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Your search : [ author:(本誌記者 韓瀚)] Total 356 Search Results,Processed in 0.098 second(s)
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311. 平定窯
ある夫人の思い出取材のため山西へ出張する前、同僚から、家内が遊びに来てくれといっているからと、招かれた。彼が夫人の名で私を招いたのは、丁重な招待を意味する。私は夫人をひじょうに尊敬しているからいわれたとおりにした。夫人は、五十すぎの無口な方で、彼が家で友だちと話しているときなど、口をはさむことはほとんどない。それでいてたまのひとことが、味があるもので誰からも好かれている。今日は何の用だろう。ちょっ
Author: 韓瀚 Year 1979 Issue 10 PDF HTML
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312. 栄昌窯
外国女性と四川漬け詩人のB君が外国のある女流作家を家へ食事に招き、わたしも呼んでくれた。B君の奥さんはここが見せどころとばかり腕によりをかけて味、色ともにすばらしいごちそうをふんだんに作った。そして各料理の名称、特色、それに作り方を紹介した。客が熱心に耳をかたむけ、口をきわめてほめたたえたのはいうまでもないが、ただ、この外国(とつくに)の女性は奥さん自慢の料理にはちょっと箸をつけただけで、別の小皿
Author: 韓瀚 Year 1979 Issue 11 PDF HTML
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313. 当陽峪窯
名磁残る古戦場太行山中を二、三日転々としたが、来る日も来る日も山越えで、実のところ、少し疲れた。地元のガイドの高さんが、ぜひ一日、わたしのところで休んでくださいと言ってきかない。高さんの家は山中ではめずらしい平地に建っている。そこは、かつて宋代に、農民一揆軍が活躍したところで、一揆軍は四面山の地形を利用し政府軍を相手どって一大決戦を交えたという。わたしは行ってみることにした。その晩、夕めしのときに
Author: 韓瀚 Year 1979 Issue 12 PDF HTML
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314. 医療衛生活動の重点を農村におこう
医療衛生活動を都市に住む少数のものに奉仕させるか、それとも広大な農村の五億の農民に奉仕させるか、これについて毛主席は、「医療衛生活動の重点を農村におこう」という偉大な呼びかけをおこなった。全中国の医療関係者はこれにこたえていっせいに立ちあがった。 ここに紹介した上海の状況からも、その一端がうかがえる。上海(シャンハイ)の郊外といっても市から遠く離れたいなかの泖港(マオカン)人民公社で、ある婦人公社
Author: 本誌記者艾東(アイトン) Year 1969 Issue 3 PDF HTML
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315. 腹部急病患者を病棟にたずねる
さきごろ記者は天津市南開病院の外科病棟を訪れ、漢方医学と西洋医学の結合による新しい治療法で、腹部の急病を簡単かつ効果的に治療しているさまを見聞した。手術せずに治すまである日の昼ごろ、南開病院の救急室に急病患者がおくりこまれた。患者は孫文起(スンウエンチー)さんといって天津市自動車用計器工場の労働者だ。顔色は青ざめ、腹部がつづみのように張っている。腹痛がはげしくあぶら汗をかき、三度も吐いた。救急室の
Author: 本誌記者 謝民(シエミン) Year 1972 Issue 2 PDF HTML
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316. 独立自主で鉄鋼業を発展させる
わが国の国民経済発展第四次五ヵ年計画の最初の年―一九七一年の戦闘任務は勝利のうちに遂行された。鋼鉄の生産量は一九七〇年の十八パーセント増、二千百万トンにのぼった。これは中国の工業が新たな水準に達したことを示す。
Author: 本誌通信員 本誌記者 Year 1972 Issue 5 PDF HTML
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317. 中国人民解放軍「塔山英雄連隊」
さきごろ、東北地方の遼寧省錦西県の塔山各界の代表からなる慰問団が、人民の軍隊にたいする塔山人民の深い愛情をたずさえて、幾山河を越え、祖国の南方におもむき、自分たちの子弟兵である中国人民解放軍某部隊「塔山英雄連隊」の指揮員·戦闘員を慰問した。慰問団の到着といううれしいニュースが、春風のように、兵営につたわった。指揮員も戦闘員も大よろこびで、兵営は喜びの巷と化した。かれらは太鼓をたたきドラをうち鳴らし
Author: 本誌記者 龔学儒 曾慶南 Year 1973 Issue 8 PDF HTML
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318. 若がえった開灤(かいらん)炭鉱
渤海湾を南にのぞむ広い平野に、埋蔵量のゆたかな炭鉱がある。河北省の開灤炭鉱だ。一八七八年に採炭を開始してから現在にいたるまで、この炭鉱はすでに一世紀に近い歴史をもつ。ききごろ、記者はこの炭鉱を訪ねたが、そうした長い歴史をもつこのヤマがみちがえるほどの変化をとげているのをみた。ヤマじゅうが生気と熱気にあふれていた。地下数百メートルの坑内では、各種の新しい採炭機が夜を日についで活躍し、電気機関車が、曲
Author: 本誌記者 張玉泉 李世清 Year 1973 Issue 10 PDF HTML
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319. 炭鉱労働者の今日このごろ
開灤炭鉱の労働者は「幸福な」ということばをつかって自分たちのいまの生活を表現するのがつねである。このことばは、ただの形容詞ではない。それは心の底からの叫びなのだ。解放前、帝国主義と資本家の残酷な搾取をうけて、この炭鉱の労働者はこの世の苦難をなめつくし、「幸福」とはまったく無縁だった。解放後、かれらは、政治的にも経済的にも主人公としての地位を獲得し、はじめて幸福な生活がおくれるようになったのである。
Author: 本誌記者 張玉泉 李世清 Year 1973 Issue 10 PDF HTML