわいてしまっ
Author: 整理 厳兵 え 李玉紅 Year 1965 Issue 7 PDF HTML
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43. アイーサとうさぎの毛皮
むかし、大夏河(ターシヤホー)のそばに麦芽山(マイヤーシヤン)という山がありました。その山のふもとに、回族の人たちが住んでいました。麦芽山には小さな長ほそいほら穴があって、それが山のむこうがわに通じていました。人びとは泉の水をこのほら穴にひいて、山のむこうがわまで流していたのです。みんなはこのほら穴を〈うさぎのほら穴〉とよんでいました。なぜならこのほら穴は〈うさぎ娘〉がほったものだったからです。そ
Author: 整理·趙燕翼 え ·李玉紅 Year 1965 Issue 8 PDF HTML
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44. 欲ばりのタージャ
むかし、むかしある山奥にひとつの村がありました。そこは四方を高い岩山に囲まれ、ふもとは一面の畑になっていました。このあたりの畑には水がないので、畑の土はカチカチにかわいてかたまり、人がたがやしても牛がすいても掘りかえすのが容易なことではありません。村びとは畑をながめてはため息をつくばかりでした。この村に、タージャという一人のわかものがいました。両親に死に別れ、兄弟もなく、ひとりで二ムーの畑をたがや
Author: 整理 蕭丁三 え 李玉紅 Year 1965 Issue 9 PDF HTML
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45. 竜からもらった宝もの
むかし、ある貧しい村に二人の子が住んでいました。一人は小明(シヤオミン)といい、もう一人は小旦(シヤオタン)といいました。二人とも早くから父親をなくし、母親の手ひとつで育てられました。小明の家はたいへん貧乏でした。それでも小明のおっ母さんは、貧乏にくじけないで、小明をすなおな子どもに育てあげました。小旦のおっ母さんというのは、よくばりで、いつも人をだましていましたので、小旦はだんだんとよくばりで自
Author: 整理 胡光曙 え 李玉紅 Year 1965 Issue 11 PDF HTML
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46. 鏡泊湖の娘
モオホーという国にたいへん年の若い国王がいました。この国王は美しいおきさきをさがしたいと考えていましたが、自分でさがしにゆくわけにはいきませんでした。そこで天下の名匠をあつめて金の鏡をつくらせました。できあがった鏡は、さすがに名匠がつくっただけあって宝の鏡でした。というのは、この鏡は世の中でいちばん美しい娘だけがうつり、うつったらさいご、いつまでも消えないという宝の鏡だったのです。さて、鏡はできま
Author: 整理 劉適 え 李玉紅 Year 1965 Issue 12 PDF HTML
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47. アンピンとマンツオ
むかし、貴州(クエイチヨウ)省のあるところに、働きもので美しいミャオ(苗)族の娘がいました。娘の名はマンツオといって、野良仕事をやらせても、ししゅうをさせても人にひけをとらず、そのうえ、木の葉で美しい曲を吹くのがじょうずでした。ある月夜のことでした。マンツオは、同じ部落の若もので猟がうまく、簫を吹くのがじょうずなアンピンを愛するようになりました。ある日、アンピンは、おどりにきていく服をマンツオの家
Author: 整理 鍾德宏 え 李玉紅 Year 1966 Issue 1 PDF HTML
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48. 大師兄と二師兄
清朝のおわりごろ、といえば五、六十年もまえのことです。北京(ペイチン)のちかくに、武清(ウーチン)県、安次(アンツー)県という二つの県がありますが、安次県の県長は、武清県の県長のいわば弟ぶんにあたりました。そのころは、義兄弟のちぎりをむすぶというようなことが、さかんにやられていたのです。その弟ぶんに父親がいるということは、兄きぶんの武清県長もまえからきいてはいたけれど、会ったことはない。ところが義
Author: 整理 張士傑 え 李玉紅 Year 1966 Issue 2 PDF HTML
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49. ドゴダ兄弟
モンシナの山の村に、まずしいおかあさんが、二人のこどもとすんでいました。おかあさんは山のうえのわずかな畑をたがやして、こどもたちをそだてていました。二人のこどもには名前がなかったので、村の人たちは、貧乏な兄弟―ドゴダ兄弟という名前をつけてよんでいました。日がたつにつれ、兄弟たちも自分たちのことを大ドゴダ、小ドゴダというようになりました。ごはんどきになるとおかあさんはいつもこどもたちに先にたべさせ、
Author: 整理·陳貴培 え·李玉紅 Year 1966 Issue 4 PDF HTML
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50. トラは死んだ
森のなかにいっぴきのしまもようの凶悪(きようあく)なトラが住んでいました。ある日、動物をおなかいっぱい食べてねむくなり、白アリの塔(亜熱帯地域の白アリがつくる高い巣)のそばでねむってしまいました。ところがトラのからだがちょうど毒ヘビの巣の入り口をふさいでしまったので、あなのなかにいた毒ヘビは息がつまりそうになり、首(くび)をもたげてトラにかみつきました。トラは痛くてがまんしきれなくなり、やがて全身
Author: 整理·文羽 え·孫以増 Year 1978 Issue 6 PDF HTML