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Your search : [ author:戴徳忠 え·魯忠民] Total 40 Search Results,Processed in 0.122 second(s)
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21. 北京第一号の株式会社天橋百貨股份有限公司
株式会社、証券取引、株式市場などは、本来、資本主義経済に独自のものとされてきた。ところが、八〇年代の中国に株式会社が出現し、広く社会的に株券が売り出されたのは、なぜなのだろう。中国に株式会社が出現した理由、また中国の株式会社と、西側諸国の株式会社との違いを、北京第一号の株式会社―「天橋百貨股份(グーフエン)有限公司」(「股份」は株)を例にさぐってみよう。資金不足から経営難へ北京天橋百貨股份有限公司
Author: 戴徳忠 Year 1988 Issue 7 PDF HTML
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22. 北京―中国最大の工事現場
「北京の空が低くなってしまった」 さながら雨後のタケノコのように“競い建つ”高層ビル群を仰いで、こんな冗談が市民の間で交される昨今。古都北京のおもかげは、どこにいってしまうのだろう。一千万の人口を擁する首都の都市建設は、どうすすめられているのだろうか。都市公害には、どう対処しているのだろう。
Author: 戴徳忠 Year 1988 Issue 10 PDF HTML
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23. 新しい賃金制度の試み―北京市皮製品工場
中国では、近年来、請負、リース、競売などさまざまの経済責任制の実施によって、“企業が国の大釜の飯を食う”という状況は徐々に改善されてきたが、二番手の大釜の飯、つまり“従業員が企業の大釜の飯を食う”という平均主義的分配制度の打破には、満足すべき対処方法がまだ見つかっていない。現在、北京市皮革製品工場では構造賃金制〈結構工資制〉を実施して、企業内部の平均主義的分配を打破するための新たな模索をしている。
Author: 戴徳忠 Year 1988 Issue 12 PDF HTML
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24. 肯徳基家郷鶏快餐庁(ケンタッキー フライドチキン)
売上世界記録の日曜日北京の中心、天安門広場から南へ百メートルの、最も賑やかな前門商業区、そこに「北京肯徳基家郷鶏快餐庁」の店がある。ケンタッキーフライドチキンのチェーン店として、中米合弁で一九八七年十一月十二日に正式開業したもの。中国側は北京市牧工商総公司、北京市旅遊局、中国銀行北京信託公司、アメリカ側は米国ケンタッキー·フライドチキン·インターナショナルが出資している。中米合資のファーストフード
Author: 本誌·戴徳忠 Year 1989 Issue 2 PDF HTML
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25. 企業合併―改革第三次ブーム
「大きな魚は小さな魚を食い、小さな魚は小エビを食う」―解放前の中国では、資本や企業の間の弱肉強食をこう表現していた。このような現象は、一九四九年の新中国成立後は跡を絶っていた。それが、経済改革が深化の方向に向かった一九八八年、また復活してきた。北京ギア工場が五百五万元で北京朝陽金属工芸製品工場を買ったのがその一例だ。これはかつての行政命令による「閉鎖、生産停止、合併、転業」とは異なる。またここ数年
Author: 本誌·戴徳忠 Year 1989 Issue 2 PDF HTML
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26. 「一工場二制度」を実施
北京捺染工場は一九五八年に創業、従業員総数三千二百八十の大型工場である。綿布、化繊、混紡の生地の捺染、染色、漂白を主とし、同時に衣服用生地、室内装飾用生地等を数多く生産している。これら製品は東南アジア、アフリカ、南米等の七十余の国·地域に販路をもっており、中国では大手の捺染工場である。“後方勤務”が足かせにここ数年来、中国の工業系統で実施した各種の改革によって、当工場も経済効率がかなり向上し、企業
Author: 本誌·戴徳忠 Year 1989 Issue 3 PDF HTML
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27. “ヨコの連合”で共栄
かつて中国の企業は、互いに壁をつくって、交流することなく、自企業のことのみにかかわっているのが一般的であった。たとえ同じ地区にある同じ業種の兄弟工場であってもそうである。ところがここ数年、このような局面が打破されて、“ヨコの連合”が盛んになってきた。まず、同種の企業は、行政区域、財産所有権(国営、集団、私営等)、規模等に拘泥せず、すすんで連合し、互いに助け合って利益をはかっている。こうして各種各様
Author: 本誌·戴徳忠 Year 1989 Issue 5 PDF HTML
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28. 東の起点 連雲港
昨年の九月十二日、中国西部の新疆アラ山口駅とソ連のドルシバ駅の間で、中ソ鉄道の軌道接続式が行われた。これによって、世界が注目する二番目の“ユーラシア大陸橋”が全線開通することになる。
Author: 本誌·戴徳忠 Year 1991 Issue 1 PDF HTML
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29. 中原地区を走る開封―洛陽
鉄道要衝の地·鄭州「二九一」列車は開封駅を発ち、一時間ほどで河南省の省都·鄭州に着いた。トランクや包みを手にした乗降客で、ホームはごったがえしていた。待合室まで人でぎっしりだ。駅前の広場にも人の群れ。出迎えに来た人、見送りに来た人、出稼ぎの農民、旅館をあっせんする人、タクシー運転手、駅弁売り……。実に賑やかだ。中部に位置する鄭州は、「中国の腹部、十省の鉄道要衝の地」として知られている。二つの幹線鉄
Author: 本誌·戴徳忠 Year 1991 Issue 4 PDF HTML
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30. 関中平原を走る 西安·宝鶏
黄河に別れを告げる「一七一」列車は潼関駅に着いた。ここはすでに陝西省だ。潼関は山西、陝西、河南三省の境にあるので、「鶏の鳴き声三省に聞こえる」と言われている。潼関から宝鶏までは約四〇〇キロ。この一帯は、平坦で肥沃な土地がどこまでも広がっている。関中平原は中華民族発祥の地の一つで、小麦や綿の生産地として有名。また「秦川牛」や「関中ろば」は、良種の家畜として全国に知られている。晩秋のこの季節、車外の田
Author: 本誌·戴徳忠 Year 1991 Issue 5 PDF HTML