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Your search : [ author:本誌·曾 牛] Total 37 Search Results,Processed in 0.117 second(s)
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21. 曲芸のふるさと―濮陽
黄河中流の河南省には、省·市·県レベルの曲技団が十三団体ある。団員八百四十八名、数の上で全国でも上位に入る。なかでも濮陽(ぼくよう)は歴史が長く、多くの人材を輩出、「曲芸は、全国では河南、河南では濮陽」といわれる。名人の“金太郎”夫婦濮陽は河南省の東北部、農業主体の県だった。が、この数年の中原油田の開発に伴って市に昇格、四県二区を抱え、人口二百七十万。うち市の人口は二十五万。市街地が狭くなったため
Author: 牛念九 Year 1987 Issue 11 PDF HTML
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22. 天山バインブラク高原をゆく
話は『西遊記』から有名な『西遊記』によると、唐の高僧玄奘(げんじよう)(三蔵法師)一行四人が経典を求めて天竺(てんじく)(インドの古称)に行く途中、通天河に阻まれ、いろいろな苦難に直面したが、観音菩薩のお助けによって妖怪の金魚精を退治し、千三百年の修行ののち恩返しにやってきたスッポンの甲羅に乗って対岸に渡り、西への旅を続けた。そして天竺から唐への帰途、観音菩薩が三蔵ら四人のこれまでなめた苦難の数を
Author: 牛桂林 Year 1990 Issue 11 PDF HTML
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23. 中日合同登山隊
一九九二年十月三十日午後零時九分(中国時間、以下同じ)は、世界登山史上で記念すべき時刻となった。中日両国のアルピニストが、世界最高の未踏峰ナムチャバルワの登頂に成功したのだ。「白い死神」の魔界ナムチャバルワ峰は海抜七七八二メートル、ヒマラヤ山脈の東端にある。山は険しく、気候は変化が激しい。常になだれの危険にさらされ、登頂が極めて困難なところから、土地の人びとは「白い死神」とおそれ敬い、遠い昔からさ
Author: 本誌·曽牛 Year 1993 Issue 2 PDF HTML
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24. 半年たった週休は二日制北京人の生活と意見
中国では長い間週に六日、一日八時間の労働パターンが続いてきた。 しかしみんなが待ち望む週一日の日曜日は、ため込んだ家事や雑事に忙殺され、まるで休む暇なんかない。日曜日に動き回って、疲れた体で月曜日に出勤したら、能率が低下するのは不思議ではない。 九五年五月から、中国の役所や工場、会社などが週休二日制に踏み切った。 しかし、いきなり週二日の休みをもらって戸惑った者も多い。
Author: 文·曾牛 写真·馮進 Year 1996 Issue 1 PDF HTML
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25. 万里長江第一城―宜賓
西南へのかげ橋紀元前221年に天下を統一した秦の始皇帝は、勅命を発し、四川盆地から雲南貴州高原に至る道路を開削させた。道幅が5尺(当時の1尺は22.5センチ)だったので、五尺道と呼ばれた。漢の武帝の時代にできた道も、唐代の石門道も、これを拡張または修築したものだった。その起点が宜賓で、南下して滇池、大理に至り、西南の険しい高山地帯に入って行く。宜賓は、金沙江と岷江の合流点にあり、ここから東が長江と
Author: 写真·牛牛 魯忠民 文·魯忠民 Year 1998 Issue 5 PDF HTML
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26. 九十九の泉
広西(クワンシー)チワン(僮)族自治区の宜山(イーシヤン)縣第六区拉利(ラーリー)鄕にトウリン(都霊)山という山がある。山にはふもとから頂まで九十九の泉があるが、頂にある泉は年中水のたえたことがなく、あたりは乳色の霧に包まれている。そしてそれにはおもしろい傳說がつたわつている。むかし、この山のふもとに、プーツオという若い樵(きこり)が住んでいた。ある日山へ柴刈りに出かけたプーツオは、とあるザクロの
Author: 整理·蕭甘牛 え·虹霖 Year 1959 Issue 5 PDF HTML
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27. 花辺姐姐(ホワピエンチエチエ)
むかし、ミヤオ(苗)族の村にきれいな娘がおりました。花辺(ホワピエン)を織るのが上手で、その娘が織り出した花や草や鳥や獣は、まるで本当に生きているように見えました。花辺というのは着物の袖や襟などをかざる縁かざりです。村の人たちはその娘のことを「花辺姐姐(ホワピエンチエチエ)」と呼んでおりました。村の人たちは花辺姐姐のつくつた花辺を一つでも手に入れて、それで襟や袖口をかざることができると、もう大喜び
Author: 整理 蕭甘牛 え 李玉紅 Year 1960 Issue 9 PDF HTML
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28. せむしのじいさんとバナナの木
山おくにせむしのじいさんがすんでいました。じいさんは、まがりくねった谷川のほとりに、バナナの木をたくさんうえました。バナナがふさふさみのると、せむしのじいさんはそれをつみとってどっさりかついで、町にうりにいきました。そしてたべ物や着物にかえるのでした。せむしのじいさんはひとりぼっちで、こどもがありません。よそのこどもを見るたびに、その子の頭をさすったりほっぺたをなでたりしながら、なみだをこぼしてつ
Author: 採録 肖甘牛 え 畢克官 Year 1962 Issue 1 PDF HTML
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29. よみがえる古代斉国の文物
大型車馬坑を発見一九九〇年五月、山東省省都·済南(ジーナン)市から青島(チンダオ)市に至る高速道路は淄博(ズーボー)市臨淄(リンズー)区の後李(ホウリー)村文化遺跡を通って建設されることになっていた。このため考古学関係者が一九九〇年五月建設工事に合わせて、後李遺跡を発掘したところ、今から二千年以上も前の大型車馬坑を発見した。車馬坑というのは、王侯の死に際して車、馬を副葬した穴である。後李遺跡で見付
Author: 薛振通 周継軻 牛珺 Year 1995 Issue 11 PDF HTML
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30. 中国の子供たちへ愛の献金
中国共産主義青年団など五つの組織が一昨年から未成年の保護育成を助ける運動を展開、各界に協力を求めたのにこたえ、日本の友好人士杉山絹子さん(三四)がこのほど百万元(一元は約一四·五円)を寄せ「絹子救助基金」を設立した。この基金によって、北京、吉林の両市、山西、河南の両省などで特に貧しい未成年三百人の生活、就学上の困難を解決する活動が始められている。杉山さんは十年前、拓殖大学で中国人留学生侯小平(ホウ
Author: 写真·牛錫武 文·胡 萌 Year 1998 Issue 1 PDF HTML