Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:写真·文 劉世昭(りつじーシャオ)] Total 488 Search Results,Processed in 0.120 second(s)
-
31. 学車族 自動車教習所は大はやり
北京で「学車族」という言葉がはやり出した。自動車の運転を習う人のことだが、プロの運転手をめざす人だけでなく、一つの技能として運転を身につけようという人が増えてきたのがその特徴。例えば公司の社長、秘書嬢などがそうで、自分で運転できれば便利だし、運転手を雇う必要もない。もう一つ言うならば、社長自らが運転したからといって少しも恥ずかしくはない、という社会通念の変化もあずかっている。その実態を語る数字がい
Author: 写真·文 馮進 Year 1994 Issue 10 PDF HTML
-
32. インインの入学式
私の名前は張明、36歳、ある公司の社長付運転手、妻は北京飯店に勤めています。月給は合計1500元くらい。私の両親も同居していますが、まあ幸せな一家と言えるでしょう。娘のインインは1987年9月20日生まれ。中国では満6歳になった者が小学校に入りますので、娘も94年9月に入学しました。中学校卒業までは学費は要りませんが、書籍、校服、給食、身体検査、健康保険などは自弁です。今までも、娘の衣食、教育費に
Author: 写真·文 馮進 Year 1995 Issue 1 PDF HTML
-
33. 8頭から70頭へ トウホクトラ繁殖センター8年の成果
トウホクトラ(東北虎)は、シベリアトラとも呼ばれる。中国東北部とシベリア地方に住んでいるからだ。体長三メートルを超える威容と、額の部分の斑紋が「王」の字のように見えるところから「獣の王」と言われるが、人間の自然破壊のため今や絶滅の危機に瀕している。一九七〇年代半ばの調査では、野生のトウホクトラはわずか八十頭あまりしかいなかった。八〇年代にはもう痕跡を発見することも困難になり、「基本的にはすでに絶滅
Author: 写真·文 郭実 Year 1995 Issue 3 PDF HTML
-
34. 草原に生きる牧畜の民
額爾古納(エルグン)河は中国東北部の大興安嶺に源を発して、その流れは内蒙古自治区の呼倫貝爾(フルンボイル)盟を潤し、主流は一五二〇キロ流れて黒竜江に繋がっている。早くも七、八世紀には、蒙古族がこの地域で生活を営んでいたが、一六八九年に清国政府と帝政ロシアとの間で「尼布楚(ネルチンスク)条約」が結ばれ、額爾古納河が中国とロシアを分ける国境線と決まった。一九九四年八月、私の額爾古納河探訪がスタートした
Author: 写真·文郭実 Year 1995 Issue 3 PDF HTML
-
35. 黒山頭の古城の跡
オウンク草原に別れを告げて、一人で額爾古納(エルグン)河流域で最初に出合う町―黒山頭鎮に向かった。北の辺境地帯では、町と言っても南方のようにたて込んでいない。黒山頭鎮と言ったって、草の生い茂った丘の上に、家々が勝手気ままに散らばっているのだ。二十世紀はじめ、河北省や山東省から流れてきた漢族と、シベリアから南下してきたロシア人たちが額爾古納河の中·下流の一帯に住み着き、毛皮や山の幸を持って河沿いに海
Author: 写真·文 郭実 Year 1995 Issue 4 PDF HTML
-
36. 激務を果たす看護婦さん
私は、馬岳鴻といいます。一九七四年の生まれです。幼稚園のころからダンスが大好きで、学芸会などでよく踊っていました。中学を卒業後、北京舞踏学院の試験を受けましたが、競争率がたいへん高く、合格できませんでした。中医の父は私に、看護婦になるようすすめました。おとなしくて細かいところまでよく気がつく私の性格に合っているから、というのです。こうして私は、北京医科大学付属看護学校に入学し、四年後の一九九三年七
Author: 写真·文 郭実 Year 1995 Issue 5 PDF HTML
-
37. 中ロ国際結婚の後裔たち
黒山頭から室韋鎮(鎮は町)までは百キロあり、一日おきにバスが一便出る。この日、私は夜の明けやらぬうちから待って、やっとすしづめのバスに乗り込んだ。エルグン河の流域には、中国とロシアの混血児が沢山散らばっているが、室韋鎮にはその子孫が比較的まとまって住んでいる。バス道路の両側をふさぐ山がだんだん高くなり、立ちならぶ白樺の木が車窓をたたきはじめると、私の耳にあのロシア民謡の激しくも哀愁に満ちた調べが聞
Author: 写真·文 郭実 Year 1995 Issue 5 PDF HTML
-
38. 砂金採りの人びと
この辺りの人は、エルグン河には金が流れていると言うが、それは、エルグン河に沿った砂岩の中に、金を豊富に含有した鉱石があると言うことである。朝早く、ジープに乗って河沿いのガタガタ道を、金鉱に向かって走った。運転手の話では、エルグン河の砂金採りは百年以上の歴史があり、昔は国境を越えてロシヤ人も砂金採りに来ていたし、清の時代には、エルグン河と黒竜江の接点に当たる恩和哈達鎭は朝廷に献納する金の重要な産地だ
Author: 写真·文 郭実 Year 1995 Issue 6 PDF HTML
-
39. 中ロ国境の景勝地興凱湖
黒竜江省密山市の東南、ロシアとの国境地帯に、景色の美しい、物産の豊かな興凱湖(こうがいこ)という湖がある。自然に出来た土手によって、大小二つの湖に仕切られている。面積は合わせて四七〇〇平方キロ、小湖と大湖の三分の一が中国領で、残りはロシア領である。地元の人たちが「湖崗」と呼んでいる天然の土手は、広いところで幅四〇〇メートル、狭いところで四〇メートル。一九七二年に、この「湖崗」で六千年前の新石器時代
Author: 写真·文 郭実 Year 1995 Issue 7 PDF HTML
-
40. トナカイと暮らす敖魯古雅(アオルコヤ)郷の人たち
幾日も雨が降り続いて、砂利道は車が通れなくなり、止むなく私は室韋鎮に閉じ込もっていたが、やっと晴れて車が動くと言うので、思い切って大興安嶺の北麓で、オウンク族が昔ながらの狩猟と、トナカイの飼育を続けているアオルコヤ郷に行くことにした。オウンク族はもともとシベリヤのバイカル湖一帯で暮らしていたが、十九世紀にエルグン河流域に移住して、三つに分かれた。一つはオウンク旗(県)草原で放牧生活を営み、一つは扎
Author: 写真·文 郭実 Year 1995 Issue 7 PDF HTML